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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

救いの霊はそれぞれに

2025-05-31 | メッセージ
ヨエル3:1-2 
 
「主の名を呼び求める者は皆、救われる」(3:5)というところへ、預言者は話をもっていきたいと考えます。でも、その救いへと導く者がいます。神がただ何もしない人間を救うというのではありません。もちろん、人間が何か善いことをしたからこそ救われるという、人間が思い込みやすい姿の構図を、ここで持ち出すつもりはないし、必要もありません。
 
ただ、救われるためには、神とのつながりがはっきりしていなくてはなりません。神の法に従うのです。神との関係が成立することが必要であり、神の霊なるものがその絆となっていると言えます。神はその霊を注ぎます。それは、「心を尽くし、断食と泣き叫びと嘆きをもって/私に立ち帰れ」(2:12)との声を響き渡らせた後のことです。
 
ヨエルは、イスラエルに善いことがもたらされることを予告していました。「その後」なのです。主は、「すべての肉なる者にわが霊を注ぐ」と言い、「その日、男女の奴隷にもわが霊を注ぐ」と付け加えました。「すべての肉なる者」と言っている以上、細かく言う必要はないかもしれませんが、それでは預言としては少々物足りない気がします。
 
「あなたがたの息子や娘」もいるし、「老人」や「若者」にも言及されます。それぞれに霊が注がれるということを、一つひとつ表現を替えて示します。それはレトリックであるはずなのですが、それでも何か考えさせるものがあります。子どもたちが預言するわけで、子どもたちの世代へ、神の言葉が継承されていることを約束しています。
 
大人がただ自分たちのために、神に祈っているというだけではありません。教会は、子の世代へつなぐことに、いま成功しているようには見えません。少子高齢化のせいではなく、本質的に深刻な問題です。老人はもう希望もなく、人生を振り返るしかないかのように思われるかもしれませんが、夢を見るといいます。夢を見てもいいではありませんか。
 
それを可能にするのは霊です。若者はその夢を見るかもしれませんが、しっかりと現実を学ぶことでしょう。けれども、預言では若者は幻を見るようになるといいます。神への信仰を確かにするのは幻です。根拠あるビジョンです。そして、社会的な市民だけでなく、奴隷にも等しく霊は注がれます。自由に喘ぐ人も、不安に思う必要はないのです。




その後
私は、すべての肉なる者にわが霊を注ぐ。
あなたがたの息子や娘は預言し
老人は夢を見、若者は幻を見る。
その日、男女の奴隷にもわが霊を注ぐ。(ヨエル3:1-2)

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