エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

イザヤの書

2013-11-07 | 使徒
 文としてはここは切れずに「彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた」(使徒8:28)と続きます。エルサレムに礼拝に来て、イザヤ書を呼んでいるとなると、よほど信仰心に篤いかのように思われるかもしれませんが、これもおそらく読者としての思いこみでしょう。私たちが京都に観光に行き、寺院を訪れました。多くの人は拝むことくらいしてもおかしくありません。また、寺院の由来を書いた小さな本を買い求めたところで、べつだん奇妙なことではないでしょう。この宦官もまた、ユダヤの神殿を何かのついでであるかもしれませんが見物し、お土産として売られていた聖書の一部を手に取ったとしても不思議ではないでしょう。まして高官です。女王に、ユダヤではこうでした、といくらかの予算とともに資料を買い得ていたとしても、当たり前のことのようにすら思われます。しかし、観光地は別の国。語学を弁えていたとしても、すらすら読めることは期待できません。たとえ読めたとしても、その文化を理解できるかどうか分かりません。イザヤ書を神の言葉として読むわけではないのです。場面が動きます。「すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った」(使徒8:29)というのです。「一緒に行け」という動詞は、膠でびたっとくっつくという意味の語です。一緒に行くどころの騒ぎではありません。刑事用語風に「張りつけ」といったところでしょうか。緊迫感がまるで違います。
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