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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

身勝手な確信のようでありながら

2025-07-10 | メッセージ
「いと高き方」と言っても「全能者」と呼んでも「主」であることにかわりはありません。その陰に隠れます。私はその道を選びます。「わが逃れ場、わが城/わが神、わが頼みとする方」と、主の名を呼びます。詩人は、まことに主をのみ頼みとしています。するとどういう力を与えられるでしょうか。私は災いを恐れています。いろいろ危ぶんでいます。
 
「鳥を捕る者の網」が待ち構えています。「死に至る疫病」が襲おうとしています。「夜、脅かすもの」があります。「昼、飛び来る矢」があります。「闇に忍び寄る疫病」があり、真昼に襲う病魔」があります。こうして並べてみると、病がメインであるように見えます。百年前の小説を見ても、病に対する恐怖には、ただならぬものがあります。
 
一度罹患してしまえば助からない、と恐れられていた病が、数知れずあります。現代でも、一定の病気については、助からないと見なされることがあります。ここでは相手が人間であるようには描かれていません。とにかく「災い」として受け取れるようなことが私を待ち受けている中で、主に逃れ、隠れていることで与えられる安心感を詩人は詠います。
 
すぐ傍に「千の人」「万の人」が倒れたとしても、私は守られる。それはある意味で身勝手な確信です。他人は気にかけていません。私は「悪しき者の受ける報いを見る」ばかりだと言います。「災いはあなたに降りかかることはなく/病もあなたの天幕に近づくことはない」という信頼は、どこからくるのでしょうか。
 
詩編のこの特異な言明は、非常に目立ちます。あの荒れ野での誘惑において、悪魔がそこに割り入ったのも当然かもしれません。肉体的に弱っていたイエスに対して、悪魔が提示したのです。「足が石に当たらないようにする」から飛び降りてみよ、と迫ったのです。私たちがそんな誘惑に命を奪われないように、イエスは模範を示してくださいました。
 
詩人の神は「私は彼を守ろう」と宣言しています。「助け出そう」と繰り返しています。この詩で約束された「長寿」は、イエスに対して与えられることはありませんでした。しかし、考えようによっては、永遠の命の救いの中で、実はその約束の言葉は、完全に守られていた、と見なすこともできます。私たちに対する、絶大な福音となるのです。




彼が私を呼び求めるとき
私は答えよう。
苦難の時には彼と共にいる。
彼を助け出し、誉れを与えよう。
長寿を授けて彼を満たし
私の救いを見せよう。(詩編91:15-16)

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