エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

文化への抵抗

2017-01-15 | メッセージ
ローマ1:18-2
5

福音を恥とはしない。パウロはそう宣言しました。かつてエリートだったパウロは、今は世間でマイナーな地位にいます。信仰が人生で大切なのだと叫んでいます。そのパウロが、まだ見ぬローマの信徒に向けて最初にぶつけたのが、不義の話題でした。これはご挨拶です。

神という概念は、異邦社会、ローマ文化の中でも、すでに人間たるものは有しているだろう、とぶつけます。自然神学と今なら呼ぶかもしれません。およそ神たる概念、全能者の概念は人間に普遍的にあるというのです。それは永遠の存在であり、完全であるという性質をもっています。だったら、ユダヤ文化とは違うのだという弁解は通用しない、とするのです。

ローマ文化に満ちている偶像。無数の神々が崇められ、人間ばかりか動物などの像をつくり、それを神として拝んでいるという姿の、どこに知恵があるというのか、と叱責します。自分には哲学や文化があると自負しているだけに、この姿勢はよけい具合が悪いのです。そして、やっていることと言えば、ふしだらな真似ばかり、とパウロは非難します。

送られている相手は、ユダヤ文化を理解している人々であるはずです。ローマの地にいるとはいえ、ユダヤ人であるという前提です。そこには、ローマ市民たる地位を得て、あるいはローマの名をもつ人々もいるのであっても、ユダヤ文化を受け継いでいる人々がいます。パウロはこの手紙により、いわば世界最大の都の同胞に向けて、自分の知りうるかぎりのキリスト理解を徹底的に投げかけようとしているのですから、人生最大の華々しい著作を呈している覚悟でいると思われます。その手紙の最初が、道徳的退廃でした。ユダヤ人ならば許すはずがないことを、いまあなたがたは認めるなどということは、まさかしていないだろう、と問いかけているかのようでもあります。

実用的な知識に長けたローマ人たちは、自分たちに欠けていた哲学的・宗教的思想を、ギリシア文化に頼りました。ギリシアの神々をそのままローマ名に変えただけのような神話を楽しみました。ギリシアの同性愛文化を良しとして、享楽に耽る輩がいました。パウロはそれを目の当たりにしたわけではなく、話で聞いただけなのか、旅行した各地で知り得た情報であるのか、分かりませんが、ローマ文化について徹底的に拒絶と批判の態度を示したことになります。

ここに、同性愛の問題が潜んでいます。これは現代の私たちに対して、ひとつのチャレンジとなりました。性同一性障害という名で、社会的性と自分の中の性との相違で苦しむ人々が決して少なくないことを、私たちは知っているからです。アメリカ社会もこれにより政治的・宗教的立場が分かれると言われていますし、日本でも教派により意見の対立があると考えられます。聖書信仰が問われるかもしれないからです。

果たして、それは聖書に反するものなのでしょうか。また、これを認めるというのは、聖書信仰というフィールドにおいて、どのような意味をもってくるのでしょうか。ギリシアの場合は、少年愛でした。プラトンによると、少年愛のほうが男女の性的関係よりも優れている、とまで論じられています。生殖の目的のための交わりよりも純粋であるというふうに考えると、なるほど愛の希求の姿として筋が通るかもしれません。男と女という問題は、いまなおドラマや生活の最大の問題と見なされうるものであり、確かに、制度や習慣に基づくもののほか、他者との合一という神秘的な関係を含んでいるが故に、深い問題であるには違いありません。

子を産む存在として、そして家事や子育てをするために奴隷同然の扱いを受けていたであろう当時の女性なるものが、果たして今の私たちの感覚に基づいて判断されてよいものかどうか。男女間の恋愛などという概念が通用しなかった文化の中にいるパウロやローマ人たちのしていること、考えていることを、今の私たちの観点から裁くようなことをするのが適切であるのかどうか。聖書を信仰するというとき、いまここに置かれている私たちの立場から見え判断できる景色こそ基準である、と思い込んではいけないひとつの例がここにあるように考えられます。

私たちは他方で、聖書執筆当時の文化に反することを堂々とヒューマニズムとして掲げて真理だと見なしている、そういう側面があります。それでいて、自分たちの教団は、聖書を誤りなき真理であるとして宣言している、と胸を張りつつ、他の教団に優越感を抱くような真似をしていないかどうか、省みる必要はないでしょうか。聖書が告げているのは、信じる私たちが正しい、ということではないのです。神が正しい故に、神を信じる私たちも正しい、という論理が成り立たないことだけでも、私たちは弁えておくべきなのではないでしょうか。そうしながら、私たちは、今の世の文化を、どう理解し、受け止めていくか、問いかけられているのです。
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