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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

「天使」(マタイ28:3)

2010-12-16 | マタイによる福音書
 墓へ行ったのは、マルコによると三人です。ルカでは女性たちの人数は不明。もとより名前を記していないのですから、分かりません。ヨハネはマグダラのマリア一人にその役割を任せています。これはヨハネの主旨からして当然のことでしょう。そしてマタイでは、三人のうちサロメが退いて二人となっています。実のところ、一定していないのも問題です。
 マタイは「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである」(マタイ28:2)と描きます。ユダヤの黙示的伝統に従うのか、マタイの表現は私たちから見るとかなりオーバーなふうに見えます。石がすでに動いていたというのがマルコの説明でしたが、マタイはこれを地震という現象で説明しています。それは主からのものであり、黙示的な表現だと言えるでしょう。「天使」という表現を使うのもマタイ独特です。「その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」(マタイ28:3)というのも、やはりマタイ独自で、終末の姿を描こうとしているための工夫です。そして、先にユダヤ側の番兵を置いていた背景がマタイにはありますから、「番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」(マタイ28:4)という点にも触れられています。マルコでは、女性たちが震え上がったのですが、マタイはそれを番兵の役割に換え、女性たちはマルコのように黙ることなく、弟子たちに知らせる働きを果たしています。しかも、そこには喜びがあったとさえ記されています。
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「遺体の置いてあった場所を見なさい」(マタイ28:6)

2010-12-16 | マタイによる福音書
 この天使が女性たちに言うには、「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない」(マタイ28:5-6)のであり、これはマルコを引き継いでいます。まず、「墓にはいない」ことが重要です。「かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」(マタイ28:6)というのも、ほぼマルコの流れに沿っていると言うことができます。それは「復活」であること、私たちはそれを「見る」のが必要であることが言われているようです。そこにはすでに信仰がはたらいていくことになるのでしょうが、この「見る」という概念は、後にヨハネの福音書が重要な考え方を含ませて強調していくことになります。目で見る、つまり視覚で認知できるというだけの意味ではなく、いわば心の目で見ること、従って信仰することが求められていく流れのなかに、その言葉が用いられているのです。マタイはそういう神学をもっているとは言えませんが、この復活の証人になるために、私たちは、「見なさい」と促されているように受け取ることもできるでしょう。
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「週の初めの日の明け方」(マタイ28:1)

2010-12-15 | マタイによる福音書
 そして翌朝のこと。「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った」(マタイ28:1)とありますが、「安息日の後」と定めてあります。マルコもそうしていましたが、マルコでは、この安息日の終わりから、朝に至るまで、ずいぶんと時間が空いていることが分かります。それに対してマタイでは、安息日が終わると直ちに女性たちが墓に行ったかのように読めます。それどころか、この「終わって」と訳してある語は「夕方」という語でもあるのです。このとき「明け方」はどうなるのか、ということですが、その語は「始まるとき」の意味に理解すると、「安息日の夕方、週の初めになろうとしているとき」に、女性たちが墓を見に行ったという、自然な表現になるわけです。このような理解を聖書が書かれた当時もどうやらあったらしいとも言われています。いったい復活は夕刻なのか、翌朝なのか、と。
 さしあたり、マタイのこの曖昧な叙述を除いては、朝だということで大きな問題は起こらないようなので、私たちは復活の朝を想定することができます。
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墓には番兵が備えられた

2010-12-14 | マタイによる福音書
 ユダヤ人たちは「行って墓の石に封印をし、番兵をおいた」(マタイ27:66)といいます。直訳的には「出て行って、番兵と共に、石に封印をして墓を見張った」という感じです。ここでも番兵がユダヤ人なのかローマ兵であるのか、定かではありません。ユダヤ人の指導者たちが、まさかずっと墓を見張っていたというわけではないでしょう。安息日にそこまでのこのこ行くのも不自然です。ただ、日が暮れてしまうと、動くことができますから、どうしたのか不明です。番兵に見張らせたという事実だけであっても、指導者たちが見張った、という表現を日常とることは可能ですから、この表現が正確さを欠いているというのも相応しくありません。言葉は、日常はそのような表現をとるのです。「足利義満が金閣を建てた」などと。
 事の真実は分かりませんが、とにかく墓には番兵が備えられたこと、ユダヤ人権力者たち自らも警備する気持ちでいたことは確かです。マタイは、復活の証明のために着々と準備を調えます。
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おまえたちは番兵をもっている

2010-12-13 | マタイによる福音書
 ピラトは「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい」(マタイ27:65)と答えます。「おまえたちは番兵をもっている」という文ですが、これを、ユダヤ人が番兵をすでに有している、と新共同訳はとっています。新改訳では、ローマ側が番兵を出してやる、と解釈しています。ローマが出してやるからおまえたちはもつことになるのだ、というわけです。見張りを願い出たことに対する答えとしては、このほうが適当である可能性があります。しかしながら、新共同訳が「見張らせるがよい」としているのは解釈から意訳していることが分かります。原文は「行っておまえたちができるだけ守れ」という感覚です。この直訳でも、どちらにでも解釈できますから、無理に意訳する必要はなかったのではないかと思われます。
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「言いふらすかもしれません」(マタイ27:63-64)

2010-12-12 | マタイによる福音書
 とにかく、このユダヤ人権力者たちは、ピラトに提案します。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります」(マタイ27:63-64)
 イエスの復活を、はたして彼らがこれほどにまで知っていたのでしょうか。そこで解釈者は、後のマタイの教会の弁明を支えるためにこのエピソードを創作した、とすることがあります。それも一つでしょう。
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安息日

2010-12-11 | マタイによる福音書
 ここで「祭司長たちとファリサイ派の人々」(マタイ27:62)が謀議をします。一見不思議なのは「明くる日、すなわち、準備の日の翌日」(マタイ27:62)とあることです。これは間違いなく安息日なのですが、それをまわりくどい表現でマタイがわざわざ書いている心理は、安息日にそのような「労働」をすることが禁じられているからではないかと思われます。しかも、彼らはピラトのところに集まっています。そうしなければ、復活を妨害する策略を立てることができなかったからで、まさにその安息日にこそ、それができる唯一の機会であったことになる苦しさが、マタイにはあります。ところが安息日に異邦人の屋敷に入るみたいな表現が、実に不自然ではあるのです。また、これまでは長老たちが挙げられていたのに対して、ここでは久しぶりにファリサイ派が挙げられています。マタイの教会にとり、ファリサイ派から受ける迫害がいかに強かったかを物語っているかのようです。
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復活についてのマタイの説明

2010-12-10 | マタイによる福音書
 この復活について、確証を得させるためと、それからおそらくユダヤ人たちの批判のために、マタイはここでもまた独自の記事を紹介します。推察するに、ユダヤ人たちから、イエスの復活についていろいろと疑念がぶつけられていたのかもしれません。あるいは、信徒あるいは求道者たちから、あるいはまたその周辺を取り巻く人々から、イエスの復活に対する自然な疑問がわき上がっていたのかもしれません。本当に復活したのか、もしかするとこういうケースがあるのではないか、などと。信仰上のことであるならば、それを信じるかどうかというだけで済ませればよいのですから、マルコも不思議な終わり方をする中で、とにかく読者はどう思うかという問いかけになっているままであるのに対して、なにしろマタイは律法を完成することを使命としているわけですから、せっかくまとめ上げた福音書の中で、曖昧な点を遺しておきたくはないと考えのではないでしょうか。
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「マグダラのマリアともう一人のマリア」(マタイ27:61)

2010-12-09 | マタイによる福音書
 マタイは、わざわざ「きれいな」亜麻布だと示し、「大きな」石だとしています。イエスさまの体を包むものは清潔なものでなければならないでしょうし、墓が人により安易に開けられてはいけませんから、大きな石でなければならなかったのでしょう。
 このとき「マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた」(マタイ27:61)とあります。女性が、イエスの納められた墓を間違いなく見届けていたという、証言をここでなしていることになります。二人の証人がここにいたことになりますが、それは女性でした。古来女性は証人として用いられないのが一般的であったことを思うと、ここにも聖書の女性観の画期的な部分を見るような気がします。
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「自分の新しい墓の中に」(マタイ27:59-60)

2010-12-08 | マタイによる福音書
 マタイはマルコの叙述を受け継いで「ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った」(マタイ27:59-60)と記します。これはキリスト教会にとって、かなり重要な記事であるとみえ、ヨハネは若干表現を換えているとはいえ、四福音書すべてが記していることです。ユダヤの墓については、独特の理解が必要ですが、岩場に大きな空洞が掘られ、そこに安置すると説明されています。死刑囚は、共同墓地に棄てられるのが通常だったので、イエスの体は、どうしても、きちんとした墓に安置されることが必要だったのです。でなければ、復活したということが、信じられないかもしれないのですから。しかも、それは新しい墓でなければなりません。幾多の遺体が葬られる墓であれば、誰が復活したのか、あるいは何かの間違いではなかったのか、疑いが生じてしまいます。イエスひとりしかそこにいなかったのであれば、その疑いが減じます。ヨセフは、アリマタヤ出身でありながら、エルサレムで身分があったのでしょう。自分のために新しい墓をこの場に所有していました。それが役立ったのです。
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アリマタヤのヨセフ

2010-12-07 | マタイによる福音書
 イエスは十字架から降ろされます。ヨハネはそのあたりにも具体的なエピソードを加えていますが、マタイはマルコを受け継ぐのが基本であり、また十字架そのものへの関心も比較的薄いので、いち早くイエスの遺体を墓に収めようとしています。「夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった」(マタイ27:57)と言い、ヨセフを紹介するのですが、マルコが「身分の高い議員」であるとか「神の国」を望んでいたとか説明するのに対し、マタイはそれらの言葉を忌避しているかのごとく取り上げず、「弟子」にしてしまいました。他の使徒たちの弟子とはずいぶん違う立場であると思われますが、マタイだけ読むと、同じような弟子に聞こえてしまいます。ただ「金持ち」だということで、これだけの墓を用意する財力があった説明はしています。このヨセフという男は、復活のために大きな役割を果たすのですが、マタイは弟子一般を称賛する傾向にあるため、マタイの批判の矛先にある、金持ちや議員を寄せ付けたくなかったのかもしれません。もちろん、他でも注意深く避けてきた「神の国」という言葉をわざわざ使うこともありません。
 議員でもありませんから、マルコのように「勇気を出して」ピラトのところに行く必要はありません。単純にピラトのところに息、イエスの遺体の引き取りを申し出ます。物語の展開を急ぐマタイは、イエスが確かに死んでいるのかどうかピラトが怪しんだという点を省きます。本当は必要だったのではないでしょうか。マタイは、この復活にユダヤ人たちが疑惑を抱いたと後に記しています。ここでピラトもまた公式に確認した記事は、あってもよかったのかもしれません。
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弟子たちと女性たち

2010-12-06 | マタイによる福音書
 弟子たちは、この場にのこのこと顔を出すことができなかったようです。危険でもあったのでしょうが、ヨハネの福音書にある、「愛する弟子」を除いて、弟子らしい弟子の姿が描かれません。「またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である」(マタイ27:55)と、女性たちがいたことを、マルコが証言しています。マタイとルカはそれを受け継いでいるだけのようですが、もはやその名はルカには興味がないようです。名前は削除されています。マタイでは、「マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母」(マタイ27:56)と挙げられていますが、マルコは「マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメ」(マルコ15:40)としていました。マタイはわざわざ若干の変更を加えたわけで、イエスの親族に「小」を付けるのはマタイには我慢ができなかったのでしょうが、サロメを変更した理由は定かではありません。由緒をはっきりさせるために、弟子の母がいたということにしたのかもしれませんが、本当にいたのかどうかは疑わしい名前だと思われます。しかし、教団の中では、有名な女性たちであったことは確実です。その後、随所で彼女たちの名前を用いた伝説が語られるようになりました。
 なお、この女性たちがイエスの世話をしていたというよりも、彼女たちは、イエスに仕えていたというほうがイメージが近いのではないかと思われます。女性たちは、なかなか物語の表には出てこないものです。しかし聖書では、随所で女性が大きな役割を果たします。政治的に表に出ることがなくても、むしろ陰で弱い立場にありながらも、実際には男たちの活動をしっかりと支えている女性たちの姿は、福音が届く先がどのようなところであるのかという問題について、ひとつのはっきりとした答えを示しているように思われます。
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「本当に、この人は神の子だった」(マタイ27:54)

2010-12-05 | マタイによる福音書
 続いて、百人隊長の口から漏れた言葉や、女性たちがこれを見守っていた記事が続きます。それらは、マルコが書いたことをマタイもルカも引き継いだという印象です。
 ただし、マタイの百人隊長たちは、マルコのように、あるいはおそらくルカも、イエスの息の引き取りを見て感心したようなことではなく、「地震やいろいろの出来事を見て」(マタイ27:54)恐れたがために、イエスを神の子だと漏らしています。マルコが、イエスによる福音たるものを福音書のテーマとして据えそこから動かないのに対して、マタイは、徹底的に律法と聖書の実現がイエスを通してなされたという点に焦点を定めています。イエスの生き方に倣うなどというよりも、イエスが畏るべき神の子であったことを正面に掲げるのです。「本当に、この人は神の子だった」(マタイ27:54)とあっても、背景がずいぶん違うことがありうるわけです。ちなみに、ルカでは、異邦人に分かりにくいと思ったのか、「神の子」が「正しい人」に差し替えられています。
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「聖なる都」(マタイ27:53)

2010-12-04 | マタイによる福音書
 この生き返った者たちは「イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた」(マタイ27:53)のです。マタイらしく、「聖なる都」とエルサレムを呼ぶのですが、ユダヤの律法の完成はまさにエルサレムにおいて実現していくものでなければなりませんから、そこを舞台に起こったという信仰をそこに表明していることになるでしょう。それは、マタイの教会における信仰告白のようなもの、信じられていた内容であったというふうに推測されます。しかし、ブレがあるのも事実で、そのとき墓が開いて生き返ったにも拘わらず、イエスの復活の後に墓から出てくるのは、イエスこそ復活の初穂でなければならないと気づいたからに違いありません。彼らの復活は、人の目には見えない出来事だというわけです。
 マタイの荒唐無稽な記述だとも見なされることの多い箇所ですが、マタイの教会の置かれた状況やそこで信じられていたことを反映するものとして、興味深い記事だと考えられます。なにしろマタイだけが遺した内容ですから、その教会で教えられていたことがこれであると考えられるのです。
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不可解な記事

2010-12-03 | マタイによる福音書
 続いてマタイは、現代の私たちには不可解な記事を遺します。「そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った」(マタイ27:51-52)というのです。垂れ幕についてはマルコも記していますから、ルカも引き継いでいるわけですが、マタイはそこからどうしても記事を膨らませなければならないと考えたようです。そこに描かれているのは、黙示的な終末の姿です。ですから、ここでよみがえりが起こったというのはおかしいとか、そのよみがえった者たちはその後どうしたのだ、などと邪推するのは、適切な批判とはなりません。
 マタイは、イザヤやエレミヤなど、かつての預言者の描いた終末像がこことつながっているのだ、と言いたかったのです。生き返ったという不思議な出来事も、たとえばエゼキエルの枯れ骨の復活を思えば、何が想定されているか理解できます。イエスの復活と重なるというよりも、むしろかつてのイスラエルの預言者たちを通して表された律法――マタイは律法なるものを、モーセ五書に限定しているわけではない――の実現を福音書を記す重大な使命と捉えているマタイには、当然の措置であったと思われます。
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