僕は今の今まで、ヴォイストレーニングと言うものを受けた事が無い。
一度くらいはきちんとしたトレーニングを受けてみたいなあ、と思った事もあるが、なぜか一度も無い。
しかし、歌を歌うようになって今まで、歌い方を自分なりに研究し、意識的に変えた事が3回ある。
たぶん、マイナーチェンジ的に微調整する事とかは、無意識にと言うのも含めればたくさんあると思うが。
初めてバンドで歌い始めたのは、10代のパンク時代だ。
今思えば、歌と呼べたかどうか(笑)。
とにかく、がなりゃいい。って感覚。(笑)
そして、だんだんストーンズとかフェイセズとかはまりだして、それまでと同じ感覚でがなりちらしていると、40分くらいの1ステージが持たない。(爆)枯れちゃうの、声が。暴れてるし。(笑)
そもそも、腹式で呼吸するなんて意識した事も無くて、のどもガチガチに締めまくって歌うから、すぐに枯れる。
こりゃまずいと思い、腹式呼吸やのどの使い方などを自分なりに探した。
ヘッドフォンしてマイクで鏡を前に大きく口を開けて発音する事や、どうやったらのどへの負担が軽くなるのかなどを研究した。
けど、気にしすぎてのどを開きまくるとロックっぽく無いと言う事もわかり、その辺のさじ加減も自分なりに探した。
これが多分22歳くらい。
このあと、ソウルやブルーズにはまっていくと、歌うのが嫌になるくらい打ちのめされるのだが。(笑)
次元が違うぜ。って思った。
聴く人聴く人、みんな超絶じゃん?。ソウルとがブルーズの人。巨人達。
それでも、やめなかったのは今考えてもよくわかんないが、他に出来る事も無かったんだろうし(苦笑)、とにかく前だけ向いて、俺に出来る事を探したんだと思う。
この時、25歳くらいのころだったかな。はじめて、のどを開き、今までより力を抜くと声が通り出す感覚と言うのを何となくだが掴んだんだったと思う。
それと、ナチュラルなヴィヴラートとか、細かい事を気にし出したのかな。
歌の語尾の処理の仕方とかね。
若干フラットして語尾をまとめるとなんかかっこいいなとか(笑)。
もう、この頃はヴォーカルものを聴きまくっていた。
そして、ジャズヴォーカルとかもこの頃聞き出した。
無い物ねだりか、女性のヴォーカルの節回しなんかに憧れて必死に真似したり(笑)。
そう、実は女性ヴォーカルからはかなり影響を受けたはず。ダイナワシントンとかね。
そんな、ヴォーカルものとして手をのばしたのがルイアームストロング。サッチモ。
最初に聴いたときは、「なんじゃこりゃ?」だった。(笑)
そのだみ声。
しかし、そのだみ声とは裏腹になんか明るい。
笑いながら歌っているみたいな、明るさ。
つきぬけてた。なんか。
そして、その後いろいろと知れば知るほど、とんでもない偉人である事がわかっていく訳だ。
どちららと言うと、サッチモはそのエンターテイナーぶりで有名になった気がするが、その音楽は実はとてつもない。
ここには、僕の持っているサッチモのCDで一番ボリュームのある3枚組を上げたが、基本的にサッチモはどれも全部素晴らしいと思う。
あの、ベッシースミスのバックで吹いていたのもサッチモだし、ビリーホリデイのバックでもふいていた。
この世でスキャットを初めてレコーディングしたその人もサッチモだ。
ジャズの人でサッチモを認めていない人は皆無だろう。
あの辛口のマイルスでさえ、サッチモには最敬礼だ。
その時代背景や、生い立ち、当時のエピソードなど(人種差別、偏見。。。)、知れば知るほど、いつも笑いながら歌っているようなその底抜けに明るいサッチモのエンターテイナーぶりの裏に、とてつもないブルーズが横たわっている事に気付く。
それでも、サッチモは黒人特有のモノであったブルーズを大衆の前に笑いながら普及させた、あまりにも偉大すぎる巨人だ。
いつでも、暖かく、笑いながら人を喜ばせ、命を削って演奏していたのだろう。
無人島にはサッチモは一枚は持っていきたい。
1927~1957年コンプリート。
一度くらいはきちんとしたトレーニングを受けてみたいなあ、と思った事もあるが、なぜか一度も無い。
しかし、歌を歌うようになって今まで、歌い方を自分なりに研究し、意識的に変えた事が3回ある。
たぶん、マイナーチェンジ的に微調整する事とかは、無意識にと言うのも含めればたくさんあると思うが。
初めてバンドで歌い始めたのは、10代のパンク時代だ。
今思えば、歌と呼べたかどうか(笑)。
とにかく、がなりゃいい。って感覚。(笑)
そして、だんだんストーンズとかフェイセズとかはまりだして、それまでと同じ感覚でがなりちらしていると、40分くらいの1ステージが持たない。(爆)枯れちゃうの、声が。暴れてるし。(笑)
そもそも、腹式で呼吸するなんて意識した事も無くて、のどもガチガチに締めまくって歌うから、すぐに枯れる。
こりゃまずいと思い、腹式呼吸やのどの使い方などを自分なりに探した。
ヘッドフォンしてマイクで鏡を前に大きく口を開けて発音する事や、どうやったらのどへの負担が軽くなるのかなどを研究した。
けど、気にしすぎてのどを開きまくるとロックっぽく無いと言う事もわかり、その辺のさじ加減も自分なりに探した。
これが多分22歳くらい。
このあと、ソウルやブルーズにはまっていくと、歌うのが嫌になるくらい打ちのめされるのだが。(笑)
次元が違うぜ。って思った。
聴く人聴く人、みんな超絶じゃん?。ソウルとがブルーズの人。巨人達。
それでも、やめなかったのは今考えてもよくわかんないが、他に出来る事も無かったんだろうし(苦笑)、とにかく前だけ向いて、俺に出来る事を探したんだと思う。
この時、25歳くらいのころだったかな。はじめて、のどを開き、今までより力を抜くと声が通り出す感覚と言うのを何となくだが掴んだんだったと思う。
それと、ナチュラルなヴィヴラートとか、細かい事を気にし出したのかな。
歌の語尾の処理の仕方とかね。
若干フラットして語尾をまとめるとなんかかっこいいなとか(笑)。
もう、この頃はヴォーカルものを聴きまくっていた。
そして、ジャズヴォーカルとかもこの頃聞き出した。
無い物ねだりか、女性のヴォーカルの節回しなんかに憧れて必死に真似したり(笑)。
そう、実は女性ヴォーカルからはかなり影響を受けたはず。ダイナワシントンとかね。
そんな、ヴォーカルものとして手をのばしたのがルイアームストロング。サッチモ。
最初に聴いたときは、「なんじゃこりゃ?」だった。(笑)
そのだみ声。
しかし、そのだみ声とは裏腹になんか明るい。
笑いながら歌っているみたいな、明るさ。
つきぬけてた。なんか。
そして、その後いろいろと知れば知るほど、とんでもない偉人である事がわかっていく訳だ。
どちららと言うと、サッチモはそのエンターテイナーぶりで有名になった気がするが、その音楽は実はとてつもない。
ここには、僕の持っているサッチモのCDで一番ボリュームのある3枚組を上げたが、基本的にサッチモはどれも全部素晴らしいと思う。
あの、ベッシースミスのバックで吹いていたのもサッチモだし、ビリーホリデイのバックでもふいていた。
この世でスキャットを初めてレコーディングしたその人もサッチモだ。
ジャズの人でサッチモを認めていない人は皆無だろう。
あの辛口のマイルスでさえ、サッチモには最敬礼だ。
その時代背景や、生い立ち、当時のエピソードなど(人種差別、偏見。。。)、知れば知るほど、いつも笑いながら歌っているようなその底抜けに明るいサッチモのエンターテイナーぶりの裏に、とてつもないブルーズが横たわっている事に気付く。
それでも、サッチモは黒人特有のモノであったブルーズを大衆の前に笑いながら普及させた、あまりにも偉大すぎる巨人だ。
いつでも、暖かく、笑いながら人を喜ばせ、命を削って演奏していたのだろう。
無人島にはサッチモは一枚は持っていきたい。
1927~1957年コンプリート。