ディアンジェロのヴードゥー。
今、毎日こればかり聴いている。本当にここんところ、こればかりだ。毎日。3~4日ほど。
このアルバムを聴いていると、これがもう10年ほども前に作られたアルバムだと言う事など、何の意味も無いくらい、聴けば聴くほど新たな発見や、自分が作品をこれから作り上げようと言う意欲をあたまから叩きつぶされるくらいの圧倒的な「完璧さ」を突きつけられる。
すげえのだ。本当にすげえ。
ナンセンスで稚拙な疑問だとわかっていながら、かつてのブラックジャイアンツ、マーヴィンがカーティスがダニーが・・・もし生きていたらこの作品に対してなんて言うのだろう?と思わずにはいられない。
かつての偉大なるソウルミュージックを、完全に自分のやり方で、全く新しく、ヒップホップの土俵に引きずり出した最初で最後のアルバムじゃないか?
最後と言うのは、今のところこれを超えるこんなアプローチの音楽に出会った事が無いから。
そのほとんどの曲がミディアム~スロウナンバーばかり。そして、伝統的なフックやキャッチーなサビといった構成はほとんど無視。そこにあるのは催眠的に反復されるグルーヴのみ。怪しげで、ドロリとした感触の真っ黒なリフの反復だ。前作のブラウンシュガーからは一転して全てが生楽器によるものばかり。
意図的に、リスナーにとっつきやすい要素を排除し、時間をかけて向き合わないと本当のこのアルバムの意図するところや、じっくりどっぷりハマってみてこそ初めてわかってくるその深さをこれほどまでにあからさまにアルバム一枚に詰め込んでみせたのは、ディアンジェロの現代のシーンに対する挑戦であるとしか思えない。さらりと聞流していては、ここにある世界は理解できないと思う。
俺も、ヘッドフォンでじっくり何度も何度も聴いて、離れられなくなった(笑)。
ほとんどがスタジオでのライヴ録音と言う形での、6分越えのジャム。
クエストラヴ(The Roots)の抑制されたリムとハットはどこまでも淡々とグルーヴを紡ぎ、時にはストップアンドゴーでグルーヴをぶった切り、ピノパラディーノのベースはドロドロのリフを弾く。そしてテンポとリズムを微妙に変化させながら、どんどんグルーヴの渦を作り上げる。チャーリーハンターのギターはワウや、逆回転のソロ、スクラッチなどで走り回る。
切り込むように、すこしこもりがちでざらついたトランペットを聴かせるのはロイハーグローヴ。
まさにヴードゥーの呪文みたいだ。
そして、ディアンジェロ自身のヴォーカル。
どもるように、つぶやくように、意図的にもたったり、まるでフォークブルーズの歌みたいなのだ。これが黒人音楽だ。
幾重にも重ねられたファルセットの分厚いコーラスの上を、うめくように、漏らすように、呪文のように歌う。
とてもゴスペル、ドゥーワップ的だ。
全てにおいて、最小限の動きで最大限の興奮を産む。
サウンドのスペースの使い方は完全にヒップホップでありながら、そのテンポやリズムの微妙な変化で引きずるようなグルーヴをのたうち回らせる様はまるでソウルミュージックどころかフォークブルーズ的であるとさえ思う。
今、ディアンジェロなにやってるんだろ。気になる。
このアルバムは、俺にとってはかつてのジャイアンツ達のアルバムと肩を並べる数少ない現代のアルバムだ。
12曲目のUNTITLED(HOW DOES IT FEEL)は何度聴いても鳥肌。もう何回聴いたかな。
本当の誘惑や興奮は抑制の中にあるのだと言う事を、アルバム全部が物語ってる。
やっぱすげえ。
2000年。アメリカ。