JabBee's note

キクチシゲルの日々の泡・・・

ハシル

2011-09-30 18:12:06 | 日々のこと
去年の今頃だったかな。ジョギングを始めたのは。
何となくライヴでばてたりするの嫌だなあって感じたのがきっかけ。
最初はつらくて、2kmも走ればばててた。
でも、続けるうちにだんだん走れるようになってきて、そしたら楽しくなり始めて調子に乗って走って、次にきたのがアキレス腱や膝の痛み。
日常生活にもちょっと支障をきたすくらいに。
で、いろいろ調べて、結局休めるしか方法は無いってことに気付き、それからは痛みがひくまで休んで、ひいたらまた走るって、繰り返した。
3ヶ月もたった頃にはすっかり痛む事も無くなって、10kmくらいはぶっ通しで走れるようになった。
それからは、まあ、週に2回から3回くらいのペースで5km~10kmのジョギングが習慣になった。
走り始めて、身体が変わったね。
健康診断では、心拍数が普通の人より遅いって言われた。心電図とった時に。
スポーツやってる人ってそうなるらしい。
風邪も引かなくなったね。
この一年で調子悪くなったのは、食中毒でぶっ倒れた3日間だけだ。

別に、健康管理とかの意識が強くなった訳ではないんだが、なんつーんだろ、走り始めて15分くらいからアタマん中ぐるぐるいろんな意識が巡り出す瞬間とか、「オ~~、俺何処までも走れそうだぜ~~。」っていう、いわゆるランナーズハイとかが心地よくて、続けてる。

ここんところ、あんまり走れてなくて、昨夜10日ぶりくらいに6km走った。
これからも、自分のペースで走るつもり。
だれか、もしちょっとでも、ほんの米粒ほどでも「走ってみようかな~」なんて考えてる人がいたとしたら、スピードなんか追求する必要は無くて、できるだけ、ゆっくり、長く、遠くまではじめてみたらいいよ。
何かが、ちょっとだけ変わるかもね。

RED HOT CHILI PEPPERS / BLOOD SUGAR SEX MAGIK

2011-09-29 21:55:40 | 日々のこと
たぶんあれは25歳前後だったと思う。新宿を何となくぶらぶらしていた。

なぜその時新宿にいたのかは、今となっては思い出せないのだが、俺は新宿の東口にいたのだ。多分平日の午後だな。そんなに人が多すぎた印象はない。東口も今とはちょっと風景が違っていたかもしれない。
そこで、アルタのオーロラヴィジョンを何気なく、ガードレールに腰掛けて見ていた。
そこで、不意に映し出されたのがレッチリだった。
 
当時俺は、上京してずっとやっていたバンドを、メンバーのいろんな事情で解散し、弾き語りを産まれて初めて経験したりしながら、また新しいバンドをやりたいなあ。と、考えていたりした時期だった。
その頃は、ソウルやファンクなどにハマり始めていて、今までやってたロックンロールバンドから、いろんな意味で視野を広げ始めていた時期だった。

そんな俺に、オーロラヴィジョンのレッチリはなんとも圧倒的に迫ってきた。
見るからにアメリカの、やんちゃと言うには気合いの入りすぎた、キッズ。。。(あの頃はほんとキッズって感じだったのだよ)は、それまでレイドバックしたストーンズなんかにかぶれていた俺のアタマにがつんと何かを落とした。

ブリブリのファンクで暴れていた。
そして、その演奏のクオリティーの高さって言ったら!
当時の俺には、これが世界レベルか!って現実を目の前に突きつけられたみたいなショックだった。
超絶に上手かった。
そして、上手いだけじゃなくて、メチャクチャだった。
すげえ、、、としかいいようがない感じ。
途方に暮れた。

それから、いろんなところで見かけるようになって、周りにもフォロワーみたいなバンドをちらほら見かけるようになっていった。

レッチリのファンクは明らかに新しかった。
それまでこんなバンド見た事なかった。
ヒップホップだったが、パンクだったし、レッチリを聴いて「なんだ、ツェッペリンってファンクバンドだったんじゃないか!」って思うようになったし。(笑)
とにかく、ごちゃ混ぜだった。

この頃から、「練習しなくちゃ!」って強く思うようになったなあ。

今聴いても、やっぱかっこいいわ。
このファンクは無敵だわ。

最近、新しいアルバムがでて、PVみたいなのをwebでみたが、みんなすげえ年取ってる。(笑)考えたらみんなもう50近いでしょ?
でも、相変わらずでやっぱかっこいいよ。
守りに入ってないっつーか。

そして、ごく最近のインタビューでベースのフリーが、
「俺たちは過去のモーツァルトやチャーリーパーカー等に比べたら、音楽の表面をちょっとなでてるくらいに過ぎない。まだまだ成長したいし、そのための変化を怖がらないでいたい。」
みたいな、主旨のことを言ってて、なんか感動した。

音楽ってやっぱ底なしなんだな。
満足なんて出来ないし、したらおしまいってことね。

数あるレッチリのアルバムで一番良く聴いたのが多分これ。BLOOD SUGAR SEX MAGIK。
昨夜久々に聴こうと思ったら、何処探してもない。
誰かに貸したまんまだ。(笑)
しょうがないから、今日買った。(笑)
1000円だったよ。
誰か僕のレッチリBLOOD SUGAR SEX MAGIK持っている人いたら、








あげます。(笑)
1991年。アメリカ 

LOUIS ARMSTRONG / A MUSICAL AUTOBIOGRAPHY

2011-09-28 22:31:08 | 日々のこと
僕は今の今まで、ヴォイストレーニングと言うものを受けた事が無い。
一度くらいはきちんとしたトレーニングを受けてみたいなあ、と思った事もあるが、なぜか一度も無い。

しかし、歌を歌うようになって今まで、歌い方を自分なりに研究し、意識的に変えた事が3回ある。
たぶん、マイナーチェンジ的に微調整する事とかは、無意識にと言うのも含めればたくさんあると思うが。

初めてバンドで歌い始めたのは、10代のパンク時代だ。
今思えば、歌と呼べたかどうか(笑)。
とにかく、がなりゃいい。って感覚。(笑)
そして、だんだんストーンズとかフェイセズとかはまりだして、それまでと同じ感覚でがなりちらしていると、40分くらいの1ステージが持たない。(爆)枯れちゃうの、声が。暴れてるし。(笑)
そもそも、腹式で呼吸するなんて意識した事も無くて、のどもガチガチに締めまくって歌うから、すぐに枯れる。
こりゃまずいと思い、腹式呼吸やのどの使い方などを自分なりに探した。
ヘッドフォンしてマイクで鏡を前に大きく口を開けて発音する事や、どうやったらのどへの負担が軽くなるのかなどを研究した。
けど、気にしすぎてのどを開きまくるとロックっぽく無いと言う事もわかり、その辺のさじ加減も自分なりに探した。
これが多分22歳くらい。

このあと、ソウルやブルーズにはまっていくと、歌うのが嫌になるくらい打ちのめされるのだが。(笑)
次元が違うぜ。って思った。
聴く人聴く人、みんな超絶じゃん?。ソウルとがブルーズの人。巨人達。
それでも、やめなかったのは今考えてもよくわかんないが、他に出来る事も無かったんだろうし(苦笑)、とにかく前だけ向いて、俺に出来る事を探したんだと思う。
この時、25歳くらいのころだったかな。はじめて、のどを開き、今までより力を抜くと声が通り出す感覚と言うのを何となくだが掴んだんだったと思う。
それと、ナチュラルなヴィヴラートとか、細かい事を気にし出したのかな。
歌の語尾の処理の仕方とかね。
若干フラットして語尾をまとめるとなんかかっこいいなとか(笑)。
もう、この頃はヴォーカルものを聴きまくっていた。

そして、ジャズヴォーカルとかもこの頃聞き出した。
無い物ねだりか、女性のヴォーカルの節回しなんかに憧れて必死に真似したり(笑)。
そう、実は女性ヴォーカルからはかなり影響を受けたはず。ダイナワシントンとかね。

そんな、ヴォーカルものとして手をのばしたのがルイアームストロング。サッチモ。
最初に聴いたときは、「なんじゃこりゃ?」だった。(笑)
そのだみ声。
しかし、そのだみ声とは裏腹になんか明るい。
笑いながら歌っているみたいな、明るさ。
つきぬけてた。なんか。

そして、その後いろいろと知れば知るほど、とんでもない偉人である事がわかっていく訳だ。
どちららと言うと、サッチモはそのエンターテイナーぶりで有名になった気がするが、その音楽は実はとてつもない。
ここには、僕の持っているサッチモのCDで一番ボリュームのある3枚組を上げたが、基本的にサッチモはどれも全部素晴らしいと思う。
あの、ベッシースミスのバックで吹いていたのもサッチモだし、ビリーホリデイのバックでもふいていた。
この世でスキャットを初めてレコーディングしたその人もサッチモだ。
ジャズの人でサッチモを認めていない人は皆無だろう。
あの辛口のマイルスでさえ、サッチモには最敬礼だ。

その時代背景や、生い立ち、当時のエピソードなど(人種差別、偏見。。。)、知れば知るほど、いつも笑いながら歌っているようなその底抜けに明るいサッチモのエンターテイナーぶりの裏に、とてつもないブルーズが横たわっている事に気付く。
それでも、サッチモは黒人特有のモノであったブルーズを大衆の前に笑いながら普及させた、あまりにも偉大すぎる巨人だ。

いつでも、暖かく、笑いながら人を喜ばせ、命を削って演奏していたのだろう。
無人島にはサッチモは一枚は持っていきたい。

1927~1957年コンプリート。

FEIST / LET IT DIE

2011-09-27 23:57:40 | 日々のこと
最近、急に、『涼しい』を通り越して、ちょっと寒いくらいになってきた。
日が暮れるのも、だんだん早くなってきて、『秋だなあ』と感じる。

一日の中で、夕暮れ時に感じる、ある種の寂寥感。
同じように一年の中で、寂しさ、切なさを、この時期から晩秋にかけて毎年感じる。

たぶん、これは人間の中に太古の昔からインプットされてきたバイオリズムなのではないかしら?と、毎年思ってしまう。

昼と夜を繰り返す一定のリズム。

まず人間を構築する細胞があり、その細胞をさらに細分化していくと、核になって、その核を構成する物質を分解していくと、最後にはごくごく微小なヴァイブレーションになると言う。その波形は実は宇宙の根源的な一定のリズムであって、それが地球の自転、公転、いわゆる宇宙を司るリズムだと、かなり大雑把だが、こんな類いの話を昔聞いた事がある。

なるほど、人間の身体には細胞の生死があり、人間の感情には、誰にも多かれ少なかれ躁鬱のバイオリズムがあり、一日の中にも昼夜のバイオリズムがあり、月の満ち欠けや、一年の中での気候の変化など、全て繋がってんのか。
だから、俺みたいに、のほほんと暮らしていても、何かを感じてしまうのか。
だったら、なるべく素直にそれに従うべ。

というわけで、こんな切ない、切々とした季節に、聴きたくなるこんなミュージック。

ファイスト。

カナダ出身の女性シンガーソングライター。

Let it Dieというこのアルバム。
ファイスト自身の透明感のある歌声に、なぜか懐かしさに似た寂寥感をかき立てられる楽曲。
暖かいんだけど、その暖かさと表裏一体になった『影』も感じる不思議な感覚。
きっとこの人の、これまでの音楽的、人生的見聞が影響しているのだろうが、その暖かさと影にかなりの知性を感じる。
きっと、ジョニミッチェルとか好きなんじゃないかなあ。

そして、もう一つの大きな要因は、録音とミックス。
かなり、独特。
メインになっているのは、ピアノやアコギなどのアコースティック楽器がほとんどで、隠し味的に打ち込みやサンプル音。
大げさな仕掛けみたいなモノはないが、ナチュラルでさりげなくありながら、その随所にただようリヴァーヴ、ディレイ、様々なエフェクトを施した音像に並々ならぬこだわりや、確信犯的な意志を感じる。
極上のアンビエント感。

タイトル曲のLet it Dieは、

『さよならして忘れましょう。

失恋で一番悲しい部分は始まりでもなく終わりでもない。

悲劇は最初の出会いから始まっている。』

という内容が、歌われる何回聴いても泣ける歌。

2005年。

Damon Aaron / eaves

2011-09-26 23:09:25 | 日々のこと
僕が高校生くらいのときだから、今からもう27年くらい前だろうか。
1980年代も後半に、日本の音楽業界に自主制作盤ブームがひっそりと始まっていた。
まあ、多分それ以前にもあったはあったであろうが、ブームと言うのはあれが草創期であったと思う。
主にパンクバンドが多かったのだが、自主制作でアナログレコード、ソノシート(懐かしい!ペラッペラのフィルムみたいなレコード!)を作り、
おもに通販、専門店、ライブ会場のみの販売。

その後に、本格的にインディペンデントレーベルブーム、インディーズバンドブームが始まっていく。
それぞれ独自のカラーを持ったレーベルが数々産まれ、消えていった。

しかし、この頃は今みたいに、自宅でさくっとレコーディングして、パッケージングまで「あらよっと」って訳にはいかなかったはずだ。
コンピューターだってまだぜんぜん手の届く代物では無かった。

そして、この国では、インディペンデントレーベルはどんどん巨大化し、一つのビジネスシーンにまで発展する。
これは、とても良い事だと思う反面、疑問もたくさん産まれた。

そもそも、インディペンデントでやる事の意味が随分と変わってきちゃってるんだろうなあ。
メジャー予備軍みたいなさ。(笑)
つまんないよなあ。そういうの。

かといって、メジャーでは出来ない面白い事やろうって、始めて売れるとみんなメジャーに持っていかれちゃう。

もちろんそうじゃ無い人もたくさんいる。

海外だと、アニーディフランコとかすごいね。どんなに売れてもず~っとインディペンデントだし。
彼女は音楽誌より先にビジネス誌に先に取り上げられたと言う逸話もある(笑)。
ジャックジョンソンとかもそうだ。
この辺の人たちの音楽の中に、インディペンデントである事の意味とか、大切さとかあるのではないかと思ったりするのだけど。

まあ、その辺はこの国特有の、音楽業界全体のシステム的なお話や、なんだかややこしい事がたくさんありそうでここでは書きません(笑)。

ただ、世界にはとってもとっても面白い刺激的なインディペンデントな人たちがたくさんいるってこと。
my spaceとかにもたくさんいるね。

そして、このデイモンアーロンって人もその一人。
考えたら、毎回好き勝手に、ここに書いてる人、その半分くらいがそうだったりして(笑)。

この人、デイモンアーロンは1968年産まれらしいから、ばっちり同世代。
カリフォルニアに産まれた。

彼は、いろんな音楽を吸収してきたらしく、やはり、ヒップホップ系だったり、クラブ系だったり、ハウスの人たちとも広く交流があるらしい。

その辺からの影響が、聴けばすぐにわかる音だ。

しかし、メインになっているのは彼のアコースティックギターと歌。
このアルバムはどれも彼のオリジナルで、曲種にあわせていろんなプレイヤーが参加しているが、アーロンはギター以外にも多くの楽器をプレイしているようである。そんなシンガーソングライター表現のアルバム。

なんていうかな、センスの塊だね。いちいち気持ちいい。(笑)
曲も、ものすごくナチュラルでいて、すーっと染み込んでくる感じ。
そして、やはりこのセンスは、かなりの音楽的見聞を持っている人だと思う。
そして、音楽以外の『何か』もたくさん持っているのだと思う。
そう思わずにはいられない深さがある。
だからこその歌声であり、ちょっとしたメロディーであり、『間』なのだなあと。
やっぱり、人間力が広く深いのだろうなあ。

エレクトロニックな無機的でシンプルな打ち込みや、サンプルに、気持ちのよいアコースティックギターの音色がつま弾かれ、その隙間に耳に残る印象的な声が放たれる。
ボブマーリーのアコースティック曲などがよぎる。

そして、終始感じる余裕のような穏やかさ。

きっと追求すべきものは自分の中にあると言う事が、しみこんでいるのだろうなあ。
だから、どんなジャンルにも属さないように見えるし、何処に入っても遜色なさそうに見える。

実はこれ、本当にお気に入りで、実に良く聴いている。
なかなかないんだ、こういうの。

他にも『BALLAST』,『HIGHLANDS』という二枚のアルバムを持っているが全部素晴らしい。
俺も同世代、がんばらねばね。

2004年。アメリカ。



fink / Biscuits For Breakfast

2011-09-25 23:59:08 | 日々のこと
新しい音楽に出会う時って言うのは、大体、自分のマインドに大きく左右される気がする。

こちらのマインドを、こじ開けてくれるような、衝撃的な出会いも無いではないが、それはごくごく稀なケースだ。

こちらがマインドを開き、受け入れる状態が出来ている時、アンテナを張っている時と言うのは、嗅覚も敏感だ。

このフィンクもそういう状態で見つけた一枚。

ショップでジャケをみて、帯びのコメントを見つけた。
「ターンテーブルを手放しギターを手にした。そして自分の感情を込めた。そこにあるのはフォーク/ブルースのアコースティックギターと寂しく切なげな歌。ただそれだけ。けれども、そこには人々の心を捉えて放さない魅力が満ち溢れている。」

すぐにその場で携帯で、you tube検索してみると、何とも味わいのある弾き語りの映像。

すぐに買い。(笑)

帰って即聴いた。

やはり、嗅覚は鈍っていなかったね。
一曲目から、吸い込まれるように引きつけられた。まずはライナーも読まず一通り聴く。クールだ。かっこいい。

ライナーに目を通すと、彼はもともとリミックスやDJとして活動していた。イギリスのブリストル出身で、かつては、トリップホップ的なファンク/ダブなアルバムをリリースしたり、坂本龍一をはじめとした数々のアーティストのリミックスを手掛けたり、DJとして世界中でプレイしてきた。しかし、そんな活動の中で彼はある種の限界を感じたという。
「エレクトロニック・ミュージックにはもう可能性がないと感じた。するべき事にもう興味を持たなくなったんだ。何かが足りなかった。僕がインスピレーションを受けてきたアーティストーージョニミッチェル、ジョンリーフッカー、ジェームズブラウン、ジミヘンドリクス、ジョンマーティンをなぜ好きなのかについて考えたんだ。彼らの音楽がなぜユニークなのかは、自分達の感情を注ぎ込んでいるからなんだ。そしてそれが僕の音楽に足りないところだったんだ。『自分自身』だったんだ。」

そして彼は自らの気持ちに正直に、これまで封印してきたギターを手に取ったと言う。初めてギターにはまった16歳の感覚を取り戻すために。

と、こんな流れらしいが、やはりDJやリミックスで相当いろんな感覚を身につけたのだろうなあ。
はじめてのシンガーソングライターアルバムとは思えない成熟ぶり。
こういう人っているんだよなあ。何をやっても上手くいきそうな人。憎らしいくらい(笑)。

でも、こんな決断って勇気がいる事だと思う。
けれどやると腹を決めた時点で、半分以上は成功しているもんなんだろう。要は、決断できるか出来ないかだ。

このアルバムは、素晴らしい。

ジャックジョンソンやG LOVEあたりと同じグルーヴ感を感じつつも、もうすこし鋭く、UK産特有の影を感じる。
基本的に、アコギの弾き語りにバックはドラム&ベースというシンプルな構成。
しかし、その素朴さの中にも、研ぎすまされた感じが常に漂う。
オーガニックでもあり、無機的でもある。この辺りのミックスのバランス感覚が絶妙だ。
この辺は、間違いなくDJやリミックスで培われたセンスだろう。

それから、特筆すべきは彼の『声』だ。
なんで今まで歌わなかったの?って思ってしまう。
ちょっとハスキーで影があり、こちらを吸い寄せるような何かがある。
いい声だ。

全体のトーンは淡々としていて、ブルーグレイと言う感じか。
何度も聴いていると、じわりじわりと染み込んでくる感じだ。
しばらくこればかり聴くと思う。
この次にも既にアルバムが出ているようだから、必ず手にすると思う。
しかし、今はまず、この一枚をとことん味わい尽くしてみようと思う。
影響されそうだなあ(笑)。

フィンク。ヤバいです。
ジャケもかっこいいなあ。
2006年。UK。

GEOFF & MARIA / POTTERY PIE

2011-09-23 01:59:29 | 日々のこと
ツイッターに上がっていた、忌野清志郎先生のインタビュー。

インタビュアー「尊敬するブルーズマンを5人上げてください」

先生「それは無理だ。そもそもブルーズとR&Bの境目なんて曖昧だし、ジミヘンだってジャニスだってブルーズだ。ストーンズだってビートルズだってそう。こういう質問はブルーズを型にはめてしまうだけだぜ。カントリーだってブルーズじゃん!。」

なるほど。流石。(もしかしたら、答えるのめんどくせ~な~ってのもあったかもしれないが 笑)


大昔、ブルーズは黒人だけのモノだった。
言い方は悪いが、それをかっぱらってロックンロールを産んだのが白人。
そしてそこにブルーズの偉大さを発見して、大昔のブルーズマンに対して尊敬の念を持ち、ロックンロールが巨大ビジネス化した時に、数々のアーティストが昔のブルーズマン達の曲をカバーし、その印税をブルーズマンに流した。

黒人たちは白人のロックンロールを、かっぱらい返して、ファンク等を産んだ。

その根底に流れていたのは、「音楽」に垣根はないってことじゃなかったのだろうか。
新しい音楽を生み出す熱には、過去へのリスペクトが必ずあった。
それと同時に、何かを変える、垣根をぶっ壊す「熱」があったのだと思う。

よく「ほんもののブルーズは、やっぱ黒人にしかできないね」みたいなニュアンスの発言を耳にする事があるのだが、(特にマニアックなブルーズおたくとかね 笑)俺はそんなのナンセンスだと思う。
たしかに、脈々と受け継がれてきた「血」の中に組み込まれた、言葉にはできないモノが存在する事は確かだと思うが、「音楽」はそれだけじゃないと思うのだ。
何が本物か偽物かなんて、ブランド品じゃね~んだからって思う。

自分の脳天をガチ~ンとぶっ叩かれたみたいな、衝撃を受けた音楽に、本気で憧れたら、その先に何があるか知りたくなるだろうし、それを本気で探しはじめたら、もうそれはその人にとって「本物」以外のナニモノでもない。

ただ、それに固執しすぎるのは、それを逆に型にはめてしまうってこと。
そこから始まってしまうクリシェ、紋切り型、はすぐに古くなるし、つまらない。

同じ12小節3コードの常套句をのせた歌でも、全く違う意味を持ってしまうのだと思う。
基準なんかない。

んんんんむ~。

そこで、過去へのリスペクトと過去をぶっ壊す熱だ。

ここにあるジェフ&マリアマルダー夫妻のアルバム。『ポテリーパイ』。
この二人は、1960年代にめっちゃくちゃ過去のブルーズやフォークを研究していた。
このアルバムでも、サンハウスの「デスレターブルーズ」やホーギーカーマイケルの「ジョージアオンマイマインド」とか、様々なカバーをしている。
そして、その出来は、俺なんかが言うのもおこがましいが、素晴らしい。
ルーツへの愛に満ち満ちている。

きっとこれは、過去のグッドミュージックへのリスペクトと同時に、それにとらわれていない自由な発想の賜物だと思う。
大昔のブルーズマンたちの歌を、自分たちの体温で暖め直すって作業を、なんなくやっている。
しかも、相当洒落てる。
ただのマニアじゃない。
こういうのミュージシャンっていうんじゃなかろうか?。

これは、今も昔も変わらない事だと思うんだなあ。
変わる事、変える事を恐れずに、信じたようにそこに突っ込んでゆく勇気。
自由な発想。

今改めて聴くと、身につまされる。
こんな過去へのリスペクトの仕方。
そしてそれを現在に蘇らせるための自由な発想。

今度は、こんな素敵な音楽に対するリスペクトと、それを現代に蘇らせる自由な発想を持って俺が何をするかだね。
音楽は巡る。
1970年。アメリカ。




NICK DRAKE / PINK MOON

2011-09-22 00:46:05 | 日々のこと
今から7年前くらいだろうか。

僕はあるバーにいた。めずらしく。僕は酒をいっさい飲めないので、バーにいると言うのはまれだ。
その日は、友達と一緒で、その友人がのんべえで、入り浸っていたバー。高円寺だったな。
そこで、うだうだバンドの事とか、どうでもいい事を話していた。
そこで、このニックドレイクのピンクムーンがかかっていたのだ。
最初は聞流すというか、話をしながら、ちょっと気になっていて、聴いているうちにだんだん染み込んできて、お店のマスターに「これCDですか?」って感じで聞いて。かわったジャケットで。ニックドレイクのピンクムーン。

いいなあ。なんか、素朴な弾き語りだが、ただ者ではない感がぷんぷん。
繊細で。影がある。
そして、恐ろしくシンプルなギターと歌だけなのだが、曲はシンプルに聞こえはするが一筋縄では行かない感じ。

その3日後くらいに、当時手伝ってもらっていたドラマーのS君とスタジオで何気なく話していた時。僕が「最近なんかいいの聞いた?」って問いに対して、「ニックドレイクって人のピンクムーンってアルバムが凄く良かった」って話を聞いて。
うわあ、シンクロしてる~~~、って思い、これはちゃんと聴くべきなんだって勝手に思い込み、翌日アルバムを探し、家で聴いた。

そこで初めて、彼のバイオグラフィー的なものに目を通した。
21歳でデビューし、26歳の若さでその生涯を終えると言う彗星のごとき人生を送ったSSW。
そのガラス細工のような心の繊細さ故、タフな音楽業界は彼の心を不安定にさせる事ばかりだったようだ。
心のバランスを崩した彼が、もがいているようなアルバムだ。

全編ほとんどがアコースティックギターだけによる弾き語りの、このアルバム。
たんたんと歌うその声は、この上なく憂いを帯びている。
重たい。
しかし、やはり、また聴こうと思わされてしまう。
掴まれてしまう。
わずか30分程度のアルバム。
いつも、聴く度、胸が締め付けられるみたいだ。
リアルで、痛い。


だから、忘れられない。
1972。

笠間 磯蔵

2011-09-21 23:11:09 | 日々のこと
さてさて、明後日になりましたが、茨城県笠間市にある酒蔵でのイベント、「ちょっ蔵酒造を祝う会」にJabBee
バンドで出演します。
茨城方面の方、都内からももちろん(意外と近いっす)、みなさん遊んでください。
詳しくは蔵のブログに。
こちら!

今年は震災で、春の新酒を祝う会が延期になり、いよいよ明後日開催されるとの事。
復興ののろし、の意味もこもったこのイベントに音楽で参加できるのは嬉しい。
毎年欠かさず参加です。

RY COODER / PARIS,TEXAS

2011-09-21 00:59:10 | 日々のこと
映画「パリ、テキサス」を始めてみたのは、多分東京に出てきてまだ間もなかった頃、当時の友達の住んでいた高円寺のアパートの一室でVHSで見たのだったと思う。
この辺の記憶が、実は曖昧なのだが。。。

それから、今まで何度みたかわからない。

そして、何度目位からそう感じるようになったのかわからないが、これは「世界で最も切ない映画」の3本の中には入るだろう(俺調べ)。

まず、そのストーリーの切なさ。
そして、それを際立たせる美しすぎる映像。
ロードムービー的風景。
役者の奇跡的な名演。

いろんな要素が絡み合っている。

そして、音楽。もう、これは絶対にこの音楽でなくちゃだめ。
これ以外は考えられない。

ほとんどがライクーダーのスライドギター一本。
これ以外には考えられないくらい、はまっているのだ。感動的にだ。

いま、映像無しでこのサントラを聴いてるわけだが、やはり、音楽だけでも素晴らしい。

ヴィムベンダース監督作品もこの映画がきっかけで、いろいろ追いかけるようになった。

もしこの映画のサントラがこれじゃなかったら、その魅力は半分以下だったかも。
まあ、脚本も撮影も同じだが。

音楽を聴いて、映像が浮かぶように、映像が呼ぶ音楽ってのもあるはずだね。
まさにこんな事じゃないかな。

いやあ、聴いてるだけで泣けてくる。
1985年。