何の問題も無い事柄に対して、
これは問題だと騒ぎ、
問題だから対策が必要だと騒ぎ、
ひとしきり騒いだら、
まだ解決出来ませんね、
では、次はこの対策を、と騒ぎ、
要するに、騒ぎ続ける。
元々が「無い問題」であるからして、
騒ぎたい人が騒ぎたいだけ、騒ぎ続けられる。
連中は、
「問題がある状態」が続く事が大事であり、
やっている事や言っている事に整合性が無くても、
何とも思わない。
「騒いでいる事」が大事だから。
マスクを筆頭とした感染対策(擬き)といった、
世界で問題とされているウイルスに対して、
あくまで上辺を撫でるような適当極まる些末な話ばかりが
取り沙汰され続ける理由は、
連中にとっては「騒いでいる事」そのものが、大事だから。
残念なことに、何となく漂う、それらの様子の可笑しさに、
大方の国民が気が付かないどころか同調した事が、
日本に於ける武漢ウイルスの問題となった。
初めから、誰もウイルスの話なぞして居らづ、
一方向の思想に仕向けられた。
このような、左翼の遣り口の典型に、
何故、大方の国民が気付かないのか。
ウイルスや免疫やワクチン等に関して、
一般の国民が知る必要など、無い。
判る筈も無い。
騒ぎ続ける様子を見て、
何だか変だぞと気が付いて軌道修正する、
それが、国民に求められた「感染対策」だった。
国民一人一人に、
無い問題で騒ぎ続ける左翼思想からの脱却を求める。
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