『tokotoko』

Fortune comes in at the merry gate.

『映画』

2011-04-01 | 立ち直っていく、という時に。


SP<革命編>を観ました

テレビではじまり、映画<野望編>から、今回の<革命編>へ。

こうなるのかぁ・・・という驚きと、
毎回びっくりしていたアクションに加え・・・人間ドラマが。

人は、人の心の中は、とても不可思議で、簡単ではないです。
人生に、いろんなことの、経験という山や谷があると、そう思う。

説明なんて、つけられないことの方が、多い。

でも、映画やドラマでは、そこの辺り、
できるだけ観る人の気持ちに寄り添っていかないと、理解してもらえません。
そこは、すごく難しいところです。

今回の映画の中の登場人物の心の具合も、
誰かと誰かが簡単に経験できるようなものじゃなかった。

え?と思うような関係がありました。

でも、響きました。

響くというより、
ドスンと何かがはまった気がしました。





いろいろとキャンセルが出て、打合せが飛んだある日。
スタジオのひとが、『カッコーの巣の上で』を持ってきました。



すごく重いテーマです。
とくに、最後のすこし手前のシーンは、思い出すと苦しくて痛い。

『自由』って何だろう?『人間』って?『生きる』って?
いろんなことを思ってしまいました。

前は、前に観た時は、ここまでキツクはなかったのに、
今回は、とても重たいものを抱いた気がします。



刑務所の強制労働を逃れる為に、精神がおかしくなっている人を装うマクマーフィ(ジャック・ニコルソン)

マクマーフィがやってきた病院では、
婦長ラチェッド(ルイーズ・フレッチャー)が絶対的な権限を持っています。

マクマーフィは、ワールド・シリーズの実況をテレビで見れるよう日課の変更を要求します。
病院の方針は、患者の投票に委ねられることになっていたのですが、
無気力人間になってしまっていた患者たちのほとんどは投票をしませんでした。
患者たちの協力が必要だと感じたマクマーフィは、運動を開始します。

再投票が行われ、急性患者9人全員の賛同を得ることができました。
しかし婦長ラチェッドは、この病棟には他9人の慢性患者がいるという理由で却下します。



私の好きだったシーンは、このすぐ後のシーンです



マクマーフィが、患者をリクレーションに連れていく予定だったバスを奪って、
小さな港にみんなを連れて行き、外洋に乗り出す、釣りのシーンです。



みんな、すごくいきいきとしていて、好きです。
大きかったなぁ・・・魚



その後、タバコの配給の件から看護人と争ってしまったマクマーフィは、
罰として他のメンバーと共に電気ショックを受ける事になります。

不安になったマクマーフィを勇気づけたのは、
今まで誰とも口をきいたことがなくて、話せないと思われていたチーフでした。
2人は意気投合。秘かに脱出計画を練り、決行日を決めました。

そんなある日、マクマーフィは看護人を買収し、お別れのパーティを開くことにします。
パーティははじまり・・・みんなははじけきってしまいます。

朝が来て、看護人が驚きます。室内が乱れ、患者たちがそこで眠りこけていたのです。
その後、婦長のラチェッドに攻められたビリーが自殺してしまいます。

ラチェッドの冷酷さにマクマーフィの怒りが爆発し、彼女を締め殺しそうになった彼は、
病室から連れ去られ・・・・。

数日後チーフのもとに植物人間のようになったマクマーフィが、戻ってきました。

マクマーフィをこのままにしておけないと感じるチーフは、その口に、枕を押しつけます。



チーフの友情の示し方が悲しい。



その後、窓を破り、走り去るチーフの姿が、朝日の中にありました。



そういえば、このところ続けて、
ジャック・ニコルソンの若い頃・・・の顔に画面で会ったことになります。

すごい人だなぁと思いました。あらためて。

それで・・・比較的最近のジャック・ニコルソンを観てみました
こっちの方が馴染みのある顔なんだけど、



最近は、こんな姿を続けて観たので、どうも違和感が

 

いえいえ・・・このおじいちゃんのおなかのでっぱり具合も愛らしいです



勤め先の保険会社で、定年退職の日を迎えるウォーレン・シュミット(ジャック・ニコルソン)。
彼はこれまで、妻と離れて暮らす娘と平凡な人生を不満もなく送ってきました。

新たな人生を歩むことになるシュミットですが、
会社中心の生活が染みついていて、どうにも落ち着きません。



昨年末、父が現役を90%くらい引退しました。

長く同じ仕事を続け、がんばってきた父親と、シュミットがなんとなく重なって、
せつない気持ちになりました。



ある日、妻ヘレンが急死してしまいます。

葬儀の準備に追われるシュミットのもとに、
娘ジーニーが婚約者ランドールを伴ってやってきました。



やるせない場面が、

だけどかわいいシーンがたくさんあって、

お父さんを、お母さんを、
離れて暮らしているけれど、大事にしないといけないなぁと思いました。



孤独なシュミットが気持ちを打ち明けられるのは、ある人に手紙を書くこと。

その「言葉」がせつない。

自分の小ささを痛感して、人生に価値はあったのか?と・・・・。

そしてその、せつない顔の奥に、

ちょこっと・・・みえる・・・なんともいえない表情の具合が、

すごくいい映画でした。



ひとは、ひとりでは生きられない。

『だれか』が、『だれかの声』が必要・・・そう思いました。




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