『tokotoko』

Fortune comes in at the merry gate.

『笑顔と怒り顔』

2014-07-19 | ひと


先日、ある取材があり、その場所に同行した。

その取材の主は、
とても素敵な雰囲気のある人なのだけど、

何となく、どこか、うまく行き交えない、
気持ちの良くないかたまり、みたいなものを感じるひとだった。

それは、何なんだろう、何なんだろう、
どうしてなんだろうと思っていたけど、先日、よくわかることがあった。



誰かが間違っているとか、
何が、どうとか、ではない。

仕事をしていると、
どっちが正しくて、どっちが間違っている、というような、
それを決めなくてはいけないような場面にあうことがある。

けど、実際に、深呼吸して、
こっちの顔とあっちの顔をながめてみると、

どっちが正しくて、どっちが間違っている、なんてなくて、

どっちが<誰の>立場にたっているのか、
こっちが<誰の>ことを考えているのか、ということだったりする。

ものは、考えようなのだと思う。

フリーで仕事をしていると、
その場その場が大事なつながりの場になったりするから、

必死に主張しなければならないのはわかるけど、

誰かが悲しい思いをしたり、
誰かの顔がゆがむような場所を作るひとの思いは、

報われない、と、私は思っている。

例え、誰かが悪者になる場面であっても、
その人を悪者にしてしまっていいのか、

自分のひとことの力の大きさを、知って、
笑顔を、怒り顔に変えないことにできる人が、

思いを成し遂げるひとだと、思う。

再起不能にしてしまわないことは、
どんな場面でも、人の力を大事に思える能力は、大切なのだ。

人を信じることは、大事なことなのだ。