しまった。誠にしまった。1ヶ月以上忘れてました。更新。
この1ヶ月以上何をしていたかというと、貧乏をしつつ、自問自答を繰り返しつつ、各方面からのバッシングを軽く受け流しつつ、確信しつつ、いや!?それ違うんじゃね!?と撤回しつつ、桜を見に出かけず、家と暗い部屋で考えつつ、撮りまくった写真を焼いてセレクトしつつ、今まで撮った写真を一つにまとめてみるかーなんて思いつつ、その前にトイレは忘れずに等とチャチャを入れつつ、おいおい世の中何でも金だななんて思いつつ、負けない。などと過ごしていました。
早い話が作品作りをしていた訳ですが、ある人に「作品っていうのは人に伝えるために作るものであってどうのこうの」と言われました。そりゃあそうだろう。と口答えしてみたのですが、いやいやさてさて果たして一体全体そうであろうか?と言う気にもなってきたのです。
毎日を写真の目で見てみると、まあいい感じですよね。そこらのおばあちゃんだって。森なんかもいい感じだなあとか思うし、けっこう水にぬれたものなんかもヌメ感がいい感じ。それらは作品なのか?大体なに?全部なに?どれが?みたいな。これはいいもの。これはいまいち。振り切ってんなーみたいな。右の時はもうとにかく右ー!!左の時は直角以上に左ー!!そんな世の中なので、曖昧にいこうかと思いました。2分の1じゃなくて7,3分の4,9みたいに。僕は数学が大の苦手なので「そのくらい」が得意です。フランスに行った友人はフランス人の知り合いと待ち合わせる時、「それじゃあ夕方で」と時間を決めるらしい。こっちは何時だかわからないが向こうは「夕方」にやってくるらしい。待つらしい。カフェで。ザラらしい。待つのが。すごく気持ちいいなそれ。まーあくまで”らしい”ですが。
作品とはこうであるべきなんてうるさい。グッとくればいいですよね。
肝心なのは感じ方ですな。振り切らない自由を持ってがんばります。もうすぐ生き物も華やぐNATSUだし。
今回文章がめちゃめちゃですな。読んでいて気持ち悪くなった方はお手洗いへダッシュ。写真は落ちきるか落ちきらないか微妙なラインの夕暮れ。