
先日の1月17日は、多くの犠牲者が出た「阪神・淡路大震災」から17年を迎え「防災とボランティアの日」とされています。
そして、巨大津波発生によりさらに多くの犠牲者が出た東日本大震災から、もうまもなく1年を迎えようとしています。
そのような時期に合わせたかのように、「安全・安心な地域・生活つくりフォーラム」が開催されました。
記念講演として、3.11の震災時からその後の復旧に向けて最前線で活動されている(社)仙台市建設業協会副会長の深松 努氏を迎え、講演をいただきました。
演題は、「東日本大震災との戦いと、ここから見える早期に解決すべき課題等について」です。
主に仙台市の津波被害に対しての緊急対応業務や復旧活動について、マスコミ等では報道されていない裏側なども話していただきました。
中でも「啓開作業」という聞き慣れない言葉でしたが、想像しただけで非常に衝撃的な話がありました。
災害が起こると現地までのルートを確保するために建設業者が出動し、道を切り開くということはよく聞きますが、今回は特別な業務であったようです。
土砂崩れや水害時など土や木を相手にするのは日常的な作業の延長ですが、今回の災害では日頃めったに目にしない災害犠牲者の遺体との対面がありました。
自衛隊や救急隊・警察などが入る前の段階で、重機で先陣を切って救急車両が入るためのルートを確保する作業という、遺体を前に泣きながらの作業だったこと、その後の心的トラウマなどよく報道されている自衛隊や救急隊の救助活動の裏でそれ以上に頑張っている人々がたくさんいるということを改めて感じました。
また震災発生後、海外で賞賛され話題となったことに日本人のモラルと共に高速道路のスピード復旧などがありましたが、同じ業界の者として復旧に向けて急ピッチでの作業は見ているだけで元気の出る内容です。
そして、「震災から得られた事」としての話にあった中で、‘建設業は普段は「町医者」、災害時は「救急救命医」’という言葉はとても共感しました。
そのような気持ちをもって、日頃の仕事もやっていきたいものだなと思ったところです。
でも建設業界の現状は、仕事が減り、人も減り、単価も下がって存続する事すら難しい状況になっています。
ホントに災害が発生したら、地元の業者では誰ができるのだろうと不安になるくらい規模が縮小しているのが現状ではないでしょうか。
公共事業の中には「赤字を出してまで受注できない」という現実から、受注者がいないということも実際起こっています。
「仕事を出せば誰かやるだろう...」というような流れを、現状に合わせて早く見直して欲しいところです。
さて、その後のシンポジウムでは「安全・安心な街つくりと山形盆地断層帯への備えについて」という内容で、県の危機管理アドバイザー齋藤 昭氏の講話とパネルディスカッションが行なわれました。
「山形盆地断層帯」については数年前の記事でも取り上げましたが、すっかり記憶から薄れています。
そうでした!予想される「村山大震災」は「阪神・淡路大震災」と同じ規模そして同じ発生確率での直下型地震です。
忘却は人間に与えられた特権ということで、これがあるから生きていけるのだとは思いますが、防災の危機意識だけは忘れないようにしたいものです。
やはり「自分だけは大丈夫」と思っているのが本音です。危ないアブナイ!
主催者が北村山建設業振興協議会であり、参加者も建設関係者が多く自己完結的(?)な感じもありましたが、パネラーから建設業に対する想いも述べられ元気を出さねばと思ったところで終了です。
ガンバロー!日本
ガンバロー!東北
ガンバロー!建設業
頑張りすぎないで、ちょっと一息!
追記!
せっかくなので、内閣府防災担当の「災害被害を軽減する国民運動」のページを紹介します。
その中でもこちらの「一日前プロジェクト」というページがあります。
⇒http://www.bousai.go.jp/km/imp/
「もし、災害の一日前に戻れるとしたら、あなたは何をしますか」というコンセプトで、実際に被災された方々の体験談が掲載されています。
これで、「自分だけは...」 → 「もしかしたら自分も...」 → 「自分だったらこうする...」
に変わったらいいですね!
参考まで...
「一日前プロジェクト」パンフレット(平成23年3月)一括ダウンロード(PDFファイル4.99MB)
※ 備えは「そのうち...」ではなく、「今すぐ...」まで優先順位を上げたいですね!
そろそろ、こちらの備えも...
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