娘さんの体調がひどく悪く、その看病疲れも極限的な状態に達していたある日だった。その日は滅多に口にしなかったコーヒーやアルコールなども、ストレスを紛らわすために少し取り過ぎていたようだという。夜十時ごろだった。自宅でくつろいでいたのだが、急に呼吸ができない状態になってしまい、「七転八倒の苦しみ」のなかで「血の気が引いていった」という。「死ぬと思った」その時である。全身の毛穴のなかから「何かが抜け出し、上に上がっていく感じ」がした。気がつけば、それは自分の意識だったのだが、天井から下を見ている自分に気がついたのである。倒れているJさんを見て、友人があわふためいて救急車を呼んでいたという。
ただ、Jさんは妙に落ち着いた気持ちだったとのことだ。「あー、窓が開いている。子供が風邪をひいちゃう。窓を閉めなくては。帰らなきゃ。ごはんを食べさせなくちゃ、この子は死んじやう。帰らなくちゃ」。そう思ったとたん、意識は身体のなかにあった。そしてまた、「七転八倒」の苦しみのなかにいたというのである。
実際に身体に「死」の危険が訪れていたのかどうかはわからない。だが、彼女は、その時から「死」というものに何の恐れもなくなって、生きることにさえも執着しなくなったと語っている。「なーんだ死ぬってことは死なないってことじゃない」。Jさんは奇妙な、そして飛び上がるような至福感を感じたのである。
彼女は詩を作っている人なのだが、その体験の後で最初に書いた詩が次のようなものだ。
あ-な、うれしや
あ-な、おかしや
あ-な、おもしろ
あな、めでた
それまではうまく作ろうという気持ちが強かった詩作も、それ以来は、「そのままでいい」と思うようになったという。
「この世界がすべてではないことがわかった」。
そして「木も車も、人の心もみな一つに溶け合って生きている。木の葉の一枚も本当に生きている、そして生かされている」
「迷うことは何もない。自分の思うままに生きればいい。問題が起きたら、ただ受け止めればいい」
「ただそれだけ」。(続く)
(安藤治『私を変えた<聖なる体験>』春秋社より)
ただ、Jさんは妙に落ち着いた気持ちだったとのことだ。「あー、窓が開いている。子供が風邪をひいちゃう。窓を閉めなくては。帰らなきゃ。ごはんを食べさせなくちゃ、この子は死んじやう。帰らなくちゃ」。そう思ったとたん、意識は身体のなかにあった。そしてまた、「七転八倒」の苦しみのなかにいたというのである。
実際に身体に「死」の危険が訪れていたのかどうかはわからない。だが、彼女は、その時から「死」というものに何の恐れもなくなって、生きることにさえも執着しなくなったと語っている。「なーんだ死ぬってことは死なないってことじゃない」。Jさんは奇妙な、そして飛び上がるような至福感を感じたのである。
彼女は詩を作っている人なのだが、その体験の後で最初に書いた詩が次のようなものだ。
あ-な、うれしや
あ-な、おかしや
あ-な、おもしろ
あな、めでた
それまではうまく作ろうという気持ちが強かった詩作も、それ以来は、「そのままでいい」と思うようになったという。
「この世界がすべてではないことがわかった」。
そして「木も車も、人の心もみな一つに溶け合って生きている。木の葉の一枚も本当に生きている、そして生かされている」
「迷うことは何もない。自分の思うままに生きればいい。問題が起きたら、ただ受け止めればいい」
「ただそれだけ」。(続く)
(安藤治『私を変えた<聖なる体験>』春秋社より)