Jさんは「迷うこと」がなくなった。そして、振り返れば、考え方が「百八十度変わった」という。あれほど苦しんだ娘さんの問題も、いまでは、「苦しいことも悲しいことも味わわせてもらったんだな」と感謝の気持ちをもっている。「苦しみ、悲しみ、そういうものは全部自分の感情が作っているということがよくわかった。それを娘は私に教えてくれていたんだ」と。
いま彼女は「よくやってきたな」と自分に対しても素直に誉められるようになったし、「娘をもたせていただいたことが本当によかった」と深い感謝の気持ちを抱いて毎日を暮らしている。そして、Jさんはいう。
「生きていること、日常そのものが瞑想なのだ」と。
(安藤治『私を変えた<聖なる体験>』春秋社より)
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覚醒・至高体験事例集のほとんどは、体験者が直接語ったものだが、Jさんの体験は、著者である安藤治氏がまとめたものである。しかし、苦悩の極限からの劇的な精神変容は、きわめて印象深く、捨てがたいものがあった。
Jさんが、本当に死のぎりぎりの間際までいったのかどうかは定かではない。しかし、この事例集で取り上げた鈴木秀子氏の場合のように「臨死なき臨死体験」を報告する人もかなりおり、臨死体験とは何かを考える上でも、大いに研究すべきものと思う。
その体外離脱体験の特徴も、その間に肉体的な苦痛を感じていないことも、体験後の「宇宙との一体感」も、プラスの方向への精神の変容も、多くの臨死体験者の報告と共通するものである。
いま彼女は「よくやってきたな」と自分に対しても素直に誉められるようになったし、「娘をもたせていただいたことが本当によかった」と深い感謝の気持ちを抱いて毎日を暮らしている。そして、Jさんはいう。
「生きていること、日常そのものが瞑想なのだ」と。
(安藤治『私を変えた<聖なる体験>』春秋社より)
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覚醒・至高体験事例集のほとんどは、体験者が直接語ったものだが、Jさんの体験は、著者である安藤治氏がまとめたものである。しかし、苦悩の極限からの劇的な精神変容は、きわめて印象深く、捨てがたいものがあった。
Jさんが、本当に死のぎりぎりの間際までいったのかどうかは定かではない。しかし、この事例集で取り上げた鈴木秀子氏の場合のように「臨死なき臨死体験」を報告する人もかなりおり、臨死体験とは何かを考える上でも、大いに研究すべきものと思う。
その体外離脱体験の特徴も、その間に肉体的な苦痛を感じていないことも、体験後の「宇宙との一体感」も、プラスの方向への精神の変容も、多くの臨死体験者の報告と共通するものである。