ロック・コンサートに行くべきだろうか Ⅲ
手が付けられない状態
コンサートではどんなことが行なわれるのでしょうか。ステイシーという十代の少女は友達と,比較的無害な音楽を演奏するように思えたバンドのコンサートに行きました。
しかし,コンサートの半ばにさしかかったころ,バンドのリーダーが降神術まがいのことをし,霊界とコンタクトを取るよう観客にも勧めたのです。ただの冗談だったのでしょうか。
そうかもしれません。しかし,聖書がどんな種類の心霊術も非としているので,ステイシーと友達は,会場から出なければならないと感じました。
「霊媒師に頼ってはならず,占い師に相談してはならない。汚れることのないためである。私はあなたたちの神(エホバ,ヤハウェ)である」。
(レビ記 19:31)
「あなたの中に,自分の息子や娘に火の中を通らせる者,占いに頼る者,魔術を行なう者,吉凶の兆しを求める者,呪術を行なう者,また,まじないで他の人を縛る者,霊媒に相談する者,出来事の職業的予告者,死者に問い尋ねる者などがいてはいけない。すべてこうした事を行なう者は神にとって忌むべきものであり,これら忌むべき事柄のゆえにあなたの神(エホバ,ヤハウェ)は彼らをあなたの前から打ち払われるのである。あなたは,あなたの神(エホバ,ヤハウェ)に対してとがのない者となるべきである」。
(申命記 18:10~13)
「犬ども,魔術を行う者,みだらな者,人を殺す者,偶像を礼拝する者,また偽りを好み,これを行う者どもは,外に留まれ」。
(黙示録・啓示 22:15)
同じような悲惨な経験をしたクリスチャンの若者はほかにもいます。というのは,ロック・コンサートで公然と心霊術を行なうことは比較的少ないかもしれませんが,手が付けられない言動は普通のこととなっているからです。あるコンサートでは,バンドの人たちが暴動を起こすようけしかけ,60人が負傷し20万㌦(2,000万円)を超える損害が出ました。別のコンサートでも,若者3人が圧死しました。確かに,ほとんどのコンサートは,暴動と化したり,負傷者や死者を出したりしないかもしれません。
しかし明らかに,警戒する必要はあります。箴言 22章3節は,「災いを見て身を隠す者は明敏である。しかし,経験のない者たちは進んで行って,必ず報いを身に受ける」と述べています。
「聡明な人は危険に気付いて身を隠すが,経験のない人たちは進んでいって当然の報いを受ける」。
(箴言 22:3)
それでコンサートに行きたいと思ったら,情報を集めてください。そのバンドは手の付けられない言動を駆り立てるという評判があるでしょうか。そのバンドにはどんな観客が集まりますか。
「惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです」。
(コリント第一 15:33)
どの程度,アルコールや麻薬が使用されますか。また,コンサート会場はどうですか。過去に,安全面で問題はなかったでしょうか。座席の取り決めはどうなっていますか。全席が自由席の場合,
けが人の出る可能性は非常に大きくなります。
ロック・コンサートでは麻薬やアルコール飲料の乱用が広まっています。若いときに正統派ロックバンドのコンサートに行き,幻滅した一人のクリスチャンの男性は,「人々は音楽を聞きに行くのではありません。酔っぱらうために行くのです」と語りました。
十代のクリスチャンの少女も同じようなことを言っています。「“新進”のバンドのコンサートに行ったときのことを覚えています。本当にひどいものでした。みんなマリファナを吸っていました。
言葉遣いも悪いし,服装を見ると悪魔崇拝者のような人も大勢いました」。
麻薬やアルコールが厳しく禁止されている所でさえ,観客の多くは会場に来るときすでに酔っていることも珍しくありません。そのような集まりに行くことは,『不敬虔と世の欲望とを振り捨て,健全な思いと義と敬虔な専心とをもって生活する』ようにとの聖書の命令に調和するでしょうか。
「その親切により私たちは,神への不敬や世の欲望を退けること,また,今の体制の中で健全な考え方をし,正しく行動し,神への専心を示しながら生活することを学んでいます」。
(テトス 2:12)
周囲からの影響力
しかし,自分がそうした騒ぎに関係しない限り,周りにどんな人がいるか心配する必要はないと思うかもしれません。ところが,周囲から影響を受けるのです。
聖書はエフェソス 2章2節で,「空中の権威……不従順の子らのうちにいま働いている霊」について述べています。この世には「霊」,つまり支配的な精神態度があることに注目しましょう。
それは空気と同じように,どこにでも充満しているのです。しかし,この霊,つまり態度には「権威」があることにも注目してください。それに身をさらすなら,考えや感情,振る舞いが変えられてしまうほどの力があるのです。
この強力な空気を吸い込みながら,影響を受けないではいられません。
ほとんどの場合,ロック・コンサートでは,世の霊にまともに身をさらすことになります。たいてい会場内に行き渡っている騒々しい雰囲気とか,演奏家へのほとんど崇拝行為ともいえる,金切り声を上げる人々やウエーブをする人たちの中へ簡単に引きずり込まれてしまいます。
そうした過度の称賛は,神に正当に属する崇拝を否定することになります。それは聖書で明確に非とされている偶像崇拝を意味するのです。
「ですから,愛する皆さん,偶像崇拝から逃げ去ってください」。
(コリント第一 10:14)
「子供たち,偶像から身を守りなさい」。
(ヨハネ第一 5:21)
あなたは,偶像崇拝に関係する危険を冒したいと思うでしょうか。
ほとんどのロック・コンサートには,参加して得られるかもしれないどんな益をも相殺してしまう危険がはらんでいる,と言っても間違いないでしょう。もちろん,特定のコンサートに行ってもよいかどうかを決める,最終的な決定権は親にあります。
しかし,自分で決定する自由があるなら,賢い選択をしてください。ロック・コンサートに行くことに伴う危険のない,健全な楽しみはたくさんあります。