窓辺びより

毎日が平凡だなんてとんだ勘違い。カーテンを開けよう。ほら、今日も窓辺びより

理系モラトリアム

2009-10-21 21:36:38 | 雑記
 今日は農学部で植物が夜眠る仕組みの研究に関する講義がありました。ネムノキとかが夜に葉を閉じてたり、タンポポの花が夜しぼんだりする、アレのことです。「就眠物質」と呼ばれる物質が関与しているのですが、そんな講義の終わりに

「……でもね、こういう研究って公費でやる訳だから、やっぱり研究を続ける為にはそれなりにお上の人たちを説得しなくちゃならんのですよ。だから就眠物質を阻害して植物が眠れないようにすることで雑草を枯らす除草剤づくりに活かせる、とかね。嘘でも何でもいいので、これは役に立つ研究ですよってそれなりの理由をつけるんです。騙す、って言ったら言い方が悪いが、まあ一種のプレゼンですよね」

なんて話がありました。


 うーん、どうなんだろう。自ら研究の必要性をアピールしないといけないのって、なんか釈然としないなあ。社会から究明を必要とされるからこそ研究者っていうのは公費を使って研究を行うものなんじゃないの?それを自らあの手この手で「必要な研究」であるように見せるのって……


 まあ研究者=自分の趣味の研究を好きなだけできる美味しい職業、なんて言う人もいますよね。社会の要請云々と関係なく、自分の不思議に感じたことを探求するのが研究者だ、と積極的に捉えることだってできるんでしょうけど。


 でも、働くならやはり社会の役に立つ仕事がしたいと思うし。研究活動は「人類全体の知の成長に貢献した」という意味で必ず社会の役に立ってるんでしょうけど、そんなたいそうで回りくどい貢献じゃなくて直接社会と繋がりを持って何か役に立てる仕事がしたいな、と思うわけです。


 それを叶える為に、研究者と言う選択肢を選んでよいのか。もしよいのなら、どんな研究者になればよいのか。いや、そもそも自分は研究職がつとまるようなタイプの人間なのか……なんだか色々、考えてしまいます。とりあえず専門課程が2年間だけでは理系で学ぶ意味が無いからと思ってはじめから大学院進学を想定している訳ですが、それはつまり就活せず更に2年間追加で大学生活を送る気でいる、という事にもなる訳ですね。一種のモラトリアムでしょうか。悪い言い方をすれば、先延ばし。


 農学部は純粋な学問としての生物と農業を通じた生きた社会の話がどちらも聞けるので、その点ではやっぱりここに来て間違いは無かったなぁなんて思ってます。とりあえずこれからしばらくは様々な人の話を聞きつつ、色々思い悩む日々が続くんでしょうね。




P.S.
 さてさて、これから照明ヘッドと配色打ち合わせ@自宅です。
 住む家が近いと便利なものですね(笑)