近所のM小学校が行っている河川浄化活動の講師に招かれた。
M小学校は、私たちが行っている活動を教材に、子どもたちの話す力、聞く力を伸ばすというユニークな総合学習に取り組んでいて、子どもたちの学力が向上につなげようとしている。
その取り組みの姿勢も素晴らしいが、先生が変わってもそれを継続しているところがもっと素晴らしい。先生同士のコミュニケーションがよく、そういう環境を作っている校長、副校長の手腕も影響しているのだろう。
河川浄化についての質問は、すでにかなりの予習をへてきたせいもあり、非常に高度であった。
地域をよく見る。現状をよく見る。そして原因を学び、解決策を探るという活動のセオリーを忠実にこなしている。本質を突いてくるので答えるほうはたじたじである。
子どもたちの質問の中で、非常に面白い質問があった。
「ヘドロの原因は川沿いの木から落ちる葉っぱだと聞きました。あの木のせいで辺りが暗くなってしまっていることもあるし、切ったらどうだろう?」
という質問だった。他の人に意見を聞くと
「人の生活に邪魔にならない程度に切ったほうがいい」
「でも東京の緑は減ってきてるそうだよ」
など、様々な意見が出た。私は
「面白い題だから、じっくり時間をかけて考えてみるのもいいね」
とだけ話し、意見は言わなかった。
治安の面から見たらどうだろう、ヒートアイランドの面から見たらどうだろう、鳥たちの視点から見たら、近隣に住む人の考えはなどなど、これから色々と出てくることだろう。
彼らがこれからより多くの時間を川や周辺の樹木に費やし、人間の都合と自然との境界線をどうやって引いていくのか、そしてその境界線を守っていくために何をすべきなのか、自分の目で見て、自分の頭で考えてくれることを願っている。
私たちは町を人の手の届かない原生林(ウィルダネス)に戻すことはできない。でも樹木や川がないコンクリートジャングルでも生きていけない。
ではどこで折り合いをつけていくべきなのか?
私たち現代人は、まだその答えを持ち合わせていない。
想像力豊かな彼らの意見を聞きながら、一緒に考えていくことは楽しい。
彼らがこれからどうやって成長していくのか、私にはわからない。
けれど彼らがこれからの時代を生きていくうえで重要なことを一緒に考えるきっかけづくりに係わらさせてもらっている事を幸せに思う。
M小学校は、私たちが行っている活動を教材に、子どもたちの話す力、聞く力を伸ばすというユニークな総合学習に取り組んでいて、子どもたちの学力が向上につなげようとしている。
その取り組みの姿勢も素晴らしいが、先生が変わってもそれを継続しているところがもっと素晴らしい。先生同士のコミュニケーションがよく、そういう環境を作っている校長、副校長の手腕も影響しているのだろう。
河川浄化についての質問は、すでにかなりの予習をへてきたせいもあり、非常に高度であった。
地域をよく見る。現状をよく見る。そして原因を学び、解決策を探るという活動のセオリーを忠実にこなしている。本質を突いてくるので答えるほうはたじたじである。
子どもたちの質問の中で、非常に面白い質問があった。
「ヘドロの原因は川沿いの木から落ちる葉っぱだと聞きました。あの木のせいで辺りが暗くなってしまっていることもあるし、切ったらどうだろう?」
という質問だった。他の人に意見を聞くと
「人の生活に邪魔にならない程度に切ったほうがいい」
「でも東京の緑は減ってきてるそうだよ」
など、様々な意見が出た。私は
「面白い題だから、じっくり時間をかけて考えてみるのもいいね」
とだけ話し、意見は言わなかった。
治安の面から見たらどうだろう、ヒートアイランドの面から見たらどうだろう、鳥たちの視点から見たら、近隣に住む人の考えはなどなど、これから色々と出てくることだろう。
彼らがこれからより多くの時間を川や周辺の樹木に費やし、人間の都合と自然との境界線をどうやって引いていくのか、そしてその境界線を守っていくために何をすべきなのか、自分の目で見て、自分の頭で考えてくれることを願っている。
私たちは町を人の手の届かない原生林(ウィルダネス)に戻すことはできない。でも樹木や川がないコンクリートジャングルでも生きていけない。
ではどこで折り合いをつけていくべきなのか?
私たち現代人は、まだその答えを持ち合わせていない。
想像力豊かな彼らの意見を聞きながら、一緒に考えていくことは楽しい。
彼らがこれからどうやって成長していくのか、私にはわからない。
けれど彼らがこれからの時代を生きていくうえで重要なことを一緒に考えるきっかけづくりに係わらさせてもらっている事を幸せに思う。