河川浄化活動のヒアリング調査のため、地元の中学校へ。
図書室ではいくつかのグループに分かれた子供たちが、模造紙に川の歴史や活動の概要などを書き込んでいた。
ヒアリングの班にいくと、子供たちが考えたという質問を受けた。
「どうしてこういう活動を始めようと思ったんですか?」
「どれくらいの期間をかければ川はきれいになると思いますか?」
「ふだんはどんな仕事をしているのですか?」
「奥さんとはどうやって知り合ったんですか?」
「奥さんに支えられていると思うことはありますか?」
…、質問があとになるにつけ、河川浄化活動とはなんも関係ない質問ばかりになった。
しかも模造紙に書き込んでるし…。
こいつら、なんの勉強してんだ?
家に帰って話をすると
「まあ、あの年代はそういうことに興味があるんでしょ」
とそっけなく答える妻。
環境教育には回り道や道草も必要ということだろうか?
図書室ではいくつかのグループに分かれた子供たちが、模造紙に川の歴史や活動の概要などを書き込んでいた。
ヒアリングの班にいくと、子供たちが考えたという質問を受けた。
「どうしてこういう活動を始めようと思ったんですか?」
「どれくらいの期間をかければ川はきれいになると思いますか?」
「ふだんはどんな仕事をしているのですか?」
「奥さんとはどうやって知り合ったんですか?」
「奥さんに支えられていると思うことはありますか?」
…、質問があとになるにつけ、河川浄化活動とはなんも関係ない質問ばかりになった。
しかも模造紙に書き込んでるし…。
こいつら、なんの勉強してんだ?
家に帰って話をすると
「まあ、あの年代はそういうことに興味があるんでしょ」
とそっけなく答える妻。
環境教育には回り道や道草も必要ということだろうか?