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ロハ好き!

~地球と仲良くできるやさしい暮らし

横文字はムズカシイ

2005年10月19日 | 話し方
アクセシビリティ
カスタムメイド
コージェネレーション
リードタイム

これらの意味はお分かりでしょうか?
正直、私にはキビシイ言葉でした。
ちょうど、留学していたときのことを思い出します。
「なんとなくニュアンスは分かるけれど、100%自信を持って理解しているといえない」

これらの外来語に対し、国立国語研究所は分かりやすい言葉に言い換える言葉を検討中だ。
ちなみに先ほどの言葉は、上から「利用しさすさ」「受注生産」「熱電供給」「所要時間」となっている。

これらの置き換え語は、おもに自治体広報誌など公共性の高い文書で使用する予定だそうだ。高齢社会になるのであれば、当然だろう。

ちなみに私もよく使うヒートアイランドも「都市高温化」に直されていた。
反省である。

これらの外来語は、英語が多いが、だからといってアメリカなどで通じるかというとそうでもないのが、また面倒くさいところだ。
たとえば「ノートパソコン」はアメリカでは「ラップトップ」という。
「ノートPC」
といっても通じないのである。
こういうところも、ついでに統一してほしいものだなあ。

親子のコミュニケーション

2005年06月04日 | 話し方
近隣小学校のPTAさんと会合。
親子のコミュニケーションが問題になっていて、学校外で親子がコミュニケーションを図るような企画を考えているという。
子供がどんなことをしていて、どんなことを考えているのか、知らない、興味がない親が増えているそうだ。
一人にひとつの部屋があって、テレビゲームがあって、塾があって、その生活を維持するために忙しく働いていては、会話する時間もないのかもしれない。
共通の話題や共同で作業する時間が少しでもあればいいのに、と思う。
コミュニケーションの勉強を本格的に始めてから6年になる。環境問題をわかりやすく、楽しく子供たちに伝えたいと思ってはじめたのがきっかけだ。
これまであまりニーズはなかったが、状況は少しずつ変わってきたのかもしれない。
微力ながら役にたれればと思う。

新入社員研修スタート

2005年04月05日 | 話し方
春の新入社員研修がスタートした。
ビジネスマナーの講師として某企業へ。
「マナー」
と聞くと、『三つ指立てて~』みたいなことを想像する人もいるかもしれないが、人の話を聞き、人前で話し、信頼関係を築いていく、そんな日常行っていることを振り返るのだ。
学校を出たばかりで緊張気味の新入社員のみなさんが、ストレスやプレッシャーに押しつぶされないためのガイドのようなもの。
「お辞儀って難しいなあ」
「電話は緊張しますぅ」
「わかっていることとできることは違う」
などなど、講座を進めるうちに積極的になっていく受講生たち。
マナーと言われてしまうと私もとっても緊張するのですが、社会に飛び出したばかりの若者と接するのはとても楽しいものです。

あきらかに変ったホリエモンの話し方

2005年03月15日 | 話し方
昨日報道ステーションで古館氏とホリエモンのインタビューが放送された。
最近、古館氏の煽るような質問をよく耳にし「またか」と思っていたが、さすがそれではよい話は引き出せないと今回はスタイル修正をかけたようだ。さすがプロ。
それより意外だったのは、ホリエモンの話し方だ。
ここ数日、あきらかに協調路線に話し振りが変ってきたが、今回のインタビューはそれどころではなかった。

堀江さんは考えてきたと言う例え話を披露。
「テレビやラジオはフランス料理でわれわれはジンギスカン料理屋。フランス料理では作る過程でたくさんの食材余りが出る。羊肉のいいところをフランス料理で使って、余りをただ捨てるのではなく、それを私たちが使ってよいジンギスカン料理ができる。協力することでお互いがハッピーになるじゃないですか。」

この話を聞いて私は「上手いな」と思った。この話の中にあるのは、お互いがハッピーになるというたとえだけではない。フジはフランス料理で自分たちはジンギスカン料理屋と例えることで、暗に自分たちを謙った「イメージ」を与える表現をしている。
「みなさまあっても私どもでございます」
という姿勢は、『謙譲』を美徳とする日本人が大好きなもの。日本文化では『面子』という目に見えないがとても大切なマナーがある。
おそらく全くそんなものに価値を見出さない日本人離れした感覚のホリエモンが、なんの躊躇もなく自分のプライドを捨て、日本人好みの表現ができた。
その柔軟性と器の広さに驚かされる。おそらく彼はマスメディアの向こうにいる世論というものが、効果的な「資源」であると判断したのではないか?それとももともとそういう人間なのか?
ともかく、画面上のホリエモンは変化したように見える。

自分が何故受け入れられないのか?
言葉なのか、立ち居振る舞いなのか?
言葉じりを煽るメディアへの苛立ちがあるのだと思う。
しかし、苛立つことで自らを失うのではなく、学習し、修正をかけることができた柔軟性には驚かされる。コミュニケーションにおける表現方法に修正をかけるというのは、そんなに簡単にできるものではない。感情的になれば特にだ。なのに彼にはそれができている。

今までにない思考経路や行動をするホリエモンは、さながらロボット映画に出てくる主人公のよう。
おそらく彼は支配欲もなく、自分がトップに立ちたいという欲もそれほど強くないのかもしれない。むしろ、無邪気な子供のようにITがもたらす幸せな世界に憧れ、夢を実現するために時には感情を捨て、機械的最短経路を選ぶマシーンなのかもしれない。