タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

孔雀王と密教と高野山・・・

2023-06-25 19:04:17 | 日記

以前書いたかも知れないが再度・・・

昔、漫画で「孔雀王」と言う密教漫画が流行った。

密教とオカルトと超能力とケンシロウが混ざったような漫画で面白かった。

実写版映画にもなり、三上博史が孔雀役で主演をした。

臨兵闘者皆陣列在前 (りん・ぴょう・とう・しゃ・かい・ちん・れつ・ざい・ぜん) と、印を組み熱線を発すると魔物が消滅する。

漫画の方の孔雀は確か、「オン・インドラヤ・ソワカ」と帝釈天真言を唱え、雷?を発していたと記憶している。(定かではない)

私はその頃既に、高野山の参与会員だったので、送られてくる高野山教報を読んでいると、

「高野山でお坊さんになりたいです」と、一般人の入門希望者が後を絶たなかったのだとか。

理由を聞くと、

「密教を学んで超能力を身につけ、孔雀王のようになりたい」と言うのが大半だったとか。

受付対応の役僧は、(またか・・・) といつも思っていたそうである。

密教を学んでも、超能力は身につかない。密教の作法は身につく。護身法は習うそうなので、「障りから身を守る」作法は身につく。九字護身法も習うと菩提寺さんが言っていた。

それらは超能力ではなく、密教の修法をする際、例えば、護摩作法をする時でも、さまざまな諸仏・諸尊・諸天を勧請 (かんじょう=お招きすること) するので、失礼のないように、行者自身の身心を浄める作法と言ってもいいと思う。(私は真言宗の檀家であるが素人なので言葉が適切かはわからないが、概ね、そういう意味)

何度か書いたが、素人が真言を唱えても、なんの霊験も無い。

霊験がある風に言っているのは、新興宗教団体や怪しげな寺だけである。

超能力や神通力など、願ったところで得られるものではないのに、そういうものを求めて、密教や、または、神社・仏閣を参ると、「魔に魅入られる」。

私も真言宗の檀家なので、日々、自宅でお勤めはしている。

小さい仏壇ではあるが、本尊・両脇侍、それに成田山大阪別院ほか不動護摩札もお祀りしている。

お勤め・・・勤行とは、御利益を願うものではなく、仏さまに対して礼拝供養するためのものである。

ご真言も、十三仏や光明真言ほか、基本的な真言は普通に唱えられる。

こんなもの、四国遍路すれば誰でも「そらで」唱えられるようになる。

菩提寺での回向では、諸観音の真言もいくつか唱えているので、一緒に唱えるうちに、十一面・千手・馬頭・じゅんてい・白衣・如意輪ほか観音真言も自然に覚えた。

が・・・そんなことは、真言宗の檀家なら唱えられて当たり前。

愛染明王真言も真言宗ではよく唱えるが、小呪・大呪も覚えた。(奈良・西大寺の愛染明王御守に、オーン マーカーラギャー・・・と真言が印刷してあり、唱えましょうと書いてあるので大呪を覚え、小呪は高野山の坊さんから教わった)

今はなんでもインスタント時代。コンビニの「レンジらーめん」も、レンジでチンするだけで、ラーメン屋のラーメン並の味が味わえる。

が・・・神仏いずれも、インスタントには何も成就できない。

神仏いずれも、われわれ人間のことは、よく見ておられる。

「霊感のれの字」も無い行者もどきや、坊主もどきや、霊能者きどりの芸能人がよくいるが・・・はっきり言って、詐欺師そのものである。

「ぜんぜん見たことないやろ」と言うような輩ばかりである。

私は霊感はある方だが、職業的に、そういうのがある人たちは、私の今までの経験から言うと、「看護師」さん・・・「患者の死を看取る看護師」さんが、霊感強い人が多いと思う。同じ看護師でも、眼科や歯科の看護師や皮膚科の看護師は・・・ないと思う。

世の中には、詐欺師まがいの連中がよくいるが、私はそういう人間は見ればすぐわかる。

中には、「他人の体験談」を、さも「自分の霊験談」として語る輩も多々いるので要注意。

「綺麗ごとばかり言う者」、逆に「脅しばかり言う者」「さも神仏が見えるかのように言う者」「自身が霊能力に優れているように吹聴する者」・・・こういうのは偽物が圧倒的に多い。結果的に、「金」につながる所が一点でもあれば、近づかない方が無難。

密教とは、「身の悪業」「口の悪業」「心の悪業」を、「身密」「口密」「意密」・・・三密へと転化することに重きを置く仏教で、顕教とは違った趣。

ただ、顕教・・・特に修行をする坊さんと言えば、禅宗が有名だが、禅宗の坊さんと、密教の坊さんと、どちら人間的に優れているかと言えば、それは、人それぞれ。顕教・密教両方あるのは、天台宗。ただ、天台宗の坊さんが禅宗の坊さんほど坐禅をするかと言えば、それは、禅宗の方が坐禅のエキスパートである。

しかし、天台宗には止観 (禅) 、密教両方ある。回峰行のように、修験の源流のような行もある。

密教に魅力を感じるなら、高野山の専修学院で学べばいい。ただ、キツい・・・と菩提寺さんは言っていた。インスタントには密教は覚えられるものではない。

「ものすごく」覚えることが多い。奈良・大安寺の副住職が、本で如実に書いているので、気になれば参照まで。

『大安寺の365日』(副住職 河野裕韶著)アマゾンでも買える。

話変わって・・・

孔雀王の作者、荻野真さん (故人) が以前夢に出た。

会ったこともない人だが、ある日の夢で、

荻野さんと私が合流して、出雲大社のスサノオノミコトに会いに行くと言う。

出雲大社にある二階建ての建物の二階に案内され、荻野さんと待っていると、

「どっかどっかどっか」と雄々しい足音と共に、若かかりし日のスサノオノミコトが現れ、

「よく来たな~」と、私と荻野さんを「しげしげ」見つめ、

怖いから私と荻野さんが、縮こまっていたところで・・・

目が覚めた。

(スサノオノミコトは、大柄でした・・・)

・・・・・

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