昨日は、湯沢高校稲川分校の閉校式です。40年の歴史
秋田県知事・県教育長・湯沢市長・衆議院議員・県会議員や元職員、同窓生など約200名弱の方がご列席していました。
地元商店会代表として会長と一緒に出席してきました。
元卒業生が数十年前に当時生徒会長で自分が書いた文集を見て感慨に浸っている場面です。多分取材も受けていたので後日朝日放送で流れると思いますので期待して下さい
佐竹秋田県知事による来賓挨拶↓↓
商店会に地域貢献活動の感謝の印として感謝状を頂きました。
47年まえの稲庭中学校(すでに、ボロボロな木造校舎でした。)が数年後にそのまま分校になったので廊下のきしむ音や教室を見て当時を思い出し学び舎が、懐かしく思いました。
その後、場所をホテルに移動しての分校語る会では、40年ぶりに会う高校の同期生が、本校の事務長していたりまた、最後の分校のPTA会長だったりと驚きの出会いもあり楽しく語りあえました。
3月7日のさきがけ新聞によると1953年に旧稲庭中学校として建てられた木造校舎だったようです。1978年に湯沢高校稲川分校として使用
秋田県知事・県教育長・湯沢市長・衆議院議員・県会議員や元職員、同窓生など約200名弱の方がご列席していました。
地元商店会代表として会長と一緒に出席してきました。
元卒業生が数十年前に当時生徒会長で自分が書いた文集を見て感慨に浸っている場面です。多分取材も受けていたので後日朝日放送で流れると思いますので期待して下さい
佐竹秋田県知事による来賓挨拶↓↓
商店会に地域貢献活動の感謝の印として感謝状を頂きました。
47年まえの稲庭中学校(すでに、ボロボロな木造校舎でした。)が数年後にそのまま分校になったので廊下のきしむ音や教室を見て当時を思い出し学び舎が、懐かしく思いました。
その後、場所をホテルに移動しての分校語る会では、40年ぶりに会う高校の同期生が、本校の事務長していたりまた、最後の分校のPTA会長だったりと驚きの出会いもあり楽しく語りあえました。
3月7日のさきがけ新聞によると1953年に旧稲庭中学校として建てられた木造校舎だったようです。1978年に湯沢高校稲川分校として使用
無くさないで欲しいけど
少子化で生徒がいないのでは
どうしようもないですね
思い出の中学時代が消えてしまう
昭和44年卒
それまで湯沢北高等学校分校は小学校の
中にありました、火事で焼けてしまい、中学 校に、行くようになりました、昭和35年夏の
(1960年)ことです、あれから、48年たちま す