ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

SNSにおける世代間での「自虐ネタ」とコミュニケーション構造

2023年01月16日 | 雑記
先日、正月のテレビ番組で明石家さんまさんのトークを聞いていまして
ふと気づいた事があります。

「もしかして、バブル世代より上の世代は自虐ネタ多い?」

そういえば…昔は同人誌におけるゲームレポなんて
「攻略」ではなくて「こんな失敗をした」というのをネタにした本は多かったです。
今のSNSで育った世代からは
「意味不明」とドン引きされるのかもしれませんが
わざわざ、自分のダメさでアピールしていた…ような気がします。

最近は、ゲームで失敗したなんて侮蔑すべきことで
「謙遜」「能ある鷹は爪を隠す」とは真逆です。
ゲームもソロでやるものから
「ジャンル知識を網羅した上で強さを極めたヘビーユーザーが尊敬される」
特にマルチ、オンラインが進んでからはそうなりました。
「ゆるくてへっぽこなゲーマーで」なんて言えば
「そんな人はついて行けないんで。辞めたらどうですか」って返ってくる。おいおい。
「(笑)」ってつけないといかんのですかね?
ゲームは既に遊ぶものでは無くスポ根だ…。


今の私の周りの20代(仕事先や親戚に限ってしまいますが)
完全にSNSありきで育った世代は、自分がいかに優れているかをアピールする
「自己顕示世代」です。

SNSには「いいね」ボタンがついています。
これは外したくても自分で外せない枷です。
いいねを目に見える数値でいかに獲得したかはステータスです。

一方、SNS無き時代に育った世代は
親や先生からは厳しく躾され、競争させられていただけに
人間関係をうまく築いていくにあたって
より「嫉妬されないようにする」必要がありました。
今時よりも幾分「密」な関係性の中では
いかに自分がダメかで、相手に対し「あなたの敵ではない」 と
安心してもらうほうが良かったのです。

視覚を伴わない言語表現のみでの話になりますが
いずれにせよ、SNSに浸かりきった人ほど
「自虐ネタはウザい」と感じるのではないでしょうか。
それに対してどうリアクションをしていいか解らないからです。
「良かった自慢」には「いいね!」できる。
日常でも同様。「ええ〜スゴいです!良いじゃないですか!」
でも、「失敗した」って、何て言えと言ってるの?まさか「ざまあw」じゃないよね? 苦笑しかできない、どうしろと…


最初から「同じ」を共有できて、表情を伴う音声会話をしていた
バブルより上の世代と
価値観が多様化した中で音声表情はない「情報」から何かを共有していかねばならない世代とで、コミュニケーション構造が変化しているのではないでしょうか。


SNSでは不特定多数に「見せる」必要がありますので
「文脈」は寸断されます。
このような人物(既知)が、これをこうしてこうなった、だから失敗した
という流れが消えて誰か知らない人が「失敗した」部分だけ切り取られる。
しかもユーザー、見る人は全て一人の「批評家」です。

そうすると大多数の批評家の前にわざわざ「悪い」を提示して「いいね」を求める
目的が解らなくなるわけです。

コミュニケーションに必要な安心感が必要なら
ミュート、ブロック(これは昔はリアル人間関係では難しかった)
あるいは例えばオタクの間にある独特な専門用語、テンプレートなどを用い
自虐とは別な方法で先に「あなたの仲間である」を「見せる」
必要があるのでしょう。


もしかしたらSNSの登場は
思っている以上に、日本人の精神構造、特にユーモアや笑いの構造を
変化させているのかもしれないです。
それが決定的事実なら、「お笑い」の内容も時代の変遷で変わるわけで
バブル時代なら爆笑だったものは、今は「困惑」になってしまうのではないでしょうか?
どうなんでしょうね。

と、そんな風に感じた2023年のお正月でした。

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