ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

意味の消費と残念なコラボ

2022年12月13日 | 雑記
シンボルや象徴とポストモダンあたりを学んでから
もう随分経ってしまいました。
いくら勉強したと言っても、すぐに世の中は変わっちゃう。
既に昔は「未来」だった時代に生きてるなあ、と思いながら
2022年も暮れようとしています。

最近仕事でいただいたプレゼン資料の中に
現代は意味の消費の時代である、というのがありました。
これについては「オタク」というのは「大先生」なのです。
世の中がオタク化したというとまた語弊がありますが
二次創作もコスプレもグッズも全て、オタクを繋いでいたのは
「意味」に他なりません。

企業側は人気を利用しようとして
「人気あるキャラクターのグッズを出してコラボすれば売れる」
と単純に考えがちですが
これはいささか甘いかと思います。

確かにお気に入りのキャラがついた商品は、その時は売れるかもしれない。
しかし持続はしない。次ヒットの作品を狙う。
単に「売れてそうだからコラボ」と考えると
その意味を知らずにローンチした場合、下手すりゃ返品在庫の山になります。

童話に「オオカミと7匹の子やぎ」の話がありますが
オオカミ(収益を上げたいだけの業者)がいかに手に粉をつけて声色を真似しても
子羊(消費者)は「つられるか」と見破ってしまう。

「合言葉を言え」
お前はそもそもこの作品世界を理解しているのか?
「好きですよ」なんて社交辞令で言えるよね、
「うちらの好きを利用して稼ごう(そしてオタクは結局搾取される羊だとして軽蔑しよう)」という連中なのか、
それとも本気でその世界のアイテムを具現化してくれる仲間なのか?
子羊はそう思うでしょう。

相変わらず上の世代の経営者には
「コラボで稼ぎたい」が、「オタクなんかはダメな人間」という方はいます。
しかしこの考えは既に20年前の旧人類のものになりました。
なぜなら、意味を理解した象徴交換に関してはオタクの方がずっと先進的で
今、世界を見渡せば、ITの発達によって
どうもそちらに動いているという空気を感じるからです。
今後はより個人的で、より自由で、よりイマジネーション豊かな世界が求められると思います。


何が創られ、我々が何を重要として欲しがるのか。
「竈門炭治郎の絵がついてりゃバカでも買う」と思うのが残念なコラボです。
逆に緑と黒の市松模様、あれはシンボルとして
著作権論議にまで発展してしまった。

個人での通販「スズリ」あたりは全ての商品にドラマ性を持たせましょう
というような「ご指導」が入るのですが、さすがに過度なそれはそれで鬱陶しい。
最初からそれを当て込むというのもいささか本末転倒です。
まず先にあるのは自由にキャラクターを育てたり
クリエイターが素直に感性を出していくことではないかとは思います。

キャラクターというのは創られた何かではなく
「別次元の実在」
さてそこまで思い切れるかどうか。
それを狂気のように見做すなら、安易な「コラボ商品」はやめたがいいのでは
と思います。


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