goo blog サービス終了のお知らせ 

ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

推しの子とキリスト(笑)

2024年12月24日 | 文学・歴史・美術および書評
メリークリスマスです。

キリストの誕生日は実は12/25でなくご都合だった、なども聴きますけど
日本ではなぜか、
いや最近では外国でも?
「キリストの誕生日」のありがたさよりは
商業的な意味の方が強くなっている気がします。

などという自分は、特にキリスト教信者ではない
無いはずなんですが…
え、だって家は浄土真宗、それでなくても仏教国
もしくは神道、祖父母は天皇=神!
そんな感じでしたもんね

ただ、私中学の時にちょびっと母に熊本YMCAなるものに行かされまして
その影響なのか心の超地味〜な所に
キリスト教のプラグインがインストールされていますのよ…マジで。

これはねえ…本当に、日本にいると時々、バグを起こします。
けども同時に、私が精神的にギリまで追い詰められた時には
救ってくれていたような気もして
だとすると、「どっかで微妙にプロテスタント的要素を含」
なのかも?しれません。


キリスト様の生誕がなぜ尊いか
これ日本人には「案外、2次創作で説明できるかもしれん」
と最近思ってしまいました。

こうです…

ある所に、ナマモノアイドルでない架空2次元アイドルの推しが尊すぎる女性がいました。
名前はマリア。
愛しすぎる尊すぎる、辛い時も救ってくれて
推しは絶対に自分を裏切ったりしません。
みんなは「そんなやつは架空であって実在しないのに」と笑いますが
マリアには、推しは信じているので存在します。信じるからいるんです。
でも触ることもできないし、まあせめてグッズで祭壇作るくらいですよ。

ところがある日、マリアの前に公式天使が現れ
「あなたは産めるはずもない2次元の推しの子を妊娠しました」
と告げられる。
そんなもん奇跡以外の何でもないです
が、マリアの推しは2.5次元などでなく、本物の3次元としてお生まれになります。
そらもう究極のアイドル。
「金輪際現れない一番星の生まれ変わり」です。

養父に選ばれたのはこれまたオタでして
同、推しに人生捧げたので女に興味ない、ファンクラブ会長みたいなやつです。
ヨセフといいます。

マリアにとって、ヨセフにとっても
推しは自分の心の支えであり、辛い時も見離さず守って下さる
本物の愛を持っている存在。絶望の淵からでも救ってくれるので
「これ全世界に布教した日にゃ全員ハッピーになれんじゃね?」
て感じです。

そのお生まれになった愛の対象が磔刑になるまでは聖書という原作参照、
になるんですが。



そう考えると
最初にあって然るべき「信仰」はやっぱり「目覚め」みたいなのは
どうしても必要になってくるのでは…
ただしこれは、日本人は日本文化に囲まれて生活しているがゆえに
仏教エリアから出れないので
何らか西洋文化か海外渡航歴あるとか、そういう文化に触れるか
教会方面から直にインストールされるか
何かは必要なんじゃないかなあ…でないと
やっぱりあの崇高ってやつには、ちょっと懐疑的にはなります。

「ならそれって…別にアンジェリークの守護聖でもよかないか」
て思っちゃう自分もいるわけですよ。

ガチの宗教家さん、新興宗教の方
対応をお断りさせていただきます。
結局、無宗教です。ごめんやで〜

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デッドエンドかハッピーエンドか

2024年12月22日 | 文学・歴史・美術および書評
新刊の準備が進んでいます。下書きほとんど入りました!
さて間に合うのかなあ。

ところで、まあ色々と描いていますが
私の漫画(自分で物語のシナリオまで描くもの)は
ほとんどがデッドエンド(バッドエンド)にはなりません…
体質なのかもわからんけど、コメディ入れるからかも?

デッドエンドを描いてないわけではありませんが、
そういう作品は大体、他の方のシナリオだったりします。

デッドエンド作品「小説」では書いてます。
理由はいくつかありますが。

まず漫画は読者さんが主人公目線で追うことが多いんじゃないかな?
というあたりです。
小説は三人称で書くことが多いので、悲劇を描いても客観的だから
(回想で途中一人称とかはやりますが)
これは大きいかと

この感情移入ってのはメディアによって違うんじゃないかと思います。

没入感の大きい順から
ゲーム>一人称小説(私小説)>ドラマ/漫画/アニメ/映画>3人称小説
こんな感じかなあ。人によるでしょうか?

かつては文学作品なんかは悲劇が主流な部分もあって
どれが一体ハッピーエンドなのか…今思いつくまま…
「春琴抄」「夜明け前」「雪国」「金閣寺」「こゝろ」
「斜陽」「不如帰」「舞姫」…うーん。
太宰の「グッド・バイ(未完)」や
田山花袋の「蒲団」みたいなコメディ路線は別として。

文学は悲劇から人間の何たるかを描き出したり、美を追求したりしてきた
ではないですかね。
物語として「哀調」というのはやっぱり深みがあります。

しかし、これがなぜ最近は
「ハッピーエンドにしろ」になるのか。

最近は「文学」の素地が無いのにゲーム、つまり
「自分を没入させるタイプ」のものを消費しがちな方が増えたと申しますか。

そうすると、やっぱり「デッドエンド(バッドエンド)」が辛い人が出てくるのでは?
と思います。主観目線で物語を進めるとして
自分=主人公なのに誰が好き好んで悲劇を目指したいのか!?
というところです。

そこで流行っているのが「タイムリープ」なのかな?
と思ってしまいます。
物語として深みを持つのは悲劇。だから一旦、悲劇を追うけど
ハッピーエンドにしなきゃ嫌!
というなら、過去に戻って、どこがいけなかったのかを改善して
無理矢理にでもハッピーエンド!(ドヤ)ってことでしょうか。

うむ…わからんでもない
(しかし、タイプリープて未来の記憶を持つんですよね?
2度目怖くないか…?いいんか…)

でもそれはそれで安易にやればチープになってしまいそうなのですよね…。

エンタメ要素の強いものはハッピーエンドが基本でしょうが
そうでないものもこの世にはあって
上手いデッドエンド、バッドエンドを描ける人は実力ある人だと思います。
ぜひ悲劇の美しさも堪能してほしい。
多少は「客観性」も持たないとつまらないです。


などと言いつつ
今回の新刊もコメディ路線な自分;なのでした😆
それはそれで!頑張ろう^^

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福地源一郎と末松謙澄の歴史偉人漫画描きました

2024年12月04日 | 文学・歴史・美術および書評
次回新刊のネームをやっておりまして、
1月のコミックシティか?関西コミティア合わせです。

次回新刊は、板垣退助VS土方歳三
といやあ、甲州ですよ。甲州勝沼、
編集長真殿さんが迅衝隊にいたころの話。
(「其の九」でちょっと描きましたが)
新選組は自分は漫画は描かないんではないかな〜と思っていましたが…
よう考えたら西東社の案件で描いてた…
同人誌は初だね。

ーーーー
さて、九州歴史文化偉人シリーズ
他の案件とか同人誌とかイベントとかゲーム(笑)とかあるので
ついつい上げるのめんどくさい
しかもAIがどうたら言うのでますます面倒〜ってなってますが

福地源一郎と末松謙澄の若かりし頃を描いたので
まとめて上げときます。

まずは福地さんは
この方は「雲よ、伝へて!」ではレギュラーでしたので…
飛高くんを叱り、見守り、結局は救ってくれたのでしたね。
私から見る福地さんは、そんなハードな人ではなく
司馬遼太郎が描くスネ夫キャラでもなく
まあ、キザはキザですが。キザさは爆発してますが
「捨て猫がいた場合、一回通り過ぎるものの、無視できずに戻ってくる」
そういう人ですよ。

そんな意味ではネオロマンスゲーム「遙かなる時空の中で5」
あれの「福地桜"智"」は、間違ってはいないかも?
ただ、ソフト面のみではなく、非常にハード面での活躍も凄いのです!
と、いうわけで福地さんの分の冒頭p2




さて。
そんな福地源一郎の「弟子」にあたるのが
福岡出身の末松謙澄です。
元東京日日新聞記者。

あんまり知られてはいませんが、今流行りの「ロビイスト」でございます。
とにかくやってる事が多くて;
他、初めて「源氏物語」を翻訳して英国で出版したり
海外文学の翻訳、言文一致運動、日本美術の海外紹介
「防長回天史」の作者、
日露戦争も、明石元二郎のように「影で、言論で」貢献した人。
伊藤博文の娘と結婚してる。


そんな末松さんの若い頃の漫画。
高橋是清描きたかったんだよなあ(笑)
ギンコーちゃんとウチの編集長も特出!






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森茉莉、再燃の話

2024年11月27日 | 文学・歴史・美術および書評
マイブームが止まらんから久々に文学話!
読書の秋。

ーーー
最近、森茉莉の小説を買い直した。

森茉莉は、森鴎外の娘さんで
女性でBLを書いたという点ではその道、先駆者ではないかと思う。

文学にその手の作品をというと
お父さんの鴎外の「ヰタ・セクスアリス」だとか
海外だとヘッセの「車輪の下」
三島由紀夫や川端康成、堀辰雄、福永武彦なんかの作品もあるけれど
森茉莉はそういう男作家の
プラトニックラブだのブロマンスだのの、寸止めだの
「キープアウト」のテープをもうね…
笑いながらガンガン破っていくね。怖い人だ。
しかもそこまで飛ばしていながら単純に消費用エロ小説にはならない。

今でこそLGBTだのBLだの言うけれど
森茉莉の描いた世界というものは、それとは少し様相が違う。
それを「美」にしているものが、単に美と倫理との矛盾なのか何なのか考えた。
梅原猛の本まで出してきて考えた(笑)。
世間で認められてない関係がどうのと言うなら、それこそ「LGBT」が認められた社会ならたち消えてしまうじゃないか、と。
いいや、美というのは、ただの犯罪行為ではないでしょう。

「枯葉の寝床」は
書かれたのが昭和34年で、森茉莉が50代で書いたというのを
買い直し読み直しで知って驚いた。
驚くと同時に、20代の自分にはこれは理解できないだろうな、
「20代の自分にはこれは難易度が高いよ」というのも幾つか思った。

ネックの1つはボキャブラリーで
外来語が全部漢字…。覚えるわ漢字…。「唇」を「脣」と書く。わざわざ。
そしてこの、決して流れない、澱むような引っかかりのある句読点位置。
具体的には1つも示さない暗喩や隠語の多用。
これが、最近のラノベBLに慣れきっていると難しい。
栗本薫と比較しても、そりゃ断然、栗本薫の方が読みやすい。

おそらく、昔の私はこれを全く理解できていなかったのではないか。
単に栗本先生が教科書のように推してるので、という理由で
アホだったから内容的にもそこまで理解が及んでいない。
恋に恋する限りは、二人の間に「憎悪」なんてあってはならない。
ラブラブハッピーな空気感だけ消費してればいい。

しかし、今更だが、これは熟読するほどに「ヤバい酒」であるのに気づく。
もはや炸裂する麻薬の爆弾、美のハンマー…。
やってはならない、ありえないという世間の全ての制止を振り切って
飲酒運転で100キロ近く出す高級外車に乗せられる感じがする。
次から次へと流れてくる贅沢感。背徳感。


あらすじは、嫉妬に狂ったフランス文学助教授&作家38歳のギラン(仏ハーフ)が
大学生の美少年レオ(そう呼ばれてる)に惹かれるが
レオは愛されながらもクラブで知り合った親父と浮気
嫉妬に狂ったギランが、レオの「心」を奪われる前に猟銃で殺す、という話

(わー!私がなぜあらすじを書くと身も蓋も無いんだろう!泣くわ)


そういえば、ここしばらく「美少年」を見ていない。
イケメンはゴマンといる。イケメンアイドルは2次元も、2.5次元も3次元も溢れている。
だが違う…イケメンは美少年ではない。
美少年は「魔性」でないといけない。リアルアイドルでは難しい。
令和の価値観は変わってしまっているから、明るい消費ニーズに応えない
非合理なそれを「キモい」で断じるだろう。
もしかしたら時と場所を選ぶのかもしれない。
すでに「文学」の中にしか存在できないはずだ。

「枯葉の寝床」を美だとか文学に押し留めているものは何なのか。

主人公ギランが、求めるものに精一杯応え(てるはずなんだが)
与え尽くす代わりにどんどん蝕まれ、試し
でも愛おしさから、残酷さに徹しきれない優しさだとか
最終的に全部を手にいれる為に出した答え(倫理的に最もありえないのだけど)
その物哀しさ、とか、そういう部分ではないかと思う。

それを他の作品に求めることができるのか?
というと不可能に近くて
それこそ、森茉莉の筆の銃によって森の中で撃たれるような気になってしまう。

仮に21世紀以降の社会で完全にLGBTが認められたところで、
じゃあ森茉莉CPの二人が幸せになるか?
「そういう問題じゃない」のではないか。

なにせ登場人物、ありとあらゆる、社会的な問題を脱衣してしまっているので
今更人権がどうの、そういう服を着せてみたところで
全て嘘、欺瞞でしかない。
これは日本文学でしかできない。
そしてコミカライズその他、映像化なんかできるもんか。
できるのは言葉から想起する自分の頭だけ。

思わず天才の前に平伏して「敵わん」「勝たん」を連発してしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明石元二郎とロシア革命前夜

2024年09月27日 | 文学・歴史・美術および書評
情報将校、明石元二郎を描くことになってですね;
ジャーナリストやスパイってやっぱり好きなのですが(間者好き)

しかし、日露戦争はともかく
ロシア革命は言うほど詳しくない。
昔やっていたゲーム企画でロシア皇女が出てきたので
皇帝側は何とかわかるとして
革命側は他の方がやっておられたもので;任せっきりでした。

と、いうわけでこの一ヶ月
「オルフェウスの窓」しか知らないので
ロシア革命のロシアと、その周辺国について急ピッチで学んでおりました。

で、明石元二郎とは何者か?

知る人ぞ知る、この方はですね

「ロシア革命」を起こさせた人です。
え?ロシア革命というと、皇帝への不満から
ロシア人が自発的に暴れたんでは
というと、まあそうなんですが

国民が暴れるだけでは革命なんぞおきやしないのです。

明石元二郎は、ロシアの国内事情が良くないことを日本に送り
日露戦争に突入した日本はそれを利用して内部分裂を起こさせ
ロシアを内側からも崩壊に導いた。

とんでもねえ作戦です。
要は「オウンゴールを誘う」です。

その明石さんが接触する人物が、いきなりロシアのレーニンとかでなくて
周辺国の、ロシアに虐げられているフィンランド、ポーランドといった国々
隣の国の憲法までロシアが支配しているので、事実上ロシア、そんな感じ。
ですので、そこらへんも調べていました。

この明石の内部撹乱作戦にはかなりの大金が使われていた様子。


日露戦争は
ユダヤ人のジェイコブ・シフ

が日本国債を買ってくれたり、お金出してくれて(ありがとう!)

日本はロシア革命の革命派にお金を出しまくったということか。
いや〜
革命も戦争も選挙も
何でも金なんやで!

こういう、お金の動きから近代史を見るのも面白いと思いますが。


明石元二郎は最近ではチラチラ漫画で描かれてて(ロシアーウクライナ戦争以降、注目株だから)
どうしようかなあと悩んだんですが;
あんまり比較しても影響されてもなとか。
情報が多すぎるのも逆にしんどい…

無料配信の映画は右寄りなプロパガンダ色がついてる割に
演じてるのが女優さんで違和感だったし
逆に敵役のように描かれるのもちょっと違うと思う。



ペン入れ途中



今回は「タッチを変えたい」とか思ってたんだけど
できなかったです。

児玉源太郎さんは西南戦争にも出てたよ。


まあそんな感じで
ちょい「ダサかわ」ユニークなおじさまで行こうかなとなりました。

ちょうど今「坂の上の雲」のドラマやってますね。
いいドラマだなあれは。(前見たけど忘れてるー)



----------

冒頭2pだけを提示して、人気が出そうなら続き、案件が成立するシステムです。
頑張ってるのでどうか応援してやってください;
(掲載まで校正があるのでちょっと時間がかかります)





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西南戦争の食糧事情

2024年09月03日 | 文学・歴史・美術および書評
Xの方でもちらっと触れました。
食事場面て、実は2次創作時代には殆ど描かなかったかもしれませんが;

「雲よ、伝へて!〜明治報道奮戦記〜」シリーズにはあえて食事シーンは入れるようにしました。

西南戦争時
石光真清の「城下の人」を読むと、薩摩軍の本営を見に行った子供が
おにぎりを分けてもらったりしているので
最初の頃はそんなに兵糧が無いというわけでもなかったような。
おそらく桐野さんらの事だから、
ちゃっちゃと片付くと思っていたんではないですかね。


其の四から。
画像がちょっと小さいですが
田原坂資料館の薩摩軍の食事をモデルにしました。

🍙中央の茶色位のは味噌です。

「其の五」にこんな場面ありましたね。

それでもまだこの辺は余裕か。


谷村と干し柿


西南戦争時は露天商も出ていたので
各自買い食いは可能だったようです。
お金があれば。
田原坂からは当時のお金(コイン)も見つかってます。
売る方も商魂すごいね。

それもだんだんと厳しくなりまして。
やがて薩軍、食糧を調達し始めます(暴力なども駆使して)



盗んじゃいかんけど!
まあ…こんな感じなんでいくら従軍と言っても
記者に食わせる飯はないわけで。
飛高が高瀬の宿に行ったのは正解かも。

一方で官軍。
熊本城の外の官軍には缶詰だの牛肉だのワインだの支給されて
結構、豪華です。
しかし缶詰は「缶切り」を渡し忘れ、現在のようなパッ缶蓋など無いので
銃で穴を開けて取り出したとか
ひどいのになると、そのまま直火にかけて大爆発を起こし
死亡事故に至ったとか(そんな死に方あんまりだ)。

熊本城内、籠城組はもうとてつもなく悲惨です。

昔、「熊本城は籠城に耐えられるように、畳も芋の蔓で作った」
などという伝説がありましたが
そんなもの実際食えるわけない。
しかも本丸は火事で焼けている。

谷干城が言ってる、軍馬
これは樺山資紀の愛馬。

樺山さんは馬が大好きなのですが
傷ついた官軍兵にやってほしいと、自分の愛馬を食糧として差し出したそうな。
時は春なので、城内に野草などは生えていたんで利用し
畑のようなのもちょっと作り
それでも足らない。城の周囲から野良犬が消えたという逸話もあります。



ちゃんとご飯食べられるって
平和なことなのです。

最新刊では四天王寺でうどんを…


食べたのかどうか…。

ーーーーー

上記「雲よ、伝へて!〜明治報道奮戦記〜」の

全巻セット 通販開始しました!


9月は西南戦争最後の城山の月でもありますね。

よろしくお願いします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「推しの子」2期とデザインとアートの間の漫画

2024年07月20日 | 文学・歴史・美術および書評
忙しいですが「推しの子」だけアニメ見てます。

「うわー!これは例の事件を思い出してしまう」
という…
漫画が原作のメディアミックス、
脚本家のキャラ改変に漫画家がダメ出し、と言うやつです。

セクシー田中さん事件の折に考えたのですが
まず

出版の会社と広告系の会社で
漫画家の扱いが違う!!

これなんですよ。
出版社では最初から「作家」の扱い
広告では「デザイナー」の扱いです。

つまり、出版系は漫画家に対しては多少「芸術」に対する態度で来られます。
所によっては昔はお中元お歳暮が届いてました。
呼び方も「先生」で確定申告の書類宛名は「先生」ついてました。
(電子化で紙の書類もほとんど消えましたが)
存在が表現をしている感じなので、当然ですが代わりはいません。
名前=ブランドで、それを売る為に苦労されます。


これに対して
広告系、広告漫画の現場は「デザイナー」です。
著作権を渡してしまうと中抜きできないと言う派遣事情もあるんでしょうが
最初から「案件」はチームワークです。
シングルテニスとサッカーくらい違います。
シナリオや企画を漫画に仕立てる作業工程に関わる一人です。
みんなで作り上げるものですから、当然「自己主張」は不要。
宛名に「先生」がついた事はないです。
ですので作者に著作権やブランドは無いかと思います。
(名前を出してもらえる人は何か主張したかであり
ほとんどの場合クレジット表記はされません)

普通の場合は広告は広告、出版は出版なので平和ですが
これが「ミックス」になった途端、面倒なことになります。

まず著作権を持ち、主体的な創造主であり先生である出版社系の漫画家は
そりゃ勝手にいじられたり、リテイク多すぎたら怒りますよ…
「私が決めているのに。日々何の為に必死に身を削ってんの」
てなりますよ。

しかし広告系としては、とにかく「アート」「芸術」をやってるのではなく
「ビジネスとして仕事をしている」だけです。


さて。
日本で「広告代理店」を始めたのは岸田吟香という人です。
今私が最終話を描いてます、「雲よ、伝へて!〜明治報道奮戦記〜」
にも登場しています。(最終話にも出ます)

吟香氏は浮世絵絵師の小林清親と親しく、目薬の広告を手掛け
もう当時から「漫画」と広告はコラボしていたのですが

では当時の漫画家はどうだったか?
というと
江戸時代から続く「浮世絵」はやっぱり今のデザインに近く
版元の企画に応じて制作していました。
己を表現する画家が皆無というわけではないです。

自己表現をしてきたという絵師、画家は高く評価されているが
そうでない浮世絵は最近まで格下扱いだった。
それはなぜか?
これって
「評論家が、西洋的芸術の意味を持つものを芸術だと評価した」
からではないかと思うのです。
つまり明治以降、日本は美術評論も輸入し、
西洋人が芸術とするものの基準に沿ってそれを芸術かどうか決めた。
海外も海外で基準を疑わないのでそうなります。
「まるで西洋の〇〇の作品のようだ」とか。

岸田吟香の息子さんは岸田劉生という有名な画家ですが
息子さんの時代にはもう、西洋芸術のベースで動いてて
画家は画家、という「特別な存在」になっていきます。
純粋芸術とは何かの話になると長くなってしまいますが
純粋な自己表現とビジネスって両立させるの、なかなか難しいです。


漫画を「自己表現」「芸術」にしたいのは
おそらく出版社はそうだと思います。
それは、小説が昔、芸術ではなかった大衆文化の時代を経て
芥川賞のような「芸術」に押し上げてきたというプライドがあるからでしょう。


私の場合は出版社も広告も同人誌も
「それはそれ」を徹底してペンネーム変えてはリニューアルして渡り歩いてきたのですが、
それでもこのギャップは、
解決するまでやっぱり鬱になる程悩みました。


21世紀以降
漫画の地位を上げてビジネス的に拡大していく世界では
「アート」か「デザイン」か
ソロプレイなのか、チームプレイなのか
これをあらかじめ認識しておく必要はあると思います。
これから漫画を描きたいという人は
そこを理解しておいたが良いのかなと思います。


手塚治虫は「海のトリトン」がアニメ化されて
大幅に原作改変された時「あれは僕の作品ではない」と明言しました。
しかし、富野由悠季監督の手から生まれたアニメのそれは
原作とはまた違うファンがついて人気になりました。
「一旦冷静に手放して、自分は自分にできる最大限をやる」
これ大事かもしれません。

チーム作品はチーム作品で
単独原作も単独原作で
要するにそれぞれ制作された背景を理解し、
受け手の側が評価すればいいだけの話です。
作り手の方も「今何をやっているか」「自分はどこに立っているか」
は重要です。

そして、もし芸術として完全な自己表現がしたいができない
出版社や広告がダメだというなら同人誌もあります。
ネットのある現代ならいくらでも方法があります。

マニアックに、自閉的に自分の作品にこだわり抜かないと良作が生まれないのも確かでしょうが我々は既にその「天才性」すら危うい時代に来ているのではないでしょうか。

それぞれの立場を理解できるという人が増えたらな
と思っていたところでしたので
いいタイミングでしたね。アニメ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20世紀佐賀県の彫刻家、古賀忠雄

2024年06月13日 | 文学・歴史・美術および書評
 
と言って冒頭のみなのですが。


古賀忠雄の彫刻は佐賀城内にあります。


歴史資料館に行った時同時に取材してきました。

モダニズム、特異な作風がもてはやされた時代にナチュラルでリアルで力強い庶民をモチーフに自分の作風を貫いた人です。

20世紀の彫刻というと、どうしても
ラディカルなものばかりに目が行くというか
あまりにも「新しい芸術」を追いすぎて…

いや決して
イサム・ノグチや岡本太郎作品が嫌いというわけではないです!

じゃあ芸術って一体なんだったのか。
見る人とは乖離して行った気はします。

それでどんどん「アート」は発展していったのでしょうが
おかげで幾分「馬鹿は見るな」という世界になっていきました。

専門的なことを学ばないなら見てはならない
哲学書くらい読んでこい
美術館に収蔵されて然るべき

果たしてそういうものなのか…
それで意図というのはどの程度
正確に伝わっているのでしょうか。
(目的という意味では村上隆の美少女フィギュアがよっぽど正解なのでは)

私はもうむしろ最近は
「解読」する類には疲れてしまうので
何となく、けれど湧き上がるようなエネルギーを受けられるとか
側にいて鬱陶しくないものがいいなと思ったりしますが。



それで、古賀さんをどんな風に描くかってまず
有名なエピソードが西郷像お蔵入り事件なので
それを挙げてみました;
調べても「立派」な肩書きがズラリで
しかし権威は漫画を描くにはむしろ邪魔というか
その看板以外を覆い隠してしまうので大変です。

古賀忠雄の作品の抒情性って
きっと日本文学のそれだと思うのです。

きっと「これはこういう意図である」というのをゴリゴリ押しつけたりしない
でも、「人間とは何か」に立ち戻って
(いわばもっと落ち着いて;)
奇抜ではないが、自分で感じたリアルを求めた人かなと思います。



こういう作品を
ちゃんと描けるのか…もっと勉強しつつ、取材しつつになると思います。

シリーズの漫画と合わせてちょこちょこ描いていくと思います;
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山鹿口の西南戦争錦絵の謎

2024年04月10日 | 文学・歴史・美術および書評
山鹿市立博物館に行ってきまして
ここには山鹿口の戦の錦絵が展示してあります。

なぜかNDLの方でも山鹿口のは全てを公開していないのです。
山鹿で展示されていた分で、NDLから
こちらの画像のみをお借りします


賊兵激戦の図、というこちら
メインで描かれているのは薩摩軍
畳のバリアで官軍を防いでいるようです。

画工は山崎年信。
月岡芳年の弟子です。

しかし、左隅の画工名には「山嵜徳三郎」とありまして。
なぜ年信の名前を使わなかったのか?

山崎年信は後に高知の「土陽新聞」に描いたりしているので
思想としては民権派なのだと思います。
師匠芳年の下をある事件がきっかけになって出奔したようですが
詳細は不明です。


もう1枚の絵はNDLに無いんで…
(これどこに問い合わせたら公開できるのか?なんですが)
安達吟光という画家の絵でした。
吟光は結構有名でして
風刺パロディ漫画も得意。それで逮捕されています。

錦絵絵師の生活は今と変わることなく
とにかく売れ筋は何でも描かないと生活できない。錦絵1枚の値段はかけそば1杯よりは安いのが普通でした。
指定通りで工賃低い(日本の伝統芸だわ)
だからか、サブカル絵師達はいわゆる「画家」と違い割となんでも描いてます。

安達さんの方も、安達平七の名前です。
そして、安達吟光も
宮武外骨と組むくらいですから、民権派です。

漫画(錦絵)と山鹿と明治デモクラシー。
繋がっててちょっと嬉しいかも?


当時、新聞記事は明治政府の検閲で本名で出すこと
とされていたので
錦絵というよりは報道、新聞の扱いだったのでしょう。

ところでその内容はというと
やっぱり報道としてはあまりに「歴史創作」が入っています。
見て描いてないし、フィクションですけど
多くの庶民が信じてしまったらヤバいと思わせるほどのリアリティ
って事ですよね。

こういった錦絵は
鳥獣戯画のように「漫画」のルーツでなくて
「コミック」のルーツと言っていいかも。
大変興味深いです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐賀城本丸歴史館の「江藤新平展」

2024年04月06日 | 文学・歴史・美術および書評
念願の「佐賀」に行ってきました!
 (ここのブログ、今週スマホから画像投稿ができなくなってたんですよ)

法事のついでに行ってすまん父。
父も歴史好きだったからOKだろう。


熊本から佐賀って「隣県」とか舐めちゃいかんです。
よく考えたら、自分が九州で行ってない唯一の県が佐賀でした。
本当に…遠い。広いんだ九州大陸;
しかも電車本数無いので…結局時短の為に新幹線に乗ってしまいました。
(JRの作戦勝ちだ)

来ちゃった佐賀城。



お目当ては江藤新平展

いきなりボランティアガイドの人が現れ
「江藤新平見てたら城の説明終わらんから飛ばしましょう」
と言われ
「いえ、私江藤新平だけのために来たんで!」
と言ってお断りしたら「そんな人もおる」
って言われました。
あかんのかい!


江藤さんは推しの推しです。

熊本協同隊隊長の平川惟一の推し。
彼は佐賀の乱に参加しようとしたらもう終わってた
というので引き返すんですが。
処刑後も「江藤さんを殺すことはなかった」と言ってたという。

その平川、熊本時習館から佐賀の弘道館に
藩費で「留学」しています。

佐賀の弘道館というのは厳しくて有名で
テストで落第すると
家禄を減らされます。

死活問題です。ていうか
「この家はお前にかかってる」とか言われるんだぞ
死ぬ気で勉強するよ…


江藤新平もまた、地元の争いを止めようとして
説得しに戻ったんですね。
火に油だからやめろと大隈さんも板垣さんも止めた。

江藤新平が士族を率いて反乱を起こしたわけじゃない。
なら教科書で習ったのは何だったのやら;
しかし、平川の言動とか追ってるうちに
江藤新平も普通に覚えられているような「賊徒」や
危ない革命の首謀者ではないんだなと。

明治のシステムの基盤を作ったマルチな秀才
貧しい中、苦労して弘道館で学び
西洋の文化をいち早く取り入れていた鍋島閑叟に見出された人
そんな人が単なる「賊徒」なわけなかろうが!
いや、なかった、本当。

月曜日しか日程取れなくて
大隈重信とか佐野常民とか記念館、開いてなかった!
けど佐賀城本丸歴史館、開けてくれててありがとうございます!
入場無料…だった。あり得ない。あり得ない展示の良さ
太っ腹すぎる。


駅前に銅像あって
佐野の隣にちょっとだけ座っちゃいました。

佐賀は何も無いとかじゃなくて
「消された」んでしょうね…


それと古賀忠雄先生の彫刻もしっかり撮影。
ちゃんと取材してきたゾ!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山鹿と佐賀に行ってました

2024年04月02日 | 文学・歴史・美術および書評
父の一周忌法要でした。
実家の墓所が熊本地震でやられた後放置、しかも中は満杯だったので
南阿蘇のお寺さんで合同墓地やってる所に新しくお願いしました。

南阿蘇遠かったですが

なんと
佐川官兵衛の没地のすぐ近くという
偶然。
車で遠っただけだけど。


法事前日30日に熊本入りして
友人と熊本協同隊の山鹿方面、吉次峠〜横平山、七本あたりをつぶさに周りました。

これは次回シリーズと別に
「続・田原坂不完全攻略法」でまとめる予定です。
でもまだまだ不完全なんですよ。あはは。

佐賀で江藤新平展やってたので、延泊して行ってきました。

フランスの法に学んだ江藤新平
福澤諭吉は英国寄りで儒教を捨てる案だったんですが
佐賀は逆に儒教のモラルをベースに
人権民権の法に動くあたり興味深いです。
普仏戦争とパリ・コミューンがあったから当時は避けられたと思いますが
令和の今、江藤新平の再評価と共に
考えられてもいいかもしれません。

自分的には
昨年末に体調崩してから落ち込む事ありましたが

ずっと行きたかった平川惟一の没地にも行けて
篠原国幹の桜も満開で見れて

思い残す事がない
どころか、思い残したい事ばかり…

とりあえず目先の案件やんないとですが
すっかり元気出ました。

新刊頑張ります!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「マンガ 九州偉人・文化ものがたり」を描かせてもらってます

2024年03月19日 | 文学・歴史・美術および書評
福岡の梓書院さんの方でやっておられる
「マンガ九州偉人・文化ものがたり」というのを描かせてもらってまして

佐賀県には「石井」と「古賀」は多い…
今月はまた古賀。「古賀逸策」です;


古賀逸策は
「水晶振動子」R1カットR2カットというのを発明した人
と、言われてもなんか馴染み薄いっすよね…

うち弟が東京工業大学卒で、古賀逸策も東京工業大学の人らしいんですが
私はこういうのサッパリわからないのでw
そこでバカでもわかる電気の本みたいな(小学生向けではないのか)
のも借りて、ちょっと勉強しておりました。

あはは;


公開はだいぶ先になるということですが。
新たなリストもいただきました。
(うわ、推しがいるどうしよう)
「私が描いて良いものか」とかなっちゃいますが
それ新選組の案件の時も言ってたから
ええいままよ、って感じです。

これと別に
生物化学の方で免疫細胞とかのを描いたりしてます。


絵柄の落差が激しい…
科学な春なのでした。



そして
今日は田原坂陥落の日。

新刊に向けても準備しています。
なんか最近、同人誌なのに
いつも「締切、イベント合わせ」をやってしまい
あまり自分ではよくないな!と思ってます。
マイペースで満足いくようにやりたいのですが。
やんなきゃだわさ



そうそう
ここのところ訃報が続いて
いのまたむつみ先生まで亡くなられてしまい
ファンには辛いです!!
ご冥福をお祈りしてばかりだなあ…


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西園寺公望は第一回印象派展に行ったのか?

2024年02月26日 | 文学・歴史・美術および書評
大阪中之島美術館で開催の展覧会「モネ 連作の情景」
は、開催初日に行ってきました。

今年、ちょうど第一回印象派展が開催されてから150年になります。

さてここで
昨年12月に出した本「僕たちは西南戦争を止めようとした」
にも登場しました

西園寺公望。

(描きたかったんですよw ウフフ)


東洋自由新聞社主、公家です。

その西園寺公望…

ちょうど第一回印象派展が開催された時
フランスに留学中です。

そして、
西園寺公望は後の1919年にヴェルサイユ条約に調印した
フランス首相のジョルジュ・クレマンソーと親友でした。

1874年。
渡仏中の西園寺は同じ下宿にいて随分と急進派クレマンソーのお世話になり
(お世話もし…)
仲がよろしかったようです。
wikiからお借りします。


この写真を撮影したのは、写真家ナダールです。


そう、ナダール
第一回印象派展が開催されたのは、この写真家ナダールのアトリエでしたよね…。

じゃあ
西園寺公望は第一回印象派展に行ったのか?


これ、間違いなく行ったんではないですかね??

印象派展が開催されることは、当時の美術雑誌に掲載され
話題になっていたようです。
ジャーナルに興味がある好奇心の強い西園寺、そして
クレマンソー(彼もジャーナリスト)。

いえ…それだけでなく
クレマンソーはモネのパトロンでもあり、親しいです。
もっとも、第一回印象派展の頃のモネのパトロンは
エルネスト・オシュデですが(1877年に破産)。


第一回印象派展の来場者は3500人
評論家には叩かれたし、絵はあまり売れなかったらしいですが
それでも革命的な出来事です。


そしてモネといえば住友コレクション。
これを集めた住友友純(ともいと)は西園寺の弟です。
まあ、蒐集は明治半ば過ぎてからですが
縁が深い!


もし西園寺が第一回印象派展を見てたら
日本でモネ「印象・日の出」を見た最初の日本人になる?
…のかならないのか。
「行った」という記述にまだ会えないんですが^^

そうだ、漫画でならモネと合わせてあげられるかもね!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西南戦争は旧幕府士族VS新政府の戦いと言えるのか?

2024年02月20日 | 文学・歴史・美術および書評
歴史の教科書で習うのを覚えていたとしたら
西南戦争は
秩禄処分で禄(お給料)が無くなった士族をなんとかしようとしての征韓論
貧困からの士族の反乱…かと。

あるいは「るろうに剣心」や「ラストサムライ」から
旧幕府軍であるサムライと、新時代を築こうとする新政府の戦いだと。

実は私は自分で調べる以前はそう思っていたのです。

九州ではずっと「西南の役」と呼んでいました。
官軍の「役」です。

刀を取られてたまるか!みたいな時代錯誤の哀しい暴れ旧士族と、
西洋最新型のスナイドル銃で戦う正義の官軍
果たして本当にそうなのか?
確かに前に神風連の乱がありはしますが
「佐賀の乱」が神風連と同じかというとこれも微妙ではないでしょうか。

最近の研究では薩摩もスナイドル銃、スペンサー銃を(鹵獲しただけですが)
使っていたとあります。
はて、まだ完訳すらできてないフランスの啓蒙思想、ルソーの社会契約論を学んでいる20代の宮崎八郎が「哀しい旧士族」でしょうか?

西南戦争はかなり広範囲の士族が参加しています。
全員が西郷と西郷を慕う士族というわけでもないし
宮崎や大分からも民権派ジャーナリストが加わっています。

おそらく、彼らは土佐の立志社その他の民権家が加わるのを待っていた
けれど、政府軍が軍艦を送り込んで結局は南九州に押し戻して鎮圧した。
立志社と板垣退助は立てなかったのではなく
川路利良が完全にチェックして潰したのでしょう。

そこから新しい憲法ができるまで、民権派が意気消沈してしまう理由に
もしかしたら西南戦争のことがあるのではと思います。
「政府に楯突く者は全て旧幕士族」にまとめられてしまってる気がします。
それは、鹿児島で樺山資紀らが地方議員に圧力をかけて
西南戦争の生き残りを政府側の政党に吸収していった様子を見ればわかると思います。

「禄をもらえなかった士族の不満が噴出」という理由が全てであるとは言いづらく
おそらく、「将来の日本はこうしたが良いという」
維新政府とは別のアイデアを持っていた人らがいた
村田岩熊のように留学して学んだ人も何人もいた。

我々は「ベルサイユのばら」のように
虐げられて貧困に苦しむ格差社会の下層が、特権階級に対して反乱を起こす
ついそれを反乱や革命と思いたがるのですが
日本の武士というのは、そもそもが質素です。
フランス革命とは様相が違っています。

ですので「不満を持った旧幕府士族」VS「新政府」というよりは

「新政府とも旧幕府とも違う新しい方法を探りたい」

という人らをも含んでいたのに消してしまった。
西郷軍は
(主に士族で構成されているからもあるのですが)
一人一人の政治意識は高かったのではないかと思います。


西南戦争に関しては、
情報、当時の庶民、女性など
まだまだいろんな面から研究が進むんではないかと思っています。

ここは本当に、学者さんに期待するところです。


西南戦争時代のジャーナリストを描いていってます。
作品はこちら



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田原坂美少年と言われる束野孝之丞を入れなかった理由

2023年10月18日 | 文学・歴史・美術および書評
「いや、あまりにも束野では描けない…」

シチュエーションだけあればいいイラストなら描けるのかも。
勝手に丸々と創作設定を加えて良いなら描けるかも?
う〜ん…


田原坂にある美少年像で有名な
束野孝之丞。「つかのこうのじょう」と読むらしい。
「田原坂美少年」として歌われたのはこの伝説の人物だとか
お墓があるのは知っていますとも、もちろん。



これだ。

しっかし!
あまりにも何も出てこなかったのです。
エピソードらしきものが…
宮崎県民らしいけど。
個人的になんかその、特別な感情があったとかなかったとかは知りませんが
何も無いと記号的すぎるのです…
完全オリジナルで別途描くなら可能ですが。
シリーズには入らんよなあ。

「雲よ、伝へて!」には田原坂美少年として
村田岩熊と高橋長次を入れましたが
この二人には描けそうなエピソードがありました。
20歳過ぎてて「少年」枠では厳しい高田露も
既に津本陽も司馬遼太郎も遊んでしまっているので!
便乗して遊ぶことは可能で。(高田露がああなったのは私のせいではない)

大きなストーリーの流れに対して、そのエピソード
それのまつわる人物がどうして重要なのか
問題はそこでした。

主人公の飛高が今回の新刊「其の八」で、記者として関わった人物を回想する場面がありまして
「小さいけど記者」である彼がどうして必要な存在なのか
そこを描く必要があると思いました。

西郷の弟である小兵衛は
何がなんだかわからないうちにどんどん走り出していった暴動の真っ只中にいた。

谷村計介は官軍、薩摩側にいる伝から見たら敵のスパイ?だけど
そこには生い立ちや、唯一自分を肯定した乃木への憧れ、居場所としての「軍」があった。

村田岩熊には「居場所」は無かった。だから友達として飛高を選んだけれど
父親は村田新八。西郷や篠原という父親の友情を背にして、戦に走らされる。

そして高橋長次。彼もエピソードは少ないのですが
「適地に大事な刀を落とした」はエピソとしては十分大きい…
何故、何がそうさせたのか、その小さな個人の「声」を届けるのが
言葉ではなかろうかと考えて、
熊本協同隊を入れたのなら熊本隊もと思いました。

束野の場合の記念碑が建てられたのが昭和7年でして
谷村もそうですが、特に戦前というのは
官軍万歳で戦意高揚のためにあちこちで仕掛けを施されていまして
せっかく平和な戦後に生まれた自分ですから
プロパガンダを知りつつそのまま出すというわけにはいきません。
(良い子の戦意高揚に力なんか貸さないから漫画なのですよw)


さてなら束野をどうするのか。
大きな流れのあるストーリーでその意味のアサインが難しい…
せめてもうちょっと何かあってくれたらなあ…!

例えば「あいつ馬のことばかり気にしおって」でもいいんですよ。
「薩軍として勇敢に戦に身を投じた」ではなくて
むしろそれと全然関係なさそうな方が
人間的で面白いかと思うのです。

福地源一郎(桜痴)が
「史論」で「歴史の効用は歴史家が読者をして
自らその時に存在して、その心情や状況を目撃するかのように示すこと」
というような事を語っていて

いつどこで誰がどうしてそれを行なって
作者は何が言いたいのか
そういうものを考えていけば行くほど

「束野はむずい」

となりました…

けど
研究が進んで何か出てきたらいいね!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする