今日の一貫

産経新聞 群れないニッポン 二極化のなかの多様性

産経新聞が、正月から特集を組んでいる。
2ヶ月間ほど産経を見てなかったので、この特集に今日気付いた。うかつだった。

「個の時代」などといって、2月7日の当ブログには、「群れるから個人へ」などと書いているのに、この企画を見落としていうとは。
ただこの企画1月上旬に5回連載の後、第二部が、3月2日から。
今年の論調で中心となるのは、「格差」「団塊」「地方」「個の時代」「少子高齢」「再生」といったところか。
「二極化のなかの多様性」といったサブテーマも言い。

4日は、永谷園のヒットメーカー能登原隆史(68歳)さんの話だ。


以下引用
【群れないニッポン 二極化のなかの多様性】第2部 今どき「仕事人間」(3)2006/03/04, , 産経新聞 東京朝刊, 1ページ,  , 1694文字

 ■「ぶらぶら社員」特命成果は…
 千葉県松戸市に住む能登原隆史(68)は今も、サラリーマン時代の後遺症に悩んでいる。例えばすし屋に行く。上にぎりを頼めば家族はご機嫌だが、能登原はそれでも物足りない。うまいと感じないのだ。
 「何回も人生があったほどうまいものを食べましたから。大体、上だの中だのがあるすし屋は一流店じゃない」
 六十歳で永谷園を退職した能登原を食通にしたのは四十一歳からの三年間だ。肩書は開発企画室長。が、部下はいなかった。それどころかタイムカードも決まった仕事もない。別名「ぶらぶら社員」。出社に及ばず、とにかくうまい新商品を作れ、と社長の特命を受けたのである。
 翌日から仮払いの十万円を懐に、未知の一流店を食べ歩いた。予算は青天井。使うとすぐに補充された。
 「自由に飛び立たないと新しいものに出合えない」。そう気づいたのは数カ月後だ。夜行列車に飛び乗り、仙台から順に北上した。盛岡ではわんこそばを頼み、店員にけげんな顔をされた。団体で注文するものと知ったのは、食べ始めてまもなくである。給仕係がぴったりと付き、なかなか椀(わん)を閉じられない。札幌のかに料理店で昼間から二十一品と酒を頼み、背広姿の客に変な目で見られたことも。「しまったと思ったが、もう遅かった」
 会社から離れる不安をみじんも感じなかったのは社長との信頼関係があったから、と能登原は言う。永谷園の創業者でアイデアマンだった永谷嘉男は「何かひらめいた時におれのところに来い。資料は一切不要」と言っていた。永谷は感性に下支えされた会話を求めていた。
 能登原は三日にあげず社長室に通った。旅から帰るとまずは永谷のもとに土産話を持参した。
 「社長は大抵、『うんうん』とか『まあまあ(のアイデア)だな』とか言いながら聞いていた。まれにゴーサインが出ると十中八、九、ヒット商品になった」
 『麻婆春雨』もその一つ。海外食品の試食会で、スープの素と春雨を組み合わせたイタリア商品にヒントを得た。「日本人にはまずいんだが、春雨が新鮮だった」。いろいろなソースとの組み合わせを試作し、完成にこぎつけた。
 「今でも年間二、三十億円は売れているでしょう。会社に残る道もあったけど六十歳で辞めたのは、十分働いた満足感があったからでしょうね」
                 □ □ □
 その話になると今も、淡路大介(35)は頭を抱える。「記憶があまりないんですよ。多分、成果が出なかったからでしょう。いつだったかもよく覚えていない」
 永谷園マーケティング企画部のグループマネジャーとして新商品開発の最前線で働く淡路の苦い思い出は五年前、会社が十九年ぶりに復活させた「ぶらぶら社員」に指名された時のことだ。五人チームの一人だった。
 勤務時間と服装は自由に、と淡路は要求した。朝一番でもスーパーをのぞける自由が欲しかったし、その際は背広ではおかしかろう、と思ったからだ。が、節度を持て、と却下された。
 淡路の側にも「問題」があった。それまで新商品のヒントを求めて街に飛び出す際、常にグループだった。「最低でも三人。それなら意見が分かれて、好き嫌いの傾向がつかめた」。この手法に慣れきっていたから、「ぶらぶら社員」ながらも五人は頻繁に会って意見交換した。半年後、何も具体化できないままチームは解散した。
 「やるべきことを見つけられないままだった。経験を積んだ今なら、と思うこともあるけど」
                 □ □ □
 能登原は後日、今は亡き創業者社長の永谷からこう言われたという。
 「こんなこと、普通の会社じゃできないぞ。できたのはオーナー会社だからだ。業績も良かったしな」
 能登原が特命を受けたのは一九七九年秋。「八〇年、新時代の幕開けを前に」と、世の中にチャレンジ精神があふれていた。「社長をもり立てれば昇給はするわ、待遇も良くなるわで一体感があった。一人だけだから社長の分身のような気持ちで、自由な発想が生まれた」
 一人で行動した社員が実績を上げた歴史は示唆するものが多い。
 =敬称略
 (「群れないニッポン」取材班)
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