白川郷を訪れた時の続きです。白川郷荻町を後にして、飛越峡合掌ライン (国道156号線) を北上し、富山県南砺市の五箇山にやってきました。五箇山には、「相倉(あいのくら)」と、「菅沼(すがぬま)」の2つの合掌造り集落が存在します。その中の菅沼合掌集落にやって来ました。ここも白川郷や相倉とともに世界遺産に登録されています。白川郷ほどの賑わいはありませんが、山あいを流れる庄川のわずかな河岸段丘にある菅沼集落には、日本有数の豪雪地帯という厳しい自然環境に耐える住まいとして、現在9戸の合掌造り家屋が残っています。久しぶりに訪れて驚いたことは、国道脇にある駐車場から集落へ降りるのにエレベーターが設置されていたことです。かつては秘境と呼ばれたこの地も変わりつつあるようです。
越中五箇山・菅沼合掌集落を、駐車場横の展望広場から見下ろしたところです。
駐車場横に設置されたエレベーターで下りて、このトンネルを抜けて集落に入ります。
集落の多くでは、屋根裏での養蚕と地下での塩硝(火薬原料)の製造が行われ、加賀藩を影で支えていました。黒色火薬の原料である塩硝は、鉱山から掘り出してくるのではなく、民家でカイコ育成の際に出た汚物や植物をため込んで精製したということです。塩硝製法は、鉄砲伝来(1543年)以来20数年で、すでに五箇山に伝えられていたようです。
富山県南砺市上平村の道の駅・上平付近
上流のダムは赤尾ダムです
流れる川は庄川です
越中五箇山・菅沼合掌集落を、駐車場横の展望広場から見下ろしたところです。
駐車場横に設置されたエレベーターで下りて、このトンネルを抜けて集落に入ります。
集落の多くでは、屋根裏での養蚕と地下での塩硝(火薬原料)の製造が行われ、加賀藩を影で支えていました。黒色火薬の原料である塩硝は、鉱山から掘り出してくるのではなく、民家でカイコ育成の際に出た汚物や植物をため込んで精製したということです。塩硝製法は、鉄砲伝来(1543年)以来20数年で、すでに五箇山に伝えられていたようです。
富山県南砺市上平村の道の駅・上平付近
上流のダムは赤尾ダムです
流れる川は庄川です