自然を求めて近辺ぶらり

四季折々の風景、草花、野鳥などの写真を紹介しています。

奈良県御所市船路の「関西花の寺第二十二番・船宿寺(せんしゅくじ)」と明日香の「石舞台古墳」

2018年11月25日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
奈良県桜井市多武峰にある談山神社の後、奈良県御所市船路 (ごせし ふなじ) の集落にある、関西花の寺第ニ十二番 船宿寺(せんしゅくじ)を訪れました。ここはツツジ、シャクナゲ、オオテマリが咲く季節が美しいことで知られているようです。秋は花が少なくサザンカぐらいしか見られませんでしたが、紅葉と山裾の高みから眺める金剛山が一望でした。それにして、海も湖もないこの地が、なぜ船宿寺という寺名とか船路という地名がつくのか気になるところではあります。ここへ向かう途中に明日香村の石舞台古墳の前を通りかかったので、久しぶりにここにも立ち寄ってみました。

船宿寺


















今から千二百年有余年前の神亀2年(725)に、行基菩薩がこの地にこられて庵をむすび、薬師瑠璃光如来をおまつりになったのがはじまりです。心や身の病、悩みをお救いになる薬師如来をおまつりになったので、この地を医王山といわれました。寺につたわる古い記録では、葛木の地にこられた行基菩薩の夢の中に老人が現れて『これより東の方へ行くと、山の中に船形の大きな岩があるから、その岩の上に薬師如来をおまつりするように』と告げられました。夢からさめた行基菩薩は、東の山の中に岩をみつけ、そこに御仏をおまつりし、船宿寺と名づけました。現在その岩場には、岩舟権現がまつられています。平安時代になって弘法大師さまの御教えをまもり、その道場として今日にいたっております。(船宿寺パンフレットより)

石舞台古墳
蘇我馬子(そがのうまこ)の墓と伝えられる石舞台古墳〈6世紀末~7世紀前期〉は、わが国最大の方墳であり、30数個の岩の総重量は約2300トンにもなります。 特に天井石は約77トンもあり、造られた当時の優れた土木・運搬技術がうかがわれます。月の夜、狐が美女に化けてこの上で舞ったという言い伝えがあります。(明日香村ポータルサイトより)






















秋まつりが開催されていて、大勢の人で賑わっています。


石舞台古墳周辺の高台では柿の収穫の時期を迎えているようでした。