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日本史の法則

2022年12月26日 20時17分42秒 | 歴史
 世界の歴史にはいくつかの法則があると考えられる。人類の歴史といっても同じとする。まず一つ進歩、二つめとして発展。これはヘーゲルから学んだのだが、真理だと確信している、いわゆる発展史観。ヘーゲルはそれは世界精神の発展としてとらえた。人類理性の発展としてとらえることもできる。観念論といわれるゆえんである。
 ヘーゲル左派と哲学思想史的に位置づけられているマルクスは、その史観に唯物論を導入した。史的唯物論である。物質的要素として、その時代の生産物、生産関係、生産財の所有に着目して労働者階級と資本家階級が対立する資本主義社会を考えた。この二つの階級矛盾が発展止揚して次の高度の社会主義に移行する。弁証法的唯物論である。正と反の統一が高い段階に達する。
 基本的人権も発展している。昔の人命は羽のように軽かった。過去の一次史料を見ると。現在では個人の生命は地球と同じくらい重いとされている。一世代や二世代前の日本では戦争によって簡単に多数の兵士の命が奪われた。それは少数士官や将軍の命も同様だった。
 そこで日本史だが、司馬遼太郎の作品群を読んで着想した。同氏は評論で日本の政権は昔から東海道を行ったり来たりしていると述べた。確かにそうである。兵庫の福原、大坂、京都、鎌倉、江戸と東海道線上にある。そうだ、日本史にも大きな固有の歴史法則がある。
 大阪府内において日本史の過去で、天下の大軍勢を迎え撃った守城戦が二度ある。
 まず最初は楠木正成率いる千早赤阪城の攻防である。二度目は豊臣秀頼のこもった大坂城冬の陣夏の陣だ。どちらも歴史を分けるエポックメイキングになった。
 最初は大阪方勝ちの情勢で鎌倉幕府滅亡する。二度目は攻城方勝利で元和偃武、日本の戦乱はこれで治まった。城主の能力差か、攻める側指導者の能力差か。
 実は家康は近過去に天下的攻城戦を経験している。それが秀吉による北条氏小田原城攻めである。当時、北条氏小田原城は上杉謙信の軍勢にも武田信玄の軍勢にも守り抜いた堅忍不抜の城と知られていた。それを城攻め名人秀吉の大軍が勝利したのを、傘下の有力武将として家康はまじかに経験した。この学習が後に大坂城攻めに活かされる。
 天下の大軍を集めて一城を攻めるという出来事はそれほど日本史に何度もないが。