バンマスの独り言 (igakun-bass)

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音楽通(つう)と言われたい人への短期集中講座9

2008年09月16日 | 音楽講座および楽器の話
毎日連続で「テーマ」を探し、採用したそのテーマに沿って資料を探したり、文章を心の中で練ったり、組み立てたり・・・この短期集中講座もけっこう苦労の連続だった。
今日でそれも9回目を向かえ、最終回(第12回)へと最後のがんばりをみせようと思う。

今日は音楽の区分の仕方のひとつ、「スタンダード(曲)」と「オリジナル曲」について書いてみよう。


「スタンダード」(standard number)

人はなぜスタンダードを演奏したり聴いたりするのか?

1. 脳は「いつもと変わらないものは無視していつもと違う情報だけ認識する」という原則で作動している。
この「環境適応と新奇性」の法則を利用して、素材としての曲ではなくむしろ自分のオリジナリティをこそ全面に出して聞かせる戦略として。

2. 有名なエリントンやマイルスなどの曲、誰も知らないマイナーなポップスやロックの曲など、曲の選び方に自分の主張とセンスのよさを表現しようとして。

3. 誰でも知っている曲がこんなに新しく生まれ変わってしまうんですよ、という編曲・アレンジ・料理の才能の見せ場として。(カバーとほぼ同義)

4. スタンダード集とか「プレイズもの」は売れるんだよ、という製作者の主張に反論できない(前作のオリジナル曲集が全然売れなかった)ミュージシャンの妥協策として。

5. 昔聴いた時の懐かしさがよみがえれば(演奏の質なんかともかく)それでいいという聞き手と、そういう聴き手にも何か新しい感動を与えたいと考えてしまう良心的で創造的なミュージシャンの毎晩の選択として。

6. わたし、ジャズ良く知らないけれど、あの曲好きなの、っていう女性の歓心を買う作戦として。


(参考)
多くのミュージシャンにくり返される曲。演奏家なら知らないではすまされない古典落語のような「標準」噺。
ミュージカルや映画の曲やポップスのヒット曲からマイルスの曲、ジャズ・ミュージシャンが書いた曲まで繰り返し演奏されればスタンダード。



「オリジナル曲」(original tune)

どんなに「新しい音」が好きな人でも、「すでに知っている曲」の方が、なんとなく安心して、落ち着いて聞いていられるのはいったいどうしたわけだろうか?

所詮、人間の耳なんて保守的なものさ、などと悟りきったことをつぶやいてみるのもそう難しいことではないが、それならばなぜ、人はいまだに少しでも新しい何事かを期待して、自作のオリジナル曲を書いたり、演奏したりし続けているのだろうか?
我々はミュージシャンがオリジナル曲を書いて演奏しようとするのは、それなりの深い動機があり得るはずだということをどんな時でも忘れてはならない。

なるほど、仮にその曲がヒットすれば印税収入が増えるといった下世話な理由もあるかもしれない。また、新しい演奏上の方法論を見出して、それを最もよく表現しえる素材として曲を書くということも、その強い動機になり得るだろう。
だがいずれにしても、オリジナル曲はすでに「知っている曲」に対して、ハンデを負っているのだ。
そこに間違いなく意図されている「何か」を聴き取ろうと努力する気が無いのなら、何も好き好んでロックやジャズを聴かなくてもいいという気もするが。

(参考)
ポピュラー音楽のミュージシャンにとって、多くは自分で演奏するために書かれた曲。
「スタンダード」の反対語といってもいいが、繰り返し多くのミュージシャンによって演奏されたオリジナル曲はスタンダードの殿堂入りする。 

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