バンマスの独り言 (igakun-bass)

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僕のニューヨーク生活 6

2006年01月26日 | 僕のニューヨーク生活
ピーター・アースキンに連れられて覗いたスタジオにはアラミス900の香りのするジャコ・パストリアスという天才がいました。

住んでいた近くの朝食屋(デリですが)で知り合ったドラマー、ピーターは毛むくじゃらでいかにもドラマーという(通常のバンド内では唯一肉体労働系)筋肉プリプリの体格に柔和な表情がなんとも不思議に調和したいいアニキという感じでしたが、聞けば聞くほどそのドラマー人生はすごいもので人脈もそうとう広いなぁと尊敬すら覚えたものでした。
その彼とミッドタウンにある大きなリハーサル・スタジオに行くと、ラウンジ(ロビーかも)で目の前をウェザー・リポート(WR)を退団した後に自分のビッグバンドみたいなものを当時結成していたベーシスト、ジャコ・パストリアスが通り過ぎました。(前回のお話はここまででしたね)

プ~ンと匂ったアラミス900(コロン)の香りはジャコ選手のものでしょう。自動販売機に行ってソーダを買い、また戻ってきました。一緒にいたピーターはすぐに彼を呼び止めました。久しぶりだったような様子でした。一言二言「元気だったかい?」みたいな会話をしていた記憶があります。立ち止まったジャコ選手は大変にハイテンションなニイチャンでした。あの腰を抜かすような天才的ベースプレイをやってのける御仁とは到底思えないほどの普通さ。こちらはほとんど目をまん丸にして二人を見ています。
もちろん僕の心の中ではあの日、厚生年金会館で目の当たりにしたWRのコンサートにおけるこのベーシストの「くねくね歩きプレイ」と目の前に今いるこのニイチャンとが無理やりダブっているわけで、何を彼に話そうかなんて思いもおよばない真っ白な瞬間が数秒ありました。
ピーターは僕を彼には紹介してくれませんでした。そう、彼はジャコ選手の性格を知っての上でそうしたのです。この天才は興味のないことや自分と無関係なことには一切タッチしない性格だそうで、おまけにこの当時は病的なまでの「躁鬱(そううつ)」だったので彼の周りの人ですら余計な事は言わない、してあげない、みたいな状態だったのです。僕は会話を断念しました。
立ち話が終わったピーターとジャコの偉大な元リズムセクションの二人はそのままトイレに行きました。その時僕はどうしていいか分からず、何ということでしょう、一緒に付いて行ったのでした。そして僕はトイレの中で偉大なこのベーシストの放尿音を聞いたのでした!

WRにおけるリズム・セクションの人間的交流はさすがにプロの仕事師同士だけあって意外に希薄だったようです。ピーターが言うには当時あのバンドでのフロントマンは人気・注目度から言ってもベースマンのジャコ選手だったようです。あの斬新でアグレッシブなベース・ラインは独特の音質ともあいまって聴衆が最も聞き取り易いミドルレンジのパートでもありました。ジャズベースのブリッジ近くに置いた右手のポジションは当然のことながら固めな音質になります。加えてその指が感じる感覚的な弦のテンションもタイトです。したがって自然に発音はミュートぎみの固めの音、ということになるわけです。さらに彼はフレットレスですので指の肉がフレットになります。こちらは多少芯の甘い音質です。これらが合わさったベース音がバックローデッドのアコースティック360アンプのあの幅の広い出口から出てくるのです。当時より非常に特殊な音であったと思えますが、僕はどうしても彼の楽器に触ってみたい衝動にかられていました。
あの時、ジャコ選手はいわゆる付き人のような人はいないようで何でも一人でモソモソとやっていましたが、スタジオのスタッフが彼のフレットレスをなにやらメンテしているのが、ガラス越しに見えました。すでに持ち主はどこかへいってしまったようで(たぶんランチかなにかでしょう)、僕はピーターに中に入れないかな?と言いました。そばにいたスタッフが(ピーターの代わりに)即座に「NO!」と言いました。理由は分からないけど、そりゃそうですよね。面識のない東洋人が突然そんなことを言ったって。
で、僕は言いました。あの楽器の「弦高」が知りたいんだ、と。
ジャコ選手のあの複雑なラインと時折聞かせるハーモニクスはいったいどんなコンディションの楽器から生れるんだろう・・・これは僕の他にもベースを弾く人なら共通の興味に思えます。

そうしたらピーターがコントロールルームにいたスタッフに声をかけてくれて、僕は思いもかけないその楽器との対面を約1分間してしまったのです。
ボディーは傷だらけ。あちこちぶつけてできたであろうヘコミがあって、特に何のへんてつも無い古いジャズベーでしたが、「弦高」はフィンガーボードすれすれになっていました。地を這うように張られた鈍い光を放つロトサウンドのラウンドワウンド弦を錆びたブリッジが支え、とても印象的でした。この対面はごく短時間(まぁ、一瞬に近い)だったので「弾く」なんてことは恐れ多く、ただスタンドに寄りかかった「天才の友人」に触れただけでしたが、やはり結論は(月並みですが)「この楽器にあの天才プレイを生み出す何かが特別にあるとは思えない」でした。
しかしながらジャコ選手にとってこの楽器のプレイアビリティは相当高いものに違いなく、たとえ彼以外のプレーヤーがこれを弾いたとしてもあの音楽は出てこないだろうな、ということは容易に想像できました。他人のプレイを寄せ付けないような人見知りタイプの楽器なんだと思います。

彼の「友人」はすぐにスタッフの手によってメンテが再開されましたが、僕は不思議と今回は冷静な気分でこの突然の出会いの全てを見ていました。
ジャコ選手はしばらくして戻ってきましたが「友人」と見知らぬ東洋人が面会していたことなどつゆ知らず、スタジオ内へ入っていきました。帰る時間になりガラス越しにピーターがジャコ選手に手を振って「バイバイ」をすると、スタジオ内の天才は手を振って答え、次に僕と目を合わせ親指を立てて「OK!」なのか「Have a nice day!」なのか「Good Luck!」なのか分からない合図のような挨拶をくれました。

これが天才ベーシスト、ジャコ・パストリアスとの永遠の別れでした。

(彼は麻薬中毒というより重度の躁鬱病だとスタッフに聞きました。だからいわゆる変人というような感じではありませんでした)

さて、ピーターともその後別れて、夕方近くになっていたミッドタウンを一人でふらふらと歩きレコード店、楽器店とメイシーズ(デパート)へウインドショッピングに行きました。途中でよく立寄るスポーツ用品店でナイキのウインド・ブレーカーを見つけ、とても気に入ったので高かったけどTシャツやキャップとともに買いました。この買い物はどうしてかというと数日後にボストン交響楽団が主催する「タングルウッド音楽祭(バークシャー・ミュージック・フェスティバル)」に行く事になっていたからなんです。

マサチューセッツ州の西のはずれ(隣はNY州)に位置する日本では軽井沢みたいな避暑地で行われるクラシック界では超有名な音楽祭の切符が幸運にも取れたためですが、緑豊かな丘陵地帯の森の中にある音楽ホール(前半分に天井があり、後ろは芝生の自由席)で今度はクラシックの有名日本人指揮者とお話をする機会が訪れます。

そしてその奥様とも面識を得るのですが、その美貌の奥様のお名前は 小澤ベラ さんといいます。

次回はその音楽祭での新たな出会いとクラシックのことを書く予定です。

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9 コメント

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JACO (ふう)
2006-01-29 12:12:50
いやー、この記事を読むだけで、当時の緊張感や空気まで伝わってくるようです・・。

何をコメントしても、このバンマスさんの文章(というか、貴重な体験)にケチをつけてしまいそうなので、今回はやめておきます。(溜息)

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神格化された普通の男 (igakun-bass@発行人)
2006-01-29 15:44:12
>ふう さま



空気感を読んで頂いて嬉しいです。当時、生きているジャコはそれこそ有名な天才肌のベースプレーヤーという位置付けでしたが、不慮の死を遂げた後の彼は神格化されていきましたね。



その音楽は二度と生では聞けなくなりましたが、音楽を取り去ったジャコという男は本当に普通の人間だったように思えてなりません。

彼のベースラインは神がこの世に少しだけ生きた普通の男に特別に授けたものだったのでしょう。



もう一度会いたかった人です。
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私も実は… (はりけ~ん)
2006-01-30 01:05:13
何かコメントするのが憚れるような気がしてました…。

以前ベースマガジンに連載されていて、今は単行本にもなっているドキュメントをよく読んでいました。その中でジャコはアル中で一口飲んだだけで人格が変わったそうですが、素面の時は愛される存在だったとも書かれていました。きっと躁鬱症と言う方が正しかったのでしょうね。

愛器の事も、ジャコが来日した時にホテルの一室で弾いていると下のフロアにまで響いてしまい、迷惑だと言いに部屋に入ると生音だったとか。

生きていたら、またもしWRではなくBS&Tに加入していたらどうなっていたか、興味は尽きませんね。
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みんな彼のことをいろいろ言いますが。 (igakun-bass@発行人)
2006-01-30 11:13:16
>はりけ~ん さま



ジャコの話は意外に淡々としたものだったでしょう? 肩透かしでしたか?

彼は大物だったかもしれないけど、多くの有名ミュージシャンと同じで普段の生活はごくフツーだったと思いますよ。(その点、楽器プレーヤーより「ボーカル」の大物の方が常軌を逸した生活ぶりだなんてことが多いですね・・・愛器という存在がない分、寂しいのかも)



生音がそんなにデカいんですか?初耳でした。

木村建設が建てた東横インでの話じゃないですよね?
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re:生音 (ふう)
2006-01-30 17:43:45
いやー、聞くところによると本当に「生音が大きい」らしいですよ。



JACOはわざとベースのボディが身体に付かないように、(音が減衰しないように)離した格好で弾いていたようです。



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へぇ~、そうなんですか~! (igakun-bass@発行人)
2006-01-30 20:04:33
・・としか言いようがありません。ふう さま。



僕はジャコの文献を読んだ事がないので、そういったエピソードは知らないんです。

生音が大きいというのは楽器のせいですか、それともフィンガリングの馬力?

使っていたエフェクターは? etc.

いろいろ教えてくださいよ~。



僕はジャコの使っていたコロンの匂いを嗅ぐと、すぐに彼のことを思い出します。ただそれだけです。その他の知識はありません。



しかしふうさんもはりけ~んさんもかなりのジャコ・ファンとお見受けしました。
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re:「かなりのジャコ・ファン」 (ふう)
2006-01-31 09:21:04
世の中でベースをやっている人の4割以上はジャコ・ファンだと思うのですが・・・。

ある意味「ジミ・ヘン」のように伝説化していることも、人気の秘密かと思われます。



17歳の時にWRを聞き、完全にノックアウトされました!(笑)
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出会いの一歩目 (テーラー)
2006-02-03 00:03:40
これでロン様、ポール様、ピ-ター様、とどめのジャコ様と。

まだまだ出そうですね。

いいタイミングで出会いがあってもなかなか一歩がでないのが普通ですが、やっぱりココ一番の行動力というか、瞬発力がバンマスにはあるですよね。

あそうそうメインはやっぱりタミーさん
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まだまだ出てきますよ~! (igakun-bass@発行人)
2006-02-03 16:24:48
>テーラー さま



ジャコ様がとどめではありません。まだまだ多くの人に会っています。

「瞬発力」などと嬉しい評価をしてもらいましたが、予期しない出会いの時ただ遠くから見ているだけでは何も起こりません。その人の息がかかるような近さにまで寄っていかないと・・・。



タミーの存在というのはいつもオーバーヒート気味の僕をクールダウンしてくれる存在でした。

有名人に会った話をいつもウンウンって聞いていました。
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