誇り高き日本の歴史

学校での歴史教育は大東亜戦争の敗戦で歪められ、真実は30%程度に過ぎないため真の国史を明らかにします。

日本人のルーツと超古代文明

2017-01-07 20:14:44 | 古代史


<日本人のルーツと超古代文明>

①終戦後、GHQに阿(おもね)る曲学阿世の歴史学者が「朝鮮半島騎馬民族説」などという邪説を流布し、「日本の歴史は中韓より短く、文化は中韓より学んだ」などとし、多くの日本人が洗脳されたままなので、真の日本人のルーツと古代日本に超高度文明があったことを紹介します。

1、日本人の起源

②もとより日本人のルーツに関しては諸説ありますが、一般的な説では、生物学的な意味での人類は10万年単位を一つの区切りにして「原人」→「旧人」→「新人」と区分されます。

③私たち現代人はこのうちの「新人」に属し、そのルーツは20万年前の北アフリカだとされています。そこから人類は中東を経て中央アジア(メソポタミア=シュメール)辺りに移動、さらに二手に分かれ、西は欧州、東は東方アジアへと分布したというのが有力説です。

④このうち、日本人のルーツは、太古、宗谷海峡が繋がっていたことからシベリア経由でやってきた「アイヌ系狩労民族」と、インドや東南アジアを経てやってきた「沿岸海洋民族」が中心とされてきました。

⑤さらに、年代の流れにしたがって詳しくみてみると、「縄文人」→「弥生人」→「古墳人」となります。まず「縄文人」は、1)太平洋系海人族・安曇氏、2)シュメール系海人族・橘氏(和田、楠、葛城、尾張、犬養、春日、小野)、平氏、3)北方アイヌ人(蝦夷)からなります。

⑥海人族・安曇氏は、山口県下関市彦島の杉田丘陵や角島、玄界灘にある沖の島、出雲の日ノ御碕沖等に、与那国島沖と類似する神殿跡やペトログラフ(岩絵文字)があることから、主に北部九州から近畿にかけて分布した海洋民族「
メネフネ族」と考えられます。

⑦なお、これらと同形のペトログラフは、韓国、台湾、中国では全く見つかっておらず、特に朝鮮半島では5000年以前には人が居住した遺跡が存在しません。またメネフネ族とは別に、同じく海人系ミクロネシア人の「熊襲」あるいは「隼人」は南九州、南四国に分布しました。

⑧一方、シュメール系・橘氏ですが、アッカド人に国を追われ各地に分散した一派が、海路から和歌山県近辺に渡来し居住、海人族として後に物部氏とともに蘇我氏と争って下野したため、脚光を浴びることがありませんでした。

⑨が、天武天皇の代から橘美千代が宮中で命婦として勤め、女帝元明天皇から橘宿禰の氏姓を賜り、その子諸兄が有名です。皇室の警察犬を使う犬養氏、葛城氏も同族で、橘氏は和田氏、楠氏につながります。平氏の起源も、平清盛の話によるとペルシャ方面にあるということです。

⑩他方、アイヌですが、カムチャッカ半島など北シベリア方面に分布していたスーセン族と、サハリンからアムール川周辺地域など東シベリア方面に分布していたギリヤーク族(ニブヒ族)からなり、前者「阿蘇辺族」は主に北海道東部に居住し、後者「津保化族」は本州にも居住、後に「荒覇覇吐王国」を作りました。

⑪次に「弥生人」は、1)古代ユダヤ10支族・海部氏(物部氏)、2)支那大陸華南地域から来た「倭族」からなります。このうち海渡人(ウミワタヒト)という海人族が海部氏(物部氏)で、秦の始皇帝の側近・徐福によって連れてこられた数十万人の古代ユダヤ人の一団という説もあります。
 
⑫なお、海部氏が社家となる丹波地方にある籠神社では、「アマテルとニギハヤヒの両神は同体なり」として、海部氏と物部氏の合族を伝えています。

⑬最後に「古墳人」は、1)崇神天皇の時代にやってきた突蕨系の「土師(はじ)氏」、「西文氏」、2)応神天皇の時代にやってきたツングース系の「越氏」、古代ユダヤ10支族でスキタイ+アーリア系の「秦氏」からなります。
 
⑭土師氏は半島由来の騎馬民族で、主に古墳の造営を行うゼネコンのような立場だったようです。”はじ”という呼び方も、土地を与えられない"非定着漂流民”という意味での蔑称から来ていると言われています。
 
⑮西文氏は北陸に渡来し、半島からの移民、難民の受け入れ事務所を置き、漂着する渡来民を引き受け労働力として畿内の土師氏に送り込む”手配師”でした。ツングース系越氏も西文氏と同じく北陸地方に定着しました。尚、秦氏は100万人規模の大集団でやってきたとされていますが詳細は別項で述べます。
 

2、「日本人は農耕民族」の誤り
⑯ところで、よく「狩猟民族と農耕民族」という区分けとともに、「縄文人が元々日本列島に居住していた土着民(農耕民族?)で、弥生人は大陸ないし半島から来た征服民族で抑圧的だ(狩猟民族?)」などの俗説がありますが、全くの誤りです。

 
⑰恐らく、このような俗説が囁かれる背景には、明治維新以降、隅に追いやられた感のある東日本を中心とした旧幕藩体制での支配階級だった人々が、天皇制を頂点とする明治以降の体制への不満の論拠としたいとの思いがあるものと推測されます。

⑱例えば、誤解が多い説として、和辻哲郎は「日本人は農耕民族で、西洋人は狩猟民族」と分類します。「農耕民族」は稲作による定住生活を常とし、一方の「狩猟民族」は当初は海山での狩り、そして時代を経た後は組織的な遊牧、牧畜へと発展して行きます。
⑲ただよく考えてみると、人類はその誕生期において、石器時代に見られるように、狩猟を生活の手段にしている点では共通しており、牧畜、農耕は人類文化の発展とともに生まれた合理的な生活様式であると考えられます。

⑳だとすれば、「日本人は農耕民族で、西洋人は狩猟民族」という図式は、時代の流れを無視した分類と言わざるを得ず、時代の流れに沿えば、「縄文人が狩猟民族」で「弥生人が農耕民族」というのが自然です。実際、縄文人の顎は肉食に適して発達しており、弥生人はノッペリしています。

㉑また、「倭族」が大陸から稲作を持ってやって来たなどともいわれていますが、「倭族」とは古代日本人の呼称です。これは「大陸と一部陸続きだった氷河期に、日本から大陸に人々(カラ族)が移動し、その後里帰りしたのが真実で、加えて日本には「縄文稲作」がありましたが、詳細は別項に譲ります。

㉒さて、以上のように考えると、弥生人は農耕民族であるが故に性格は穏やか。他方、アイヌ含む縄文人には、海洋民族とシベリア、更にはポーラ化粧品のDNA研究の結果、東欧等からもやって来た狩猟、遊牧民族も含まれることが分かっており、性格は荒っぽい、ということができます。


3、古代の太平洋上に高度文明?

㉓ところで、縄文以前の石器時代には主に南九州、四国、紀伊半島に海洋民族が居住していました。これが「港川人」で、沖縄で人骨が発見されており北京原人よりも古いことが証明されています。このことを根拠に、かつて太平洋上に文明が存在し、活発な交流があったのではないかという説があります。

㉔この点、「竹内文書」によると、大和先行王朝である「鵜芽葺不合朝」第六十九代・神足別豊鋤天皇の時代に、太平洋上には「ミヨイ」、「タミアラ」という大陸があり、五色人(白人・黒人・赤人・青人・黄人)と王族の黄金人がいたが、天変地異で水没しため日本に避難したとされています。

㉕また、出口王仁三郎も、米国考古学者・チャーチワードが「失われたムー大陸」を発表する9年前の1922年に、『霊界物語』第9巻で、「太平洋の真中に縦が二千と七百浬、横が三千一百浬の黄泉(よもつ)の島がある」として、太平洋に巨大な大陸があったことを発表しています。

㉖このようにみてみると、日本人のルーツは「ユーラシア大陸系(狩猟、農耕、騎馬民)」と「太平洋系(海洋民)」であると言えます。これを時代区分に対応させると、狩猟民、沿岸民、海洋民が「縄文時代」以前、農耕民が「弥生時代」、騎馬民が「古墳時代」以降ということになります。

㉗が、昭和24年に、天才物理学者の楢崎皐月(ならさきこうげつ)が、日本には縄文時代以前の石器時代に、「カタカムナ文明」という超高度文明があったことを発見しています。その傍証として、岩手県金取遺跡からは9万年前の足跡、島根県砂原遺跡からは12万年前の打製石器、

㉘また、東京都栗原遺跡や千葉県三里塚など、秋田県から奄美大島まで全国135カ所から、これまで世界最古とされてきたオーストラリアの2万9千年前を遥かに凌駕する3〜4万年前の磨製石器、青森県大平山元遺跡からは、世界最古とされる石器時代1万5〜6千年前の「無文土器」や「石の矢じり」が発見されています。

㉙さらに、熊本県の弊立神宮にある「日文石板」は、炭素放射線測定の結果20〜30万年前のものと証明されており、そこには「豊国文字」を使った古代天皇の名で「ひふみよいむなやこともちろら、ねしきるゆいつわぬそを、はたくめかうおえに、さりへてのますあせゑほけれ」と記されています。


4、兵庫県にあった世界最古のカタカムナ文明

㉚さて、楢崎皐月は戦前、満州に渡り、石原莞爾、辻正信、服部卓四郎らとともに満州の発展に寄与、特に当時世界一の製薬会社だった「星製薬(現在は品川)」の星一と「植物波農法」などの植物研究に取り組み、モルヒネなどの研究開発にも関わります

㉛そんな中、楢崎が吉林にある道院を訪ねた際、廟の道士である蘆有三から瞬間沸騰する茶釜を見せられ、「上古代の日本には"アシア族"といって、八鏡文字を編み出し、特殊な鉄の鋳造技術等の高度文明を持つ人々がいて、それが中華文明の基礎になった」という古伝を聞かされます。

㉜謎を抱えたまま終戦で帰国、星製薬で大気電気の研究を続けていた楢崎は、昭和24年、兵庫県六甲山でカタカムナ神社の宮司・平十字(ひらとうじ)に遭遇、「カタカムナ文献」を見せられました。そこには「宇宙の構造」や「生命体の本質」など、最先端の科学、哲学が記されていたのです。

㉝このような文献が見つかるところからすると、人類学的な人間の起源は別として、日本が文明社会の起源だった可能性が出てきます。では、なぜ超古代の日本にこのような高度な文明が存在したのか?鍵は、いわゆる"天孫降臨神話"にありますが、この点については「ムー大陸」伝承にも関わるテーマなので別項に譲ります。


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