いっちゃんのよもやまばなし

ユートピア活動勉強会で使用した政治・経済・歴史などの書籍やネット情報、感想などを中心に紹介します。

大変化 経済学が教える二〇二〇年の日本と世界  竹中 平蔵  著

2016年07月30日 13時05分29秒 | 書籍の感想とその他
 参院選前の4月13日、自由主義経済や規制緩和を考えるためにこの書籍を選び学びました。タイトルを並べて眺めると一部違いはあっても、都知事選に出馬した七海候補とかなり共通する政策や視点を提供していることが分かります。

 共通してないのは、自由主義や民主主義の根底に流れている人間の尊厳にかかわる宗教的価値観だと思います。例えば、「子供は親を選べない」とか「非認知能力(忍耐力など)の重要性」を主張していますが、宗教は明確な答えを持っています。(認知能力は分別..)



 米国の年度改革要望書のお先棒を担いでいると批判されることが多い著者ですが、私も株式等価交換方式の導入を主張する同氏の姿勢は郵便銀行を米金融業に売り渡すのか!と亀井氏と同じ印象(国賊...失礼しました)を持ったことがあります。この懸念は外れました、よく考えたらそんな時間のかかる効率の悪いことなどを金融資本主義の権化がするはずもありません。巨大過ぎて引き受けてくれるヘッジファンドもいないと思います。

 同氏の失敗は小泉政権の時代に金融庁や日銀に乗り込んで、流動性供給に最大限の精力を傾けながら、必要な財政支出を削りすぎてしまったことにあると思います。同じことを今も繰り返してるのではないでしょうか。

 財政支出で大切なことは投資と消費をはっきり分けて考えることだと思います。
 小さな政府に舵を切らなければならない時期ではあっても、投資を怠れば未来に禍根を残す、この現実的なバランス感覚はシビアな時代に生き残っている中小企業経営者に尋ねれば良いと思います。胃の痛みを感じながら、神にも祈る思いで意思決定をしていることが分かると思います。

 ともあれ、はじめの全文と全体の章立と見出しを並べて見ます。
これだけでも、政策を考える上で参考となる切り口です。
(同氏は格言もうまく使っています、さすが!)
 それにしても、記者からの「トリクルダウンはどうなったんでしょうか?」との質問に「そんなものはもうない」となぜ答えたんでしょうか、この章立てを見れば本音でないことは明らかだと思います。(記者の都合の良いとこどりかもしれませんが)

はじめに―「どうなる」ではなく「どうする」を考えよう
「コンパス」を持っているか
二〇二〇年以降、日本や世界はどうなっているのか。
 巷間よく言われるように、財政破綻が近いのか。それとも「アベノミクス」が奏功して経済財政ともに再生するのか。それに伴って、私たちの暮らしや働き方はどう変わるのか。さらには混沌とするEUや、景気減速が顕著になった中国はどうなるのか。
こうした国内外にある諸問題に対し、私なりの「未来予想図」を提示したのが本書です。そこで、各章の冒頭には、簡単にその「見取り図」を示しました。来るべき未来の全体像を掴んでいただいた上で、その後の解説をお読みいただければと思います。

 ただし、私が本書を執筆した意図は、たんに「未来予想図」を示すだけに留まりません。「これからどうなるか」を知ることではなく、「これからどうするか」を読者白身が考える、 そのきっかけにしていただきたいと思っているのです。

 マサチューセッツ工科大学のメディアラポには、「The Principles」 と題された九つのキーフレーズが掲げられています。インターネットが登場する前(before Internet)と登場後(after Internet)では世の中のバラダイムが変わったとして、 具体的に九つの大きな変化を挙げているのです。
 その中に、私がとりわけ興味を持ち、未来をもっとも象徴的に表していると思う言葉があります。
「Compass over Maps」―地図よりもコンバスが重要な時代になる、ということです。

 変化の激しい昨今、地図はすぐに上書きされます。 最新版を手に入れても、しばらく経つと役に立たなくなる。しかし、どれほど地形や境界線が変わっても、コンバスがあれば自分の進むべき道がわかります。 針路はそれぞれが決めることですが、その根拠となる自分なりの哲学や座標軸を持つことが、 これからの時代には非常に重要になるということです。

 従来、人生の地図には「定番」がありました。偏差値の高い有名大学を出て、一部上場の大企業に入り、管理職に就き、一戸建ての家を持ち、生涯安定的に暮らす、というものです。

 しかし、みなさんも感じていらっしゃるとおり、今やそんな地図は何の役にも立ちません。いい大学を出ていい会社に就職したと思っても、 その会社がいつまで存続するかわかりません。勤め先が外資系の会社に買収されて、ある日を境に業務内容がガラリと変わる、ということも実際に起きています。あるいは会社は存続しても、白分の席が無事に残るとは限らない。そのとき、古い地図しか持っていなければ、たちまち路頭に迷うことになるでしょう。

知識がすぐに陳腐化してしまう世界
 ここで重要なのが、「自分にはこれができる」というものを持っていることです。例えば、「財務のプロフェツショナルとしてやっていく」でもいい。あるいは「この方向に進めば間違いない」という信念を持つことでもいい。こういう確国としたものがあれば、慌てることはありません。それが「コンバスを持つ」ということです。
そう考えると、「Compass over Maps」とは、二十一世紀を生きていく私たちにとって象徴的な言葉のような気がしてきませんか。

 とりわけ教育において、 この言葉は重要な意味を持つと思います。かのアインシュタインは、「教育とは、学校で習った知識をすべて忘れた後で、自分の中に残ったものを指す」と述べています。ここでいう「知識」が「地図」に相当します。便利なものではありますが、すぐに陳腐化するし、じつは間違っていたということもよくあります。

 例えば鎌倉幕府の成立年を「いいくに(一一九二年)」と覚えた人は多いと思いますが、最近の歴史教科書では一一八五年と記されています。つまり知識白体は、あまりアテにできないわけです。
 しかし、知識をひととおり得た後で概念のようなものを掴み、俗にいう「地頭」を鍛えることができれば、人生のあらゆる場面で役に立つ。それは本人の意志と努力しだいで身につけられるものだと思います。

「自力」を鍛えることがますます必要とされる時代に
 「Compass over Maps」は、 「competitiveよりもcompetent であれ」と言い換えることもできます。「competitive」は「競争力がある」という意味ですが、ステージが限られます。例えば、excelを使って与えられたデータを解析し、表をつくり、さらにwordを使ってレポートを書く。これはcompetitiveな仕事です。しかし、数年後にはexcelもwordも古くなり、 まったく別のソフトがスタンダードになっているかもしれません。その時点で対応していなければ、競争力を失うわけです。

 一方、「competent」とは「対応能力がある」という意味で、状況がどれほど変わっても競争力を維持し続けることを指します。前者が「知識による競争力」であるのに対し、後者は「自力による競争力」であると言えるでしょう。
 例えばアメリカの大学では、最初の四年間で基本的な教養(arts & science)を広く学ぶのが一般的です。それを踏まえて、ビジネス、法律、メディカルの専門スクール(つまり大学院)で技術を身につけていくわけです。一見すると遠回りに思えますが、幅広い知識を吸収して世の中を知り、自分の頭で考える下地をつくるという意味で、欠かせないプロセスなのです。

 実際、competentがいかに重要かは、世の中を見渡してみればわかります。 少し前まであった仕事が消滅するということは、当たり前のように起きている。身近な例で言えば、写真の現像屋さんはもうほとんどありません。アート写真ならともかく、私たちがデジカメで撮った写真ぐらいなら、せいぜい店舗にあるPCを自分で操作すれば十分でしょう。

 あるいは、 小さな旅行代理店も消えていっています。 普は代理店で飛行機などの切符を取ってもらうといったニーズがありましたが、今ではネットで予約し購入しますから、ほとんど必要ありません。今後生き残っていくのは、自分でパック旅行を企画して売り込むことができる大きな代理店たけです。

 新聞も変わるかもしれません。今はまだ配達が主流ですが、やがて電子版が主流になり、さらには自宅白で印刷するというバターンが定着する可能性もあります。 朝起きると、自分の関心のある記事だけが並ぶオリジナルな新聞がプリントァウトされる、という世界が来るかもしれません。すでにネット上では、ニュースを好みに応じてキュレーションできるサイトがいくつも登場しています。

 そういう世の中で、古い知識や技術に固執しても意味がありません。頼れるのは自身がcompetentであるということたけです。

 例えば私の場合、competentなものとして、長らく勉強してきた経済学を用いて基本から考えるという点にあると自負しています。先のギリシャの財政破綻問題にしても、ワイドショーのコメンテーターは「ギリシャは借りたお金をムダ使いして返さない。けしからん」としか伝えません。しかし問題の本質は、そもそもEUとは何か、ドイツやフランスは、それぞれどういった利害関係を持っているかということです。
後にも詳しく述べますが、ドイツ・フランスは、ギリシャのEU加盟を認めた時点で、やがてこういう問題が起きることはわかっていたはずです。それでもなお、仲間に加えたい事情があった。それがいったい何なのかまで考えなければ、 ギリシャ問題を見きわめることも、まして今後を見通すこともできません,そこで欠かせないのが、経済学的な「ものの考え方」なのです。

「悲観は気分である。楽観は意志である」
 そしてもう一つ、認識しておくべきことがあります一一 残念ながら、 世の中はけっして公平でも平等でもないということです,
『「学力」の経済学』(ディスカヴアー・トゥエンティワン)という本がぺストセラーになっています。著者は私のゼミの卒業生で慶應義塾大学准教授の中室牧子さん。教育にまつわる常識を次々と覆す、たいへん衝撃的な内容ですが、その中に、「認知能力」と「非認知能力」という言葉が出てきます,

 認知能力とは、 TOEFL®やTOEIC®などの点数や学校の成續など、計測できる能力を指します。しかし、実際に各方面で成功してきた人を観察してみると、認知能力については、社会的成功との関連がほとんど見られないそうです。それよりも非認知能力、例えば我慢強さ、時間を守ること、白制心などのほうがはるかに関係しているそうです。

 では、非認知能力は何で決まり、それを高めるにはどうすればいいか。残念ながら、それはまだ十分に証明されていません,しかし私が思うに、ある程度は学校教育ではなく、家庭環境が関係している気がします。

 少なくとも認知能力に関しては、親の教育水準や所得水準でかなり決まります。非認知能力についても、同じような傾向が見られるのではないでしょうか。
 これは、教育の機会の平等には限界があることを意味します。例えば私の友人は、親が二ューヨークに赴任しているときに生まれ、若いころからアメリカ文化に馴染んで暮らしてきました,おかげで苦労せずに英語が話せます。生まれたときから、機会の与えられ方が違うわけです,

 子どもは親を選べないので、これ自体は変えられません:とうしても機会の平等にこだわるなら、すべての子どもを一カ所に集めて教育するしかない,しかし、それは人間としてやるべきことではないでしょう。

 たたし、これはあくまでも平均的な話です。親の教育・所得水準が高くても、かならずしも子どもの非認知能力が高いとは限りません,また、逆のパターンもたくさんある。世の中に不公平・不平等は無数にあると認めた上で、それを跳ね返すぐらいの気概が必要ということです。「コンバス」や「competent」と呼べるものを持つていれば、それは十分に可能だと思います,

 アランの『幸福論』の中に、「悲観は気分である。楽観は意志である」という言集があります。自分の人生を平均に当てはめる必要はありません。何十年も先の将来を悲観したり、年金の心配をしたりしているようでもダメ。「自分はできる」と信じてチャレンジすること、失敗しても年金がセロになっても食べていけると楽観できること、あきらめずに努力することが、結局は「幸福」につながると思います。またそのプロセスの中で、非認知能力も自然に高まるのではないでしょうか。
 
 冒頭にも述べましたが、本書はたんなる「未来予測」の本ではありません。重要なのは、いかに自分の「コンバス」や「competent」をつくっていくか。二〇二〇年の世界を知ることは、これからのあなた自身のコンパスをつくることに、 大いに役立ってくれると思います。本書がその一助となれば幸いです。


第1章 二〇二〇年東京五輪は、日本にとって最大かつ最後のチャンス
東京五輪で来るべき未来の姿
 ❶「改革のモメンタム」が到来する
  二〇二〇年には自動車の自動走行が実現可能に
  なぜロンドンは二ューヨークに勝てたのか
 ❷⃣世界は「大いなる収斂」の時代へ
  アジアの中間所得層はあと数年で三・五倍に膨張する
  バルコ二ーに駆け上がれるかどうかが、 勝敗を決める
第2章 いよいよ「イノベーションと英語の時代」が日本にも到来する
 「イノベーションの時代」が運んでくる未来
 ❶イノベーションを起こす条件とは
  『もしドラ』の女子マネージャーこそイノベーター である
  ノベーションには「金融家」が欠かせない
 ❷何もしなければ堕ちていく時代
  インドでもウォールストリートでも、同じ仕事ができる時代に
  世界は一つになり、よりフラットに
  グロー口バリゼーションは選択ではなく、 事実としてある
 ❸「仲間」と「英語」で生き残れ
  なぜイノベーティブな起業家の傍らには、常に「相棒」がいるのか
  国家公務員試験の課目にT OE F L® が入る?
  今すぐ学校教育の英語から脱せよ
 ❹東京・名古屋・大阪がつながり、世界最大の都市圏ができる
  将来の日本の強みは「メガ・リージョン」にある
  二〇二七年、リニア新幹線で「超大都市圏」が誕生する
 ❺再生可能エネルギーが日本経済を変える
  日本に到来する、 技術開発のチャンス
  再生可能エネルギーは日本を救うか
  東京五輪で活躍するか、 「水素プロジークト」
第3章「正社員」より「自由な働き方」を目指す時代
 「働き方」の未来予想図
 ❶「終身雇用・年功序列」の強要は時代不適合
  労働は人と社会をつなぐ接点
  終身雇用・年功序列は、「守るべき伝統」ではない
  経済を失速させた民主党の「ばらまき」政策
 「働く者どうしが対立する」時代へ
 ❷二〇二〇年に向けて「解雇のルール」制定が必要だ
 「雇用労働相談センター」で新しい働き方がつくられる
 「同一労働・同一条件」の実現に向けて
  日本人は「改革嫌い」か?
 ❸多様な働き方の先にあるものは
  正社員礼費の固定観念は昭和の遺物?
 「労働時間で給与を支払う」の問題点
  海外からゲストワーカーを受け入れれば、 女性の働き方が一変する
 ❹「プ口」ならいつでも、どこでも生きていける
  世界に通用する大学教育とは
  どの会社に勤めているかではなく、どういう専門性を持っているか
 「残業するほど暇じゃない」と言える日々を送ろう
第4章二〇二〇年、日本経済の再生なるか
 改革の先にある、二〇二〇年の日本の姿とは…
 ❶規制改革が進まない理由
  規制改革後進国・日本
  日本の農業の未来は「オランダ式」にある
  医療の行く末は変えられるか
 ❷近未来への布石としての「国家戦略特区」 
 「国家戦略特区」という突破口
  日本経済の未来は「国家戦略特区」から見えてくる
  特区が日本人の働き方の概念を変える
  高齢化社会を見据えた「ドローン特区」
 ❸空港が日本経済を羽ばたかせる起爆剤となる
  羽田空港を「片田舎の空港」から「世界のハブ空港」へ
  成長戦略の目玉、空港の「民営化」が始まる
  空港は地域活性化の原動力になる
 ❹「観光立国・日本」の伸びしろはかくも大きい
 「日本版D MO」 が外国人観光客誘致のテコに
  日本の世界遺産登録はまだまだ少なすぎる
第5章財政健全化への道、問題は改革実行力
 二〇二〇年、財政は黒字化するか
 ❶「骨太方針」への期待と不安
 「経済再生を優先」と明言
 「霞が関文学」で曖昧にされた社会保障改革
 ❷若者向けセーフティネットの拡充が日本経済の原動力になる
  社会保障の主役を若者に
 「給付つき税額控除」の導入で働く人が増える
 ❸「プライマリー・パランス黒字化」は二〇 二〇年までに達成できるか
  前提の数字を実態に合わせてみると 
 「説明責任」を果たさなくていいのか
 ❹歳出・歳入改革の未来
  一度膨らんだ予算は、元に戻らない
  日本から逃げ出す富裕層たち
第6章世界経済、変化する者だけが生き残る
 二〇二〇年、世界経済のパワーパランス
 ❶アメリ力経済は強さを維持する
  イノベーションを生むのは自由な空気
  企業経営をガラス張りに
  九〇年代に出現した二つの「フロンティア」
 アメリ力の「格差」問題が二〇二〇年に影を落とす
 ❷それでもヨー口ツパは割れない
  ギリシャがEUから見放されない理由
  民主主義の「暴走」がEUの舵を狂わせる?
 ❸中国は二〇二〇年までに 「中進国の罠」にはまる
  成長率の鈍化は景気だけの問題ではない
  中国のボトルネックは「rule of law」の欠落
 ❹二〇二〇年、アジアの成長を牽引する国はどこか
  二〇二〇年の中国は日本の脅威となるか
  インドはやがて中国を追い抜く
  ASEANは「コネクティビティ」で進化する
  これから日本に吹く「ASEAN経済共同体」の追い風
おわりに


文明が衰亡するとき 高坂正堯 著 新潮選書

2016年07月23日 15時26分37秒 | 書籍の感想とその他
この書籍が著されたとき、日本のGDPは米国の半分でした。現在は4倍...、日本経済は衰退に向かっているのか?ローマが滅びた理由は何か、ベネツィアは..通商国家はどのような命運を辿るのか。衰退を避けるためにどうすればよいのか、著作は読者に考えることを要求します。私の結論はパンとサーカスの反対にあるもの、自助努力の精神であり、それを支える精神的支柱(信仰)の確立であると信じます。

ローマは何故衰亡したのか、衰頽の過程で表面化する様々な現象は結果なのか、はたまた誘因なのか、真の原因を知りたいと思うのは私一人ではないと思います。異民族の流入に増税で対処したことが大きな要因であったとの指摘があります。この説には背筋が凍るものがあります。



気候変動により沼地とマラリヤが広がった、頸木の技術的な問題により馬の力を四分の一しか引き出すことができなかった、市民軍から志願兵、傭兵の増加により軍隊の私兵化が進んだ、兵の規律が弛緩し共和政が衰頽した、五賢帝時代の善政と高まるストア派の影響により衰頽の速度はおし留められた、しかしパンとサーカスによる愚民政策が行われ、バラマキのための増税が行われ…..衰退は時間をかけて進んだ...。

海洋国家は宿命的に貿易仲介のために相手国の価値観に寛容にならざるを得ず、尊敬されることはない。何よりもプラトンはアテネを念頭にその危うさを見抜いていた。前垂れ、揉み手の町人国家であったら、日本はとっくに滅亡していたはず、滅びなかったのは、サムライの国であったから。

命をかけて日本を守ったサムライを祀る靖國参拝がなぜ歴史を直視しないことになるのか。中国(国民党)も朝鮮も日本と戦争して勝ったわけではありません。日本が米国に負けたのが歴史の真実です。共産党は日本が敗れたおかげで国民党を台湾に追い出すことに成功しました。(事実、毛沢東は感謝しています)

日本を悪人国家と言い募ることに黙っているのは、相手に悪をなさしめていることに他なりません。町人国家は尊敬されません、カルタゴのように滅ぼされてしまいます。今こそ気概を取り戻さなければならないとつくづくそのように感じます。

以下序章を引用します、切れの良い名文です。

序章 いま、なぜ、衰亡論か
成功の中に衰亡の種子
衰亡論には、不思議に人を惹きつけるものがある。昔から今まで人々は、過去の文明について、あるいは現在の文明について、種々の角度から衰亡を論じて来た。代表的な題材であるローマについて言うなら、それはくり返し研究の対象になって来たし、またローマの衰亡との類推で、そのときの文明の運命が論じられて来た。それに、ローマが存在していたときに提出されたローマ衰亡論をあわせ考えるなら、ローマ衰亡論はほぼ二千年にわたって人々の関心を集めて来たことになる。その他の文明についての衰亡論も多い。実際、衰亡論のなかった文明や時代というものは存在しないと言ってよい。

それは衰亡論が人間のもっとも基本的な関心事に触れているからである。すなわち、衰亡論はわれわれに運命を考えさせる。人間はだれでも未来への不安と期待の二つを持っている。それはわれわれが有限の存在だからであろう。人間はだれでも、自分の死んだ後、自分のしたことはどうなるだろう、と考える。そして、自分のしたことが受け継がれ、世の中がよくなることを期待しながら、他方よいものはこわれるのではないかという不安をぬぐい去ることはできない。

文明の衰亡の物語はこうした心情あるいは関心に訴える。秀れた強力な文明は、その最盛期において、永遠に続きそうにさえ見える。しかし、その文明が徐々に綻びを見せ、力を弱め、衰頽して行く。どうしてそうなったのかは、われわれの関心をかき立てずにはいない。

そして、衰亡の原因を探求して行けば、われわれは成功のなかに衰亡の種子があるということに気づく。多くの衰亡論の主題はそうしたものであった。たとえば、豊かになることが、人々を傲慢にし、かつ柔弱にするので文明を衰頽に向わせるということは、何回も何回も論じられて来た。『国富論』の著者アダム・スミスでさえ「野蛮国民の民兵」が「文明国民の民兵」に対して「不可抗的な優越性」を持つと書いた。それは今日の人々の多くにとって意外であるだろう。しかし、富の衰頽効果はそれほど広く認められて来たことなのである。同様に、スミスのやや先輩のディヴィット・ヒュームは、芸術や科学について、それらは完成すれば衰頽に向うと論じた。 一旦完成されれば、次の世代はより秀れたものを作りうるという自信を失い、公衆も新しいものに関心を示さなくなるからである。

だから、衰亡論は、なによりもまず、成功した者を謙虚にするであろう。ローマの興隆の過程を描いた歴史家ポリビュウスは、アレキサンダー大王の成功のすぐ後、運命のうつろい易さを指摘していたデメトリウスの言葉を、彼の主著『歴史』の終りの部分で引用した。

「われわれの生きているこの時代に、ぺルシア人――ほとんど全世界を支配していたあのぺルシア人の、名前すら消し去られてしまい、そして、以前にはほとんど名も知られなかったマケドニア人が、全体の覇者にのしあがるということを、50年前にぺルシア人やぺルシア王が、あるいはマケドニア人やマケドニア王が、信じていたかもしれないなどと、責方は考えられるだろうか。 だが、それにもかかわらず、人生と妥協することの決してないこの運命、われわれの見積りをいつも新しい打撃で突き崩してしまうこの運命――この運命が、そうした祝福を彼らに貸付けておくだけで、やがては、別の配分の仕方をとるように決めるのだということを、あらゆる人間に分からせる時が来るだろう」

彼はまた、第三次ポエニ戦役でカルタゴの息の根をとめたローマの将軍スキピオが、燃えるカルタゴを見ながら述べた、「勝ち誇るローマも、いっかは同じ運命に見舞われるだろう」という言葉を「これ以上に政治家らしく思慮深い」発言は見つけ難いと評した。衰亡論の与える運命の感覚は人間を思慮深くする。

上りつめた日本の未来
しかも、衰亡の物語は複雑な物語である。衰亡の過程は一直線ではない。衰えを見せた文明がまた活力を取り戻すことは何回もあるし、解き難い問題をかかえ、力に衰えを示しがら、長期にわたって生き長らえることも少なくない。したがって、衰亡の原因を単純明快に論じたものは、警句として真理を持つが、しかし、文明の衰亡を十分に説明するものではない。

衰亡の物語は、さまざまな種類の衰亡原因の複合的物語なのである。ギボンの『ローマ帝国衰亡史」が今日もなお名著と言われるのは、彼がさまざまな時に始まり、異なるテンポで進行する衰亡の過程を描くことによって、衰亡の過程を捉えたことによるところが小さくない。そして、このギボンの注目した表亡の過程の性格故に、衰亡は一直線ではないのである。力が増大することは共和政の美徳を失わせ、自由を傷つけるかも知れない。しかし興隆はその文明を豊かにする。 その豊かさが長い目で見れば衰頽の種子となるとしても、しばらくの間それは人々にさまざまなことをおこなう資源を与える。そして、経済が活力を失い始めたとき、人間はしばしばより賢明に、かつ巧妙になる。だから、力が相当低下して、なにをやるにも力不足になるまで、経済が衰え始めても、文明はつづく、といった具合である。

だから、衰亡論はわれわれに運命のうつろい易さを教えるけれども、決してわれわれを諦めの気分におとしいれることはなく、かえって運命に立ち向うようにさせる。衰亡論は人問の営みがどのように発展し、浮沈を伴いつつ続き、しかもなお終りを迎えるかを、そしてその後がどうなるかを示してくれる。それは、われわれにその有限性と共に、それ以上のなにものかがあることを教えてくれるからである。

人問に不滅なものへの憧れがある以上、そうした感覚で十分ではなかろうか。来来への信念を持つということは、結局のところ判りえないものを強引に信ずることである。それよりも衰亡論の与える知恵の方がわれわれを正しく導くのではなかろうか。そして、このような衰亡論の与える未来への感覚を、今日われわれは必要とするのではなかろうか。

ここで、話は現代のことになる。
まず、日本の急速な興隆が、私に運命を考えさせる。1970年代の半ばに、日本は明白に「経済大国」となった。今や、日本は秀れた製品を安価に作ることができ、したがって、輸出を伸ばすのに、なんら困らない。しかも、少し前までは中級の工業製品を巧く作ることに秀でてはいても、時代の先端を行く高度技術製品についてはまだ弱かったが、今ではコンピューターなどでも、アメリカと激しく競争するようになっている。

経済の規模も大きくなった。実際、日本のGNPはソ連のそれにほぼ匹敵し、したがってアメリカに次ぐ大きな経済となったのである。十年ほど前日本が自由世界第二位になったとき、その事実がしばしば報じられたが、しかし、それは大して重要なことではなかった。それは日本のGNPがドイツ、フランスのそれを上理ったということである。しかし両国の人口は5、6千万であり、それが作り出す富よりも1億余りの日本人が作り出す富の方が大きいということはとくに驚くに値いしない。それに、はるかに大きいアメリカやソ連の経済が上にあった。ところが、日本のGNPは今やソ連のそれを僅かに下理る程度であり、アメリカの半分である。それは世界のなかで大きなウェイトを持たざるをえない。それに日本の人口はアメリカの半分強だから、GNPが半分ということは、1人当りGNPがアメリカとほぼ等しいということであり、日本の経済が質的にも高いものとなったことを示している。

こうした姿は、36年前に日本が敗れたときには夢想だにできなかったものである。20年前でさえ、今日の状態は予想できなかった。高度成長が始まる前の1960年の日本のGNPはアメリカの10分の1、ドイツの60バーセント、フランスの75パーセントにすぎなかったのである。いや、高度成長で日本人が自信を回復した60年代の終りでさえ、やがて日本が経済大国になるだろうという予測が出たとき、ほとんどの日本人は喜びながらも半信半疑であった。日本は目ざましく興隆したのである。スキピオやデメトリウスにならって、運命のうつろい易さを想起することが、これほど必要なときはあるまい。

欧米文明の不吉な翳り
より大切なのは第二の状況である。すなわち、日本の興隆とは逆に、ヨーロッパ文明、あるいはアメリカをも含めて西欧文明が、衰頽期に入ったと思われる節があることである。たとえば工業製品について、アメリカやヨーロッパでは、日本では考えられないような欠陥商品が現われ始めたが、それは工場の紀律の弛緩を反映している。日本を除く他の先進工業話国では犯罪が増え続け、夜の町を歩く楽しみを奪われた人々も少なくない。

そしてなによりも1970年代には、アメリカが代表する近代工業文明への信念がゆらぎ始めた。近代化を進めて行き、人々の生活を豊かに便利にして行くことへの信念は、第二次世界大戦後の世界におけるもっとも基本的な理念であった。さらに言えば、それは近代社会の基本目標であった。それが1950年代と60年代に、ひとしきり熱心に追求された後、1970年代に疑われ始めたのであった。

もっとも、その疑問は一様なものではない。ある人は、石油や食糧といった資源の壁に人類がぶっかるであろうと考えた。またある人は、その壁を乗りこえることはできても、人類は公害によって破局を迎える危険があるとした。さらに、経済成長そのものの望ましさを否定する見解も出された。経済成長によって人間の生活は豊かになった点もあるが、その代り、美しい自然、ゆったりした生活のテンポ、仕事への喜びといった貴重なものが失われたではないか、といった議論である。経済成長の望ましさそのものを疑問視する議論は、共感は集めても賛成する人はそう多くない。

しかし、経済成長の持続を困難視する考えには、かなり多くの人が同意した、いずれかのしかたで、ほとんどの人が近代工業文明への疑問を持つようになったことは間違いない。そして基本的理念への疑問の始まりは、どの文明にとってもきわめて重大なことなのである。

もちろん、簡単に衰頽という断定はできない。しかし、西欧諸国についてより深く分析するならば、衰亡の兆という直観が当っている面が少なくないことが理解されるだろう。もしそうなら. そこに交錯現象があることになる。日本が興隆したのは、日本がそのモデルとした西欧諸国において、近代工業文明が深刻な問題をかかえるようになったときだということになる。その交錯現象はなにをもたらすのであろうか。

私は以上のようなわけで衰亡論への関心を持つ。まず、代表的な衰亡論としてローマを扱い、次いで特異な国家ヴェネッィアの衰亡を考察し、最後に現代文明について考えることにしよう。


これからはインド、という時代 日下 公人 森尻 純夫 著

2016年07月23日 14時57分54秒 | 書籍の感想とその他
日下公人氏とインドの地方大学で教鞭を執る森尻氏との対談を書籍化したもので、読み直してみると現時点でも重要な情報が満載の書籍です。



インドは脱社会主義として先進国であると日下氏は見立てています。数学頭脳を持つが、理性偏重の社会主義計画経済を捨て去ったのは。ベルリンの壁が崩れた時期と重なります。インドは戦後40年の歳月をかけて植民地時代の負の遺産であった食糧危機・飢餓から脱し、同時に外貨準備高はゼロとなってしまった、しかし核は既に保有していた。

インドは射程5000kmのミサイルであるアグリ5の開発に成功し、某国を意識した空母の導入など対称戦略を着実に実行しています。日本では報道されませんが、同国とパキスタンは良好な関係になりつつあり、仮想敵国の最右翼は中国になりつつあります。インドは現実主義の国家であり民主主義の国家なので、同国と手を取り合うのは当然とも言えます。

インドで一挙にサービス産業が花咲きました。ことに、IT(インターネット)の進展が大きく貢献したのは事実ですが、見逃すことができない大きな要因がもう一つある。それは州の地方大学設置と州の言語による教育を認めた教育改革である。公立学校から大学への進学が一挙に進んだことが、同国のIT産業やサービス産業の大躍進に繋がったそうです。

インドの言語は学者レベルで判明しているのが150種類、1000万人が使用している言語で20種類も存在しています。同じ州の中でも共通語のヒンディー語を介して会話ができないことがあり得えます(普及率は48%)。インドの民主主義はこの多様性を受容することから発展してきました。

州は力を持っています、そして製造業は州の大都市周辺における中堅都市において発展が見込まれています。日系企業はデリーに閉じこもってはいけない、サムソンの進出を気にするのではなく、インフラ整備への協力が期待されています。

インドほど日本と利害が衝突しなくて、対日感情の良い国はありません。ミャンマー、マレーシヤ、インドネシア、ロシア、モンゴル対日感情の良いこれらの国を友達にすることが国益に繋がります。


以下にプロローグを引用します

プロロ―グ 日本人が知らないインドの実像

驚異的な経済発展の二つの要因
日下 今年(2012年5月6日)のフランス大統領選挙で、社会党のフランソワ・オランドが大統領になって、もう一度、世界中が社会主義になるのではないかと心配です。社会主義になると、それが全体主義になる。そういう政府は財政赤字になって、政府の寿命は案外短くてひっくり返るものです。
しかしインドは、少し以前に脱社会主義へ方向転換しているから、欧米や日本よりもむしろ先進国で、そのことをインドが世界中に教えることになるだろう。振り返って日本を見れば、このまま民主党は続かないだろうが、社会主義をやろうとしている(笑)。
世界の多くの国が民主主義になって、社会主義化していき、国が壊れそうになっているのが現状です。フランスも、オバマのアメリカも日本もそうです。中国も、いまどうするかという状態になっています。
そういう情勢の中で、インドに一番詳しい森尻さんにお話ししていただきましょう。

森尻 現代インドの経済発展は奇跡のようだといわれています。
その原因は大きく二つあると思います。インドは1989年に、外貨準備高がゼロになってしまった。戦後社会の中でも外貨準備高ゼロなんていうのは破綻国家だと思いますが、インドはそのときすでに原子力兵器を持っていました。インドは1974年に、原爆実験をやっています。この原子力兵器をすでに持っていたということが一つです。
それでいて外貨準備高がゼロになってしまった。それは、いわゆる計画経済政策で、社会民主的なやり方でやってきたインドの破綻だったと思うんですね。それがいまや2490億ドルもありますから。
もう一つは教育改革です。ラジーヴ・ガンデイー(1944 ~ 1991年、母親が暗殺された後、40歳でインドの首相となった。インド第九代首相[1984-1989年]。 母は第五代、第八代首相だったインディラ・ガンディー)が教育改革を提唱したのです。 この教育改革の成功が大きいのです。

150以上の言語があるという国家の事情
森尻 教育改革を提唱したのには、いろいろな事情があるのですが、一番大きな事情は言葉です。多くのインド人にとって、小学校一年から習う国語、すなわち国の公用'語であるヒンディー語は、はじめて出会う外国語なのです。日本でいえば、選択第二外国語です。ヒンディー語を自分の言葉として話す、つまり母語とするのは、約48%に過ぎません。それでも、現代、かなりシェアが上がってきている。その結果で、この状態です。インドには、日常生活で使われる言語・母語は研究者が確認したのだけで150以上もあるといわれます。昨年、東北山間部であらたな言語を話す村が発見されました。80数人の人びとが、この未知の言葉を話していました。
ヒンデイー語以外に、各地域では、たとえば母語とする人の数が多い順でいえばテルグ語、べンガル語、タミル語、マラーテイー語、ウルドゥー語、グジャラート語、カンナダ語、マラヤラム語、などなどです。この他にオリヤー語、パンジャーブ語、ボージュプリー語、マイテイリー語、アワデイー語、アッサム語、ハリヤーンウイー語、マルワーリー語、チャッテイースガリー語、マガヒー語、ダッキニー語と一千万人以上の人びとが話す言葉が二十もあるのです。

日下 お札にはそれら多数の言葉が印刷されているんでしたね?
森尻 そうです。1947年、独立した当時、大インド共和国には20に満たない州があり、それで、1980年代末まで流通したお札には13の州公用語が刷られていました。現在の新紙幣には15の言葉で金額が書かれています。それに英語も表記されています。
インドがイギリスから独立したとき、各州は一つの言葉に統一しようというのがポリシーだったのです。すなわち、一つの言語を州の公用語にし、行政単位にしようという訳です。ところが、たとえば、わたしがいるカルナータカ州では、四つの言語が流通しています。そのために、子供が六歳で公立小学校一年生になって教わるのは州公用語のカンナダ語なのですが、なじめない子供がたくさんいる。いちばん違くにあるのはヒンディー語なのです。ほとんどの子供たちは、それまでは地域の言葉で暮らしているのですから、ヒンデイー語などは知らないわけです。  ラジーヴ・ガンディーは、「自分の州の言葉で大学をつくっていい」という政策を提議しました。これで、はじめて公教育において、初中等から高等教育までの一貫性が成立したのです。
いわゆるイギリスの認可をもらった、マドラス大学、カルカッ夕大学、デリー大学などは、いまも中央大学として残っています。さらに、1970年代になって、人ロによって、各州に三っから四っの地方大学ができたのですが、それら大学がその州によって、自分たちの母語で教育していいということになったのです。

飢えがなくなって教育に目が向いた
日下 それは非常に大事なことですね。その教育改革はいっ頃からですか。
森尻 1970年代から、初等教育への市町村の参画とか、地方大学の設置など、何度かの改革がおこなわれました。しかし、なんと言ってもラジーヴ・ガンデイーの提唱を、彼の暗殺後を引き受けた政権が、強力な実行力で推進しました。野党政権でもその政策は変えなかった。91年頃には現在のような体制が完了しています。
1951年に、言葉と州を一っにしようとしたわけですが、四十年かかって、本来のものに戻したということになります。それをやったのがラジーヴ・ガンデイーだったのです。
日下 えらい人だ。
森尻 えらい人です。ところが彼は、インドが軍事介入をしたことへの遺恨もあったのですが、この政策が嫌われて、スリランカのタミール語族に暗殺されてしまった。 インドが多種多様多言語国家であるということを認めると、パキスタンやバングラデシュやスリランカは困るからです。なぜかというと、自分たちと共通言語を持つ人がインドに出てくると、自分たちのナショナリズムが損なわれると思ったのです。これは、実は、周辺国には深刻な問題なのです。
スリランカでは、いまでも尾を引いていろんな問題を起こしたりしているのですが。 とにかく、ラジーヴ・ガンデイーはそれで暗殺されてしまった。
この教育制度改革は、インドから飢えがなくなった時期と重なっていたのです。1989年に、インドには外貨準備高がなくなったのですが、農業政策が成功して、飢えはなくなった。何度かの土地解放があったりして、非常に小さい農家ができたりしたこともあるのですが、農業の生産性が上がったのです。
みんなが食べることができるようになって、はじめて子供の教育に目が向いたのです。そこで子供たちを大学など高等教育に進学させるようになった。
日下 べルリンの壁が壊れて(1989年11月)束西冷戦が終わった頃だ。
森尻 まさにそうです。そのときにインドは、社会民主体制ではだめだということを悟ったのです。
そして、教育改革が実行されて数年後の1996年にはIT戦士がNASAに送り込まれています。いかにインドが欲求不満で、内包する底力を蓄えていたかがわかります。そういう時代が来ることをみんな待っていたのです。
日本人の人口に匹敵する数のインドの大卒者
日下 人口が十億人以上もいれば、優秀な人がいっぱいいるわけだ。
森尻 そうです。数学教育などは、もともと小学校のときからかなり高いレベルですから、その下地の上に教育改革があった。
公立学校から大学に入った子供は、英語があまりできません。ですから、英語で受ける大学の授業は大変でした。教育改革で、大学の授業を自分の州の言葉で受けられるようになったので、建築士などのライセンスを取りやすくなった。ライセンスを取ってから、英語やヒンディー語を学べばいいわけです。
普通は、言語を統一して教育することが先ですが、インドは多言語なので、それがうまく機能しなかったのです。逆に、各州の言語で教育をしてもいいということになった途端に、教育レベルがドーンと上がったのです。
日本では、明治以降そうですが、ことに大正から昭和にかけて、イントネーションも含めて、一つの言葉にするという教育が進んで、その結果、アイヌの言葉や沖縄の言葉、北海道の言葉などをすべて失ってきました。一つの言葉、一つの文字で通じる国家づくりを進めてきたわけです。ところがインドは、やろうとしても、それができなかった。
たとえば、一つの言葉でヒンデイー語を選んだときに、当時のヒンデイー語のシェアは30%程度しかなかった。いまでも48%程度です。私のいるカルナータカ州では、ほとんどヒンデイー語は通じない。英語のほうがまだ通じるくらいです。ヒンディー語で話すと、「英語できない?」と聞かれるくらいです。いまの人たちは、職業上英語は必要なので、英語はたいてい、リキシャー、三輪タクシーのドライバーでも話せます。

日下 インドの12億人のうち、大学教育を受ける人というのは、どのぐらいいるんですか。
森尻 日本の昭和20年代から30年代がそうだったように、まだまだ大学を出るのは10人に一人程度です。しかし10%とはいえ、総人口比率では1億数千万人出ていることになりますね。
日下 日本の総人口に匹敵するわけだ。
森尻 これはすごいパワーですよね。そうした大学を出た層が、90年代からの教育改革が軌道に乗った時点で、たちまちにしてITとか先端企業にかかわって、5、6年後には、アメリカへどんどん進出している。インド人も、そんなことは予測しなかったと思いますが、あっという間に、そういう状況が来た。それほど教育効果はすごいものです。

出口のない先進国はインドを見習えばいい
日下 インドは、日本のインテリが無意識裡に信じている「中央集権のほうがいい」「統一のほうがいい」「計画化がいい」などの、とんでもない大嘘に対して、まさに、反対の実例になる。その意味では、日本がいま学ぶべきはインドでしょう。
日本人はいまだに、そういうことがいいことだと思っているし、それがまた進歩だと思っている。そもそも進歩があると思っているところが、日本人の単純なところです。世界はまだ、進歩を否定するところまではいっていないが、国家による中央集権とか合理化がいいとか、民主主義がいいとか、平等がいいとかには疑問をもちはじめている。そういうことはみんなフランス革命にはじまった。
フランス革命自体は、「こんなことはやっていられない」と、すぐに終わる。しかし、それは飛び火して、モスクワへ行ってスターリンという独裁者を生み、さらに中国に飛び火し毛沢束を生み、その中国では、毛沢束は死んでも、社会主義や理性万能主義はまだ続いている。
そのあと、また飛び火して、カンボジアではポル・ポトが大虐殺をしたり、北朝鮮では国家ぐるみ刑務所になったりしている。そこで社会主義というのは悪いものだとだんだんなる。
そもそも民主主義をやっていると、それは平等第一の社会主義になって、社会主義をやっていると全体主義になって、全体主義は独裁者を生んで、自分に逆らう者はみんな殺せ、になる。国家や社会に、没収したり略奪したりする富がある間はいいが、やがてそれはなくなる。なくなればよくなるかというと、殺す癖は直らないから、今度は仲間同士で殺し合いをする。
という失敗が、冷戦終了のときに一応終わって、日本にとっては居心地のいい時代があって、私としては、だんだん日が射して温かくなるだろうと思っていたら、また社会党の大統領がフランスに出現した。
そのあとは、面白くいえば、大臣の半分が女性になった(オランド大統領は公約通り、女性閣僚が半数になるように三十四人中半分の十七人を起用)。
何でも反対の政治家は成長戦略がつくれないから、日本と同じで、出口のない国家.になると、いままでえらそうなことをいっていた人たちは逃げてしまい、あとは女性と年寄だけの内閣ができるということです。
そういう点では、日本は先進国なんですが(笑)、女とおじいさんにしたからといって、出口はない。だからインドを見なさいということになる。

インドの動きをカバーできない外務省、新聞社
日下 ところが、日本にはインドの情報がきちんと入ってきているかといえば、入ってこない。だから、インドの実像はわからない。
こんな話がある。M新聞が今度大赤字で、潰れそうだというので、社内で「これからどうするか」という研究をしたという話を漏れ聞いた。
それによると、「外国に特派員を出すのは、金ばかりかかって、ろくな記事を送ってこないからもうやめて、現地にいる人に頼ろう」という話が出たという。つまり、森尻さんのような人に聞いたほうが、よっぽどいい現地の情報が集まる。
森尻 日本の新聞社があるのは、インドはほとんどニューデリー(インドの首都「デリー首都圏」は、「ニューデリー」と「オールドデリー」で構成されている。イギリス植民地時代につくられた新都市部分が「ニューデリー」、それに対して、古くからある町が「オールドデリー」と呼ばれている)だけですね。ニューデリーには、朝日新聞、読売新聞、日経新聞、毎日新聞、共同通信、時事通信、そして産経新聞が2009年に開設しているので、いまは7社ですね。
これでは、インドの動きはカバーできません。
外務省もそうです。マスコミなどよりはカバーはしていますが、いま外務省は、ニューデリーの在インド大使館、在コルカタ総領事館、在チェンナイ総領事館、在ムンバイ総領事館、在バンガロール出張駐在宮事務所と5ヵ所です。
インドの動きは工業にしても農業にしても、中都市の動きがすごいので、それではカバーしきれないのです。
たとえば、大都市に鉄工所を造るわけにいかないので、中都市に出て行く。すると中都市に、地方の大学を出た人たちが集まってきて、そこで働く。そこがエネルギー 源になっている。これを日本人は注目しなければいけないのに、日本の会社は中都市に行くのを嫌がります。いまだに、昔みたいに大きい都市に派遺しておけば、全部情報が集まると思っているのです。
1970年代くらいまでの日本人は、それこそアフリカの名もない町でも、ダイレクトにどんどん現地に入っていったと思います。メーカーも商社もそうだった。ところが、日本人に、いまやそういうことをやるフロンテイア精神がなくなってしまった。

日下 それが大問題なんです。なぜなくなったかというと、物事は上から網をかぶせていけばいいと思っているからで、下から突き上げてうまくいくということを習っていない。大学でそんなことは教えていない。新しいことは何でも現場へ行って自分が体験しないと分らないが、なかでも商売をしてみるのが一番良い。評論家、学者、官僚にヒアリングするのは入口で、本当のことは売買したときに分る。で、エコノミストも最近登場する人はビジネス界出身になってきた。
イギリス外交は英国国教会(アングリカン・チャーチ)の牧師を別働隊にもっているし、アメリカは各種財団法人(シンクタンク)を使っている。日本は商社だと思うが…。
森尻 そうですよね。

世界恐慌2.0が中国とユーロから始まった 藤井 厳喜 著

2016年07月15日 20時46分37秒 | 書籍の感想とその他
選挙戦と突入前の5月25日に開催した勉強会でこの書籍を取り上げました。

 2016年7月15日時点では現政権が維持されるたこともあり、株価は上昇基調に戻りつつあるように見えます。しかし、恐怖指数は相変わらず高い...。何かのキッカケで著者の主張するように恐慌が起きるかもしれません。それほどマイナス金利の影響は甚大だと訴えています。ドイツ銀行の破綻による国有化はほぼ避けられないと指摘し、中国も不良債権の規模は天文学的に。そのような環境下で我が国はヘリコプターマネー(日銀による国債の直接買い取り)に踏切ろうとしています。銀行の保有国債(あり玉)もそろそろ残り少なくなってきているのも事実で、発行済の国債がいよいよGDPに迫りそうな雲行きです。日本経済が未知の領域に入りつつあるなか、生活を守るのは人ひとりの判断に委ねられると感じます。

「マイナス金利というのは、 経済が徹底的に冷え込んでいるということを意味する。
金利はその国の経済の体温にもたとえられる。マイナス金利というのは超低体温症に経済が陥ってしまっているということだ。身体中の新陳代謝が不活発になり、免疫力も著しく低下している。極めて危険な状態だ。」 はじめに より引用




米国主導で進められた金融改革をぐぐっと詰めると、リーマンの発生源であったデリバティブ事業というのは担保となる資本(保証金)の裏付けのない仕手会社のようなもの、再発を防ぐために着々と手が打たれています。(中でもFACTA、BEPSが重要 引用文を参照)
 
 ECBやFRBが進めてきた金融緩和と金融機関の締め付け、日本が進めてきた金融緩和と消費税増税...世界的に皆でアクセルとブレーキを踏んでるように見えるのは私だけでしょうか?

以下、気になる指摘を紹介します。

格付け会社に関する大きな改革
「第1は、社債発行に関する新基準では、規制当局は民間の大手格付け会社の格付けをほとんど無視するようになったことだ。既発債が流通市場で活発に売買されて'いる場合、その金利水準を見れば、社債に対する客観的な信用度は誰でも自動的に知ることができるのである。もはや格付け会社の格付けは不要であると言つてよい。
第2の規制改革は、債券の発行主体が、格付け会社に対してだけ特別な情報を提供することが禁止されたのである。これで名門の格付け会社といえども、一般の証券アナリストと同様のデー夕しか入手することができなくなった。」

不正摘発に揺れる欧米の金融機関
「大手銀行の金融不祥事が相次いで摘発されている。英HSBC、英スタンダード・チャータード、米バンク・オブ・アメリカ、米モルガン・スタンレーなど世界でも一流の銀行が不正に手を染めていたのである。
 まずHSBCの不正疑惑から見てみよう。2015年2月22日、英「ガーデイアン」紙は、HSBCホールデイングスのスチュアート・ガリバーCEO個人がパナマ企業を通じてスイスの秘密銀行口座に約500万ポンド(約9億2500万円)を保有していると報じた。また、ガリバーCEOは節税上の理由から香港の居住者となっているとも報道している。 HSBCはそのスイス子会社が顧客の脱税を幇助した疑いでメデイアの激しい追及を受けている。」

お金を預からなくなった金融機関
「米銀最大手のJPモルガン・チェースは、預金の1000億ドル(約12兆円)削減計画に乗り出した。新しい金融規制のもとでは、タックスヘイブンに本拠を置いているような法人の怪しげな預金は排除しなければならない。このための措置である。
 預金削減は、ゼロ金利時代のもたらす必然的な結果でもある。いくら預金を抱え込んでも、それが利息を稼ぐことができないのであるから、銀行にとっては預金の量的拡大は、利益の拡大を意味しない。むしろ、アングラマネーの可能性のある預金の流入は企業にとってのリスクを高めるだけなのである。」

制裁金の負担でリストラに動く金融機関
「ドイツ銀行はトレーデイング部門も大幅に縮小する。ドイツ銀行は10月、7-9月(第3四半期)業績が約62億ユーロの赤字となると明らかにした。第二次世界大戦後の復興期以降で、ドイツ銀行は初の無配転落の可能性もある。これを受け、ドイツ銀行は最大5億ユーロ(約6 50億円)のボーナスを減らす削減計画を検討。これは2014年の額のほぼ3分の1に相当する。さらにドイツ銀行は、米国のプライベート・クライアント・ブローカレッジ部門を売却し、保険部門の英アビー・ライフ売却を検討し、欧州の株式ダークプール・プロジェクトから離脱する予定である。」

イギリスの中央銀行まで!
「2015年3月5日、英中央銀行であるイングランド銀行(BOE)で、重大な不正行為があり、英国重大不正取締局(SFO)が捜査を開始していることが判明した。 BOEは捜査対象となっていることを認める声明を公表した。捜査の内容は、2008年のリーマンショック後にBOEが実施した市中銀行に対する緊急の資金供給に関して、 不正行為があったという疑いである。 BOEは内部調査に基づき、2014年11月にSFOにこれを報告していた。
 英「ロイター」や英「タイムズ」によれば、3月4日の夜に既に、BOEは自らがSFOの捜査対象になっていることを公表している。疑惑の対象をより詳しく言えば、2007年から2008年の金融危機の時に行った短期資金の供給入札での不正行為である。 英国の重大不正取締局がイングランド銀行に捜査に入ったのは歴史上、 初めてのことである。
日本にたとえて言えば、束京地検特捜部が日銀に捜査に入ったのと同様のことであり、そのように考えると、英国民が受けた衝撃の大きさが想像できる。要は、金融業界とそれを監督する英国中央銀行が癒着して、不正行為を繰り返してきたのだが、それがようやく暴露され、正常化の歩みが始まったのである。」

アングラマネーを摘発するために米国歳入庁(日本の国税)が手を打った
「タックスヘイブンやアングラマネーに対する国際的な規制強化の一環としてファトカ(FA TCA)がいよいよ本格的にその威力を発揮し始めている。 FATCAとは、「外国口座税務規律順守法: Foreign Account Tax Compliance Act」の略称である。この法律が2014年7月1日からアメリカで効力を発揮し、 世界的にタックスヘイブンを利用して脱税をすることが非常に難しくなってきている。
 FATCA自体は、アメリカの企業や個人が外国に持っている金融口座の情報を、各国税務当局が米内国歳入庁(IRS:アメリカの国税庁にあたる)に通報するというものである。この規則を守らないと、外国の金融機関がアメリカと自由に金融取引を行えなくなってしまう。 そのためにかつてタックスヘイブンと呼ばれた英国のシティやスイスの銀行業界も、 この規制を守らざるを得なくなったのであった。
 これだけならば、 アメリカの多国籍企業や富裕層が国際的な脱税ができなくなるというだけのことである。しかし、当然、情報の流れは2方向に作用する。各国政府は、自国内の米国企業・個人の税務情報をIRSに通報すると同時に、アメリカ側に対しては米国内における自国企業や個人の税務情報を通知するように要求することになる。このことが、着実に実行に移されてきた。」

米国では公的資金なしに銀行の清算が可能に...
「2014年7月10日、米連銀副総裁のスタンレー・フイッシャー氏は、就任後初めての講演を行った。講演夕イトルは「金融界の改革で私たちはどれほど遠くまで来たか?」であった。 フイッシャー副総裁は、 極めて重要なことを分かりやすい言葉で述べている。
 彼が言ったのはこういうことだ。アメリカでは既に大銀行が万一、倒産しそうになった時に、既に提出してある「生前遺書」に基づいて米預金保険機構(FDIC)が単独で保有資産を処分して清算することができる。この権限はドッド・フランク法によってFDICに与えられたものである。
 つまり公的資金を投入せずに、金融機関の処分を行う体制が既にでき上がっているのである。 生前遺書には、どの資産を順番に売つてゆくかが具体的に書かれており、この生前遺書は定期的に監督官庁に提出することが義務付けられている。 「金融機関がとんでもない違法な投機的行為を繰り返して破綻し、その結果、金融システムの安定を保つために、公的資金を投入してしか、問題を解決できない」という状況が、リーマンショックの際には生じていたのだ。」

日本の金融機関は新しい規制に耐えられるか
「G20の金融規制当局で構成する金融安定化理事会(FSB)は、巨大銀行破綻時の対応策として新たな規制概念を導入しょうとしている。それは、総損失吸収能力(TLAC: Total Loss-Absorbing Capacity)である。 TLACは世界の大手銀行30行が適用対象となっている。銀行側は2015年2月2日、このTLACは内容が厳し過ぎ、見直しが必要だと主張する書簡をFSBに送つている。
 ちなみに、TLACが適用されれば、三菱UFJ銀行など邦銀3メガバンクは、新たに最大10兆円規模の資金調達を迫られる可能性がある。TLAC規制に対応するために必要な資金額の3メガバンク合計は最大10兆5000億円。新規制の適用は、2019年からである。
 日本の3メガバンクは、リーマンショック後、自己資本比率を徐々に上げてきている。2019年の規制達成はそれほど難しいことではない。」
(私は三菱UFJ銀行が国債のプライマリーディーラー返上の動きにはをこの規制が背景にあると思っています)

グローバル企業による租税回避の締め付け
「タックスヘイブン締め上げの一環として、経済協力開発機構(OECD)は、2015年9 月22日までパリで開催されていた租税委員会で多国籍企業の税逃れを食い止める新ルール(B EPS対策)を決定した。このルールは10月に開催された主要20カ国(G20)財務相会議で採用された。これはいわゆるBEPS(べップス:税源浸食と利益移転)と呼ばれる脱税行為を取り締まる新しいルール集である(次節で解説)。このBEPSプロジェクトの原則は「企業利益は、最低税率の国ではなく、利益が発生した国で課税されるべきだ」という新しい原則である。 」

Brexitを予言するようなEU官僚主義の問題点
「ユーロ・エリートは無反省である。今日のEUの現状を創り出したのは、ヨーロッパの大衆ではなく、ユーロ・エリートと言われる、ヨーロッパ統合論者のエリート達である。特にフランスのユーロ・エリートの責任は極めて重大である。彼らは経済統合さえすれば、ドイツは制御可能であると考えてきた。ドイツがヨーロッパを征服することはなく、ヨーロッパがドイツを征服すると考えてきた。しかしこの予測は全く外れた。共通通貨ユーロは、ドイツを縛りつける鎖であると考えられてきたが、 結果は全くその逆であった。」
 

ドイツの経済学の特殊性...実はこの箇所だけでも私にとってこの書籍の価値は高いと感じます。
(長文となりますが以下に引用します)

欧州の行方を阻むドイツ財政規律主義の正体はオルド自由主義
 EUが不況を脱し得ない最大の原因はドイツの財政規律主義である。
現在もECBのドラギ総裁は米国流の量的緩和(QE)を行い、EU経済を浮上させようとしているが、これに今も反対しているのがドイツである。
 ドラギ総裁が実行するQEは当然のことながら各国の国債の買い上げを含むものだが、これに徹底的に反対しているのがドイツ勢である。政府の財政赤字の拡大による景気浮揚にも、もとより反対である。
 このドイツの財政規律主義の背後には第二次世界大戦後のドイツに特有な経済思想が存在する。それが「オルド自由主義(英: Ordo liberalism独: Ordo liberalismus)」である。その思想について簡略に説明してみよう。
 ドイツにケインズ経済学は存在しない。 ドイツのマクロ経済学は全くの別世界であり、 パラレル・ワールドと言つてもよい。そこでは「オルド自由主義」という奇怪な経済学が唯一の正統理論として、 経済政策を支配している。

「ドイツの経済学者とエコノミストは大都把に2つのグループに分けられる。ケインズを読んだことがない人達と、ケインズを理解していない人達だ」(2014年11月17日付、英「ファイナンシャル・タイムズ」)

 ドイツで多少なりともケインズ主義経済学の知識を持つている唯一の政党は、旧共産党だけである。かといって、ドイツ経済学の主流派はミルトン・フリードマン流の新自由主義者でもない。
ドイツの正統派の経済学はオルド自由主義と呼ばれ、中道右派から中道左派にまたがっている存在である。日本語では秩序自由主義とも呼ばれる。

 オルドとはラテン語で「秩序」を意味する。この学説では、ハイエクなどの経済学のオーストリア学派の影響も指摘はされるが、オーストリア学派そのものとは全く異なるものである。
 1948年、フライブルク大学のヴァルター・オイケン(1891-1950)は、古典派経済学とドイツ歴史学派経済学の双方を批判しながら、新しい経済思想を打ち出すため、学術雑誌「オルド」の出版を開始した。
 その雑誌で展開された経済思想はその雑誌名を採って、オルド自由主義と呼ばれている。

 オルド自由主義者は、国家が強制しなければ自由はないと考える
 オルド自由主義によれば、 もし経済を自由放任にゆだねてしまうと元来は自由であったはずの市場が、やがて寡占的・独占的となり、特定の経済権力によって支配されてしまう。オルド自由主義者によれば、 市場が自然に自由な秩序を創り出すことはあり得ないのである。《米国の場合は独占禁止法が一定の歯止めに》
 あるべき競争秩序を実現するためには、国家(政府)が法的な枠組みをもって、市場経済に介入しなければならない。この経済政策こそ、市場がもつべき正しい秩序を創り出す「秩序政策Ordnungs Politik」なのである。つまり、オルド自由主義者はこう考える。

・自由競争を正しく機能させるためには国家の介入が必要である。
・同時に、国家が肥大し、経済を完全にコントロールすることを抑止するためには、市場の競争が必要である。
・これを総合すれば、「競争という規律」を国家が強制する、ということになる。
 
当然、オルド自由主義は、競争を活性化するために、カルテルやコンツェルンを厳しく制限する。経済政策はイコール「市場に秩序を創り出す秩序政策」でなければならないのである。
 また市場を通じた所得分配だけでは不公正が生じがちである。競争秩序だけでは不平等が生じ、公共性や共同体の結束力が弱まってしまう。 そこで、 様々な社会保障政策によって社会の公正性や平等性を確保することが必要になる。これは一言で言えば、「競争秩序には社会政策を通じた補完が必要である」ということになる。

 以上のような経済に関する思想をオルド自由主義と呼んでいる。
ドイツのオルド自由主義をユーロに導入すれば悲劇が起きる
オルド自由主義は、ドイツ国民の国民的性格に合った信念の体系である。しかし、それはまた、大きな問題をはらんでいる。

 第1に、オルド自由主義は経済恐慌に対する首尾一貫した政策を全く持っていないのである( ケインズ経済学を否定するため、これは当然の結果である。
 第2に、オルド自由主義は首尾一貫した金融政策をも欠いている。
 第3に、ドイツー国が開放的な経済体制の中でオルド自由主義の信念を貫くことからは大きな問題は生じない。ところが、これを世界経済の一般的ルールに採用しょうとすれば、大きな問題が生ずる。
 オルド自由主義者は、国家経済に関して、常に経常収支の赤字よりは経常収支の黒字を望ましいと考える。しかし1国の経常収支は必ず他国の経常赤字によって補われている。つまりゼロサム・ゲームなのである。すべての国が経常黒字を持つということはあり得ないということになる。この1点からしても、オルド自由主義を他国に強制することはできないのだ。
 以上のような3つの大きな欠点を持っているので、 オルド自由主義をEU経済全体の原則とすることは極めて非現実的である。にもかかわらず、ドイツはどのような状況になろうとも、オルド自由主義の原則を捨てようとしない。

メルケル氏がなかなか首を縦に振らない理由がよく分かる。


















人間 福澤諭吉 松永安左エ門 著

2016年07月15日 12時42分48秒 | 書籍の感想とその他
あの電力の鬼と称された、松永安左エ門翁が相好を崩しているような雰囲気が漂う好著です。
最近の政治家や経営者に腹の座った人材がいないことを思うと師との運命的な出会いと感化力の大切さをを感じます。お勧めします、あなたは貴人と会いましたか?



時代的に繋がっていることにも驚きます。

 偉大なる日本の三大偉人の一人と尊敬し、敬愛してやまぬ最後の直弟子である「電力の鬼」松永安左エ門翁が90歳を迎えて熱く語る。構造改革路線を後退させかねない現在の日本を、官僚嫌いの両氏はどう見ているのか想いを馳せたくなります。

入学時の先生との出会い、これが最もインパクトが強かった。
後ろから声がかかった、ふと見ると着物を端折ったおっさん?

「おまえさんは今、そこで何をしているんだね」
「先生にお辞儀をしました」
「いや、それはいかんね。うちでは、教える人に、途中で会ったぐらいで、いちいちお辞儀をせんでもいいんだ。そんなことを始めてもらっちゃこまる」

「独立自尊」の言葉をそのまま生きた大師は見せ掛けの言行一致ではなく本物のヒューマニストでした。一部から唯物主義者と誤解された福翁をそうではないと明確に否定することができたのは直弟子であったからです...、正に「燕雀安んぞ鴻鵠)の志を知らんや」ですね。
一度人物を見極めたら、徹底的に学びとる。

若い時代に出会いたかった著作、お薦めします。