最近、奥山真司氏の著作ばかり投稿していますが、「戦争にチャンスを与えよ」ですっかりファンになってしまいました。面目躍如の同氏のリアリストぶりには目から鱗の思いがします。奥山真司氏の訳者解説は後ほど紹介しますが、ルトワック氏は北朝鮮有事への対応として、イージス・アショアの導入を5年も待って何も対策を打たない日本政府や自衛隊の戦略思考の無さを厳しく指摘しています。
例えば、制空支配が目的のF15であっても増槽すれば十分策源地攻撃ができるようになるのに、何故そのような対策を打たないのか!、少なくとも発表するだけでも抑止力に繋がるはずであると叱責しており、私もその鈍感さは問題であると思います。
前著の「戦争にチャンスを与えよ」では内戦状態にある新興国に善意で停戦の調停を行っても、結局小競り合いが果てしなく続いて結局、戦死者が逆に増えてしまう矛盾する論理と指摘しています。リアリストの同氏はこれをパラドキシャル・ロジックと命名しています。有事が措定される場合、同氏が薦めるように我々が見習うべきはイスラエルだと思います。2018年11月19日のハマスの攻撃に即座にアイアンドームで対応した同国には徹頭徹尾リアルな考え方が染み込んでいると感じました。
以下、奥野真司氏の解説の一部を紹介します。
本書の概略であるが、現在進行中の日本を含むアジア情勢の危機について、とりわけ北朝鮮に関することを中心に戦略家の視点から分析したものだ,これらを明らかにするために、ここではルトヮックの視点を理解するための三つのポイントを挙げてみたい,
第一が、「世界觀を変えること」の重要性を述ぺている点だ,われわれ日本人の一般的な思い込みとは違つて、ルトヮックは最初の章でも説明するように、日本人は戦略的に動ける存在たと指摘する,それが徳川幕藩体制をつくった「江戸システム」であり、近代化を果たした「明治システム」であり、第二次世界大戦後の「戦後システム」である,このような新たな「システム」が誕生する時代というのは、すなわち「混乱の時代」であるのだが、日本はそれまでのシステムを完全に捨て去ることによって適応してきたという,
現在の日本ではその次の新しい「システム」(日本4・0)がどのようなものになるのかは国民的な議論にさえなつていないが、ルトヮックは、そのカギは少子化を解消して若返ることにあり、社会が若返れば日本にイノベーションが起こるという点に望みをつないでいるように見える。そこでは、新しい「世界観」が必要なのたが、ルトワックがまさに「逆説的」ともいえる刺激的な言葉でわれわれに訴えかけているのは、未来に向かう上での斬新な思考の転換なのた。
第二が、戦略の理想を実現した存在として、イスラエルやフインランドを挙げていることだ。とりわけ印象的なのは、軍事演習の現場におけるフインランド兵の混乱ぶりを紹介している点などだ。クラウゼヴィッツの言葉を引用するまでもなく、実際の戦争というものは、「戦争状態」という言葉があることからも察せられるように、とにかく大混乱が待ち受けている。ルトワックは軍事演習においてもまさにこの大混乱をつくりたすべきであり、このような混乱を切り抜ける現場のイノベーションを育てることに本来の軍事演習の意義があるとしている。
それをまさに実現しているのが、近隣の大国からいつ侵攻されるかもわからない危機感をもった状態にあるフインランドやイスラエルであり、彼らの軍事レベルにおける徹底的に無駄を省いたリアリティの追求を見習うべきだと論じている。もちろん彼我の状況には大きな違いもあるが、とりわけ本書で紹介されているような効率性を追求した戦略的な考え方には、 日本も学ぶべきことが多いのではないだろうか。
第三に、本書で出てきたこの「ポスト・ヒロイック・ウォー」という概念に関連して、先進国では失われっつある「戦士の文化」(Warrior cu一言re)というものを強調している点だ。アメリカではこの「戦士の文化」が後退し、犠牲を出すリスクを極端に恐れるりベラルな文化がはびこってしまったことによって、たとえばこれがオサマ・ビン・ラーディン殺害作戦の際の作戦計画の肥大化につながっていると批判する。
「戦士の文化」とは、ルトヮックによれば「リスクを恐れない文化」ということであり、米軍のように、何十回もの上空からの偵察や訓練、そしていざ実行しようとしても直前で作戦そのものを中止してしまうような非効率とは、正反対のものたといっていい。「リスクや犠牲を恐れない」ということは、すなわち作戦や戦略の効率化にもつながるものであると認識しているのだ。
例えば、制空支配が目的のF15であっても増槽すれば十分策源地攻撃ができるようになるのに、何故そのような対策を打たないのか!、少なくとも発表するだけでも抑止力に繋がるはずであると叱責しており、私もその鈍感さは問題であると思います。
前著の「戦争にチャンスを与えよ」では内戦状態にある新興国に善意で停戦の調停を行っても、結局小競り合いが果てしなく続いて結局、戦死者が逆に増えてしまう矛盾する論理と指摘しています。リアリストの同氏はこれをパラドキシャル・ロジックと命名しています。有事が措定される場合、同氏が薦めるように我々が見習うべきはイスラエルだと思います。2018年11月19日のハマスの攻撃に即座にアイアンドームで対応した同国には徹頭徹尾リアルな考え方が染み込んでいると感じました。
以下、奥野真司氏の解説の一部を紹介します。
本書の概略であるが、現在進行中の日本を含むアジア情勢の危機について、とりわけ北朝鮮に関することを中心に戦略家の視点から分析したものだ,これらを明らかにするために、ここではルトヮックの視点を理解するための三つのポイントを挙げてみたい,
第一が、「世界觀を変えること」の重要性を述ぺている点だ,われわれ日本人の一般的な思い込みとは違つて、ルトヮックは最初の章でも説明するように、日本人は戦略的に動ける存在たと指摘する,それが徳川幕藩体制をつくった「江戸システム」であり、近代化を果たした「明治システム」であり、第二次世界大戦後の「戦後システム」である,このような新たな「システム」が誕生する時代というのは、すなわち「混乱の時代」であるのだが、日本はそれまでのシステムを完全に捨て去ることによって適応してきたという,
現在の日本ではその次の新しい「システム」(日本4・0)がどのようなものになるのかは国民的な議論にさえなつていないが、ルトヮックは、そのカギは少子化を解消して若返ることにあり、社会が若返れば日本にイノベーションが起こるという点に望みをつないでいるように見える。そこでは、新しい「世界観」が必要なのたが、ルトワックがまさに「逆説的」ともいえる刺激的な言葉でわれわれに訴えかけているのは、未来に向かう上での斬新な思考の転換なのた。
第二が、戦略の理想を実現した存在として、イスラエルやフインランドを挙げていることだ。とりわけ印象的なのは、軍事演習の現場におけるフインランド兵の混乱ぶりを紹介している点などだ。クラウゼヴィッツの言葉を引用するまでもなく、実際の戦争というものは、「戦争状態」という言葉があることからも察せられるように、とにかく大混乱が待ち受けている。ルトワックは軍事演習においてもまさにこの大混乱をつくりたすべきであり、このような混乱を切り抜ける現場のイノベーションを育てることに本来の軍事演習の意義があるとしている。
それをまさに実現しているのが、近隣の大国からいつ侵攻されるかもわからない危機感をもった状態にあるフインランドやイスラエルであり、彼らの軍事レベルにおける徹底的に無駄を省いたリアリティの追求を見習うべきだと論じている。もちろん彼我の状況には大きな違いもあるが、とりわけ本書で紹介されているような効率性を追求した戦略的な考え方には、 日本も学ぶべきことが多いのではないだろうか。
第三に、本書で出てきたこの「ポスト・ヒロイック・ウォー」という概念に関連して、先進国では失われっつある「戦士の文化」(Warrior cu一言re)というものを強調している点だ。アメリカではこの「戦士の文化」が後退し、犠牲を出すリスクを極端に恐れるりベラルな文化がはびこってしまったことによって、たとえばこれがオサマ・ビン・ラーディン殺害作戦の際の作戦計画の肥大化につながっていると批判する。
「戦士の文化」とは、ルトヮックによれば「リスクを恐れない文化」ということであり、米軍のように、何十回もの上空からの偵察や訓練、そしていざ実行しようとしても直前で作戦そのものを中止してしまうような非効率とは、正反対のものたといっていい。「リスクや犠牲を恐れない」ということは、すなわち作戦や戦略の効率化にもつながるものであると認識しているのだ。