いっちゃんのよもやまばなし

ユートピア活動勉強会で使用した政治・経済・歴史などの書籍やネット情報、感想などを中心に紹介します。

正しく知る地球温暖化 地球温暖化を真剣に考える 赤祖父俊一著 誠文堂新光社 過去の勉強会資料

2015年06月23日 16時54分08秒 | 書籍の感想とその他
「何も分かっていないと正確な予言ができるが、問題が分かってくると疑問を持つようになり、予言できなくなる」とはゲーテの至言です。今こそ冷静に多様な主張に耳を傾けなければならないと思います。

アラスカ大学地球物理研究所の所長、元アラスカ大学国際北極圏研究センター所長(~2007)を努める赤祖父教授が学問的な立場から、政治的な温暖化問題に強い疑問を投げかけている書籍です。(米国上院議会でも証言)余りにも政治化してしまった地球温暖化についてアカデミックな立場から、冷静に反証を掲げて仮説としての「地球温暖化問題」の危うさを主張しています。欧米のメディアは「緑のハラキリ」と揶揄していたのをどのメディアも報道しませんでした。そもそもIPCCを立ち上げた英国は国民への原子力発電への賛意を引き出すという政治的な意図が背景にあったのです。


スパコンのシミュレーションに頼る気候物理学者はかつて18世紀に起きたと推定される小氷河期を無視しています。


シミュレーションモデルで採用された過去のデータから読み取れるにも拘らず、どのような条件を与えても再現できないのです。二酸化炭素が急激に増えたとされる1940-1975「地球は寒冷化する」と危機が叫ばれたこともありましたが、急激な温暖化は起こっていなくこの事象を再現できていません。長期的に小氷河期からの復帰現象だとすれば、意外に寒冷化に反転する可能性すらあります。一部の学者は太陽の活動周期の影響(寒冷化)を主張していますが、シミュレーションには織り込まれていません。著者は現在起きている温暖化の6分の5は自然変動で、CO2削減の効果は6分の1にしか過ぎない可能性が高い(仮説)と主張しています。

温暖化は1000年前(今と同じ)1万年前(今より暖かい)にもありました。中性の温暖化の時期にはアウカンジナビアやアイスランドの人々はグリーンランドに移住することができたのです。センセーショナルに報道された永久凍土の上に建てた家が倒壊したのは暖房をしたから...というオチがつきました。タメの証拠が多すぎたので、最近はあまり引用されなくなったと感じています。これこそ“不都合な真実”です。

IPCCには2つのグループがあります。一つが気候学者(自然科学)、もう一つが気象学者(著者が属する大気物理学者)であり、気象学者はIPCCの結論に対して疑問を持つ方も少なくありません。いずれの分野も細分化され、中々全体が見えないので総合研究が注目されていますが、著者は立場上多くの学者と接する機会が多い恵まれた立場にあることで広い視野に立つことができるとご自分でも述べられています。

懐疑者と否定されてしまうので自然学者は黙ってしまいます。北極海の氷河のコア解析、河川の凍結時期、農産物の収穫量など..。1600-1700年は現在よりも寒く、上図のようにテームズ川ではスケートができたことは広く知られています。ワシントンが独立戦争を率いている時期にデラウェア川は氷結していました。諏訪湖の御神渡の日は1700年以降直線的に遅くなっています。桜の満開時期も早くなっています。どうやら、1000年頃は暖かく、その後下がり続けて1700年頃から上昇に転じたと推定されます。木の年輪、グリーンランドの氷床、北大西洋の堆積物などからIPCCも紀元前500年-1000年は現在より暖かったことを認めています。IPCCの“現在の温暖化がかつてない異常”と言うのは言いすぎであるのは間違いありません。

最近の20年間のNASAの資料ではシベリア、アラスカ、カナダ(北極圏の陸地の大部分)の温暖化は消えてしまっています。逆に北極海氷の減少はシミュレーションよりも急速に進んでいます。推定原因としては北大西洋振動と呼ばれている自然現象。ベーリング海から大西洋の暖かい水が流れ込んでいることが確認されています。1900年代の温暖化に自然変動が含まれているのは間違いないと著者は主張しています。

過去100年間地球全体で温暖化が起きていることを否定する学者はいません。気候変動が起きているのは事実としても、地域によって一様に進むものではないというのが正しい表現なのです。

2015年6月2日の地球温暖化対策推進本部で安倍総理は次のように語っています。

「2030年度の温室効果ガスの排出量を26%削減する、国際的に遜色のない野心的な目標をまとめることができました。これは、無責任な、根拠なき『数字』ではなく、具体的な対策や技術の裏付けを伴うものであります」

同計画が温暖化ガス排出権の取引に頼らなくても対応を可能とするものであれば、結果的にエネルギー源の多様化を意味するので慶ぶべきかもしれません。今後注意深く見守りたいと思います。


ホワイトハウス・フェロー ―世界最高峰のリーダーシップ養成プログラムで学んだこと 過去の勉強会資料

2015年06月22日 13時32分58秒 | 書籍の感想とその他
出版社からののコメント
「ホワイトハウス・フェロー」制度は、米政府が主催するリーダー養成プログラム。毎年、十数名の若者が選ばれ、1年間、大臣直属の補佐官等となってホワイトハウスの中枢で働くことができる。フェロー経験者は、その後、政治・ビジネス・学術分野でリーダーとして活躍しており、本制度はアメリカの国力増強に貢献している。



全体を通じて感じたことは、「アメリカという国はリーダーを国の宝と本気で考え実行している」ということです。やる気があって資質のある若いリーダー候補者に様々な組織(民間・公的組織を問わず)が挑戦の機会を与えて、ホワイトハウスに送り込もうとしています。底辺の広さも忘れてはならないと思いますが、道は遠くとも日本も政府高官の政治任用という制度上の違いを乗り越えてでも実現しなければならないと思います。日本の底力であるフォロワーシップ、米国の底力である指導層の力をどのように併せ持つかがこれからのテーマであることは間違いないと思います。

選びに選ばれた精鋭は、国を率いるリーダーの元で様々な仕事を1年間経験させます。出る杭にもっと出るように促し、リスクをとって困難なプロジェクトを任せる。生まれつきのリーダーなどいない、リーダーは育てるものだ。とはけだし名言です。
某外資系情報サービス大手も各国から若手の有望な人材がCEOの補佐に送り込まれていますが、彼らはAAと呼ばれ、まわりからは次期社長候補の一人と受け止められています。

以下に印象的だった文書を紹介します。リーダーのそば近くで見聞きする経験の大きさが伝わってきます。

第2章 フェロー制度の誕生
 アメリカ建国の父たちはみな、小さな村や田舎、あるいは今日の基準に照らせば、とても小規模な都市の出身で、若いころに行政のプロセスを直接見る機会があった。一方、いまの若者たちは、建国の父たちと同等の能力があっても、巨大で複雑なうえに騒々しい社会で育ち、行政を間近で見る経験ができる人はほとんどいない。ホワイトハウス・フェロー制度は、この不幸な現実に対処するための試みの一つである。アメリカの最も将来有望な若い男女を何人か選び、国の最も高いレベルで行政のプロセスを体験させる。この制度が発足してから年月を重ねるにつれて、国に貢献できる非凡な人材の層が厚くなってきた。
―ジョン・W・ガートナー(元保険教育福祉長官)

第3章 フェロー修了後も続く、強力なコネクション
 コーリン・パウウェル(72―73)は陸軍在籍時に応募するよう命じられた。選抜され、行政予算局で働いた。上司のカールッチが国家安全保障担当大統領補佐官になると、上級軍事補佐官に抜擢された。パウウェルがレーガン大統領の国家安全保障担当補佐官を勤めていたときにフェローのミッチェル・ライスを特別補佐官に任じた。(フェローがフェローを育てる) 「口を閉ざして、目と耳を開いておけば、たくさんのことが学べると思うよ」と言ってくれた。

第4章 コリン・パウェルの、部下を感動させるほんの少しの心遺い
人生最高のメキシコ料理
 通商代表部の次席代表付となったフェローは交渉に際しての入念な準備、相手の人柄や国民性の研究などを経験した。「まず人間的な関係を築いて、その後で仕事上の関係を打ち立てる」此の経験はイラクのタルアファルの治安回復の任務に非常に役立った。

第5章 正しいと信じることのために毅然とした態度を取れるか?
ブッシュ政権の怒りを買った連邦検事
 デヴィッド・イグレシアス94-95は民主党の選挙不正を暴くことが期待されたが、検察官の義務に反するとの立場を貫き捜査状況を明らかにしなかった。彼は辞任に追い込まれ、政権のスキャンダルに発展した。

第7章 コミュニケーション能力は努力して習得するもの
 スピーチを称賛するフェローに対して(リムジンの中で)、「もともとコミュニケーションが得意だった訳ではなく、長年にわたって研究と努力を重ねてその能力を磨いてきた」と打ち明けた。「複雑な問題を誰にでもわかりやすく噛み砕く方法をベトナム派遣を前にした少尉たちに報告書の書き方を教える仕事を通じて学んだ」「スピーチの達人は準備などしないと思っているとすれば、とんだ思い違いだ」
初めて自分に従うことになった部下に対して、自分の求めるものを早い時期にとても上手に理解させていた。パウエルは朝会議でスタッフ(責任者)に質問するとき、自分が答えを知るだけでなく、他の出席者答えを聞かせることも意図しているように思えることがよくあった。









南シナ海 中国海洋覇権の野望 ロバート.D・カプラン 著 6月17日のU活勉強会資料

2015年06月18日 13時50分14秒 | 書籍の感想とその他
勉強会終了後の会話で20年前ベトナムを訪問したときのことを話題に取り上げました。「南シナ海の問題がどうなるかはベトナム次第」とのフレーズが印象に強く残ったからです。(南シナ海専門家のイアン・ストーリー)
勇ましく戦ったベトナムの男(おのこ)たちがすっかり山の神の尻に敷かれているのを目の当たりにして、男は戦いの時しか値打ちが上らないのでしょうかね..とジョークを飛ばしたら、参加者の山田さんがベトナム人は日本の硫黄島の戦いを参考にしたと読んだことがあるとコメントしてくれました。なるほど!

http://www.amazon.co.jp/%E5%8D%97%E3%82%B7%E3%83%8A%E6%B5%B7-%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%B5%B7%E6%B4%8B%E8%A6%87%E6%A8%A9%E3%81%AE%E9%87%8E%E6%9C%9B-%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88-D%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3/dp/4062192446/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1434604523&sr=1-2

勉強会では最近シンガポールや佐世保に来年配備されるLCS(沿海域戦闘艦)の動画を観ました。米国海軍のHPでもその革新性や保守の容易性の高さが際立っていることが報告されています。次いで、奥山さんの日経ビジネスに掲載された地政学に関する簡単な紹介を学び本書の読み込みに入りました。

論点満載ですが、歴史から学ぶことの重要性に気付かされます。そもそもインドシナはどうしてインドシナなのか?インドとシナの間にあるから...。ベトナムにはその両文明の影響を色濃く残す文化的遺産が多く存在していることを著者は紀行文のように語りかけています。

ベトナム国土の30%は不発弾で足を踏み入れることもできないのに、人々が米国を恨んでいる様子は見受けられないそうです、それどころか学生との意見交換の場で、“ミャンマーが中国の衛星国になってしまったこと”や“ミスチーフ環礁への中国の領有権への挑戦”を米国が阻止しなかったことを多くの参加者が問題視し、「アメリカは世界の安全に必要なのです!」と学生の一言でまとめられたとのエピソードが紹介されています。「長い歴史の中でベトナムは17回も中国に侵略されています」と同国の外交官は説明しています。

ベトナムと日本は元寇を二度押し返した歴史があることを今回の書籍で初めて知りました...。わが国もサムライ精神を取り戻さなければなりません。」

ベトナムは南海島に隣接するトンキン湾の領海問題で中国と妥協しましたが、中国の牛の舌(九段線)は絶対認めないと外交筋は語ったそうです。国境という概念の無い中華思想の怖さを身に染みて知っているからだと思います。そのベトナムの外交使節団員に向かって「越の狗か!」と小平は嘯いたことがあるそうです(別の論考)。中越戦争で負けたこともあるのでしょうが、「夷の分際で!」という思いがきっとあった..、日本に対する本音も同じだと思います。

驚くべきことに、カプラン氏は南シナ海への野望を抱く中国の立場に対して理解できると述べています。日本の立場からは到底容認できない意見ですが、地政学の非情な面を垣間見る思いを参加者で共有しました。


(同書第二章より)

実際のところ、中国の行動のすべてが侵略的であるとはいいがたい。中国は熱帯・温帯地域に広がる長い海岸線を持つ広大な大陸という地理を有し、人口的にも経済的にも大規模な国家である。弱小国がひしめき、しかも石油と天然ガスが豊富に理蔵されている可能性のある自国に接した海を文配しようとしているのは、まったく自然な成り行きだ。もしそうしていないのであれば、過去数世紀にわたる大国政治の流れはかなり違ったものであったはずだ。

シカゴ大学の政治学者であるジョン・ミアシャイマーは、以下のような挑戦的な主張を行っている。「強力になりつつある中国はアメリカをアジアから追い出そうとする可能性が高い。これはアメリカが西半球でヨーロッパの列強を追い出したのと同じ構造だ。

(同書第八章より)

中国海軍内部でも、夕カ派とハト派が存在している。実際に、北京の人問たちの間にはさまざまな意見の相違が見られる。それでも北京には一つのあやしい特効薬が、溢れていた。それは「中国が守りに徹している間に、アメリカは侵略している」というものだ。その核心にあったのが、南シナ海の問題である。北京では夕力派もハト派も関係なく「中国が近代に入ってから西洋列強に大きな被害を受けた」という感情を深く共有しており、南シナ海の問題を、例外なく「国内問題」だと見なしている

なぜなら彼らは単純に「南シナ海は海洋に延びた中国の領土である」と認識しているからだ。ある晩、私が中国の学生向けに開催したセミナーでは、緊張に震えながら恥ずかしそうにしていた若者が、「なぜアメリカはわれわれの調和と慈愛に対して覇権で対抗しようとするのですか?アメリカの覇権は中国の台頭に直面すれば混乱を招くだけです!」と吐き出すようにコメントしていたほどだ。

これなどは、「中国は夷狄からの襲来に備えなければならない」とする中華思想的な考えに基づくコメントのように思える。中国にとって南シナ海とその周囲は「近い外国」であり、彼らの中では「西洋列強による攻撃を克服し、現状維持状態を調和的に再提唱している」という感覚になる。その反対に、アメリカが南シナ海で引き続き影響力を行使するためには、まず地球の裏側からこの場所まで来なければならない。中国の感覚ではそれは明らかに「覇権的だ」ということになる。


この書籍で一番印象深かったのは南シナ海を米国にとってのカリブ海であるとの分析です。英国からアメリカに覇権が移るのは、米西戦争に先立ちカリブ海を制したことから始まったという日本にとっては災厄を予想できるようなたとえ話に戦慄を覚えました。アメリカは内海化の重要性が分かっているから、オバマさんであっても重い腰をあげて南シナ海に偵察機を飛ばしたのだと思います。


(第二章より)
二〇世紀半ばに活躍したオランダ系アメリカ人の地政戦略家、ニコラス・ スパイクマンによれば、アメリカが世界国家となったのは、広域カリブ海で圧倒的な支配権を得た時からだ。彼によれば、西半球の地理的な真実とは、通常の南北アメリカという分類ではなく、その境界線がアマソンに占められている赤道付近の、ジャングルを挟んだ南北の境界線上にあるという。

コロンビアとべネズェラ、それにガイアナなどは、実際には南米の北岸に位置しているにもかかわらず、機能的には北米と「アメリカの地中海」に入ることになる。「アメリカの地中海」、つまり広域カリブ海を支配して、長大な距離と熱帯森林地帯によって隔てられた南米大陸の南回帰線を分断してからは、アメリカは西半球で他のライバルから挑戦を受けることがほとんどなくなった。

したがってスパイクマンによれば、アメリカは広域カリブ海の文配のおかげで、東半球のバランス・オブ・パワーに影響を与えるだけの力を残しつつ、西半球の支配を得ることになったというわけだ。つまり最初が「広域カリブ海」で、その次が「世界」だったのである。

これは中国と「アジアの地中海」にもあてはまる。南シナ海の支配は、中国にユーラシアの航行可能なリムランド―インド洋と太平洋の両方―の空と海において影響力を発揮するためのチャンスを確実に与えることになる。そうなると、中国はインド・太平洋地域で実質的な「覇権国」となるだろう。




南シナ海は豊富なエネルギー資源が眠り、世界の海上交通ルートが交差する世界にとって要衝の海です。アメリカが腰砕けになることに中国以外の諸国は懸念を示しています。集団的自衛権に関わる法案に憲法違反のような神学論をやっている暇はありません。日本に期待を寄せる国々と手を携えることが中国の野心的な挑戦を押しとどめることになります。そもそも中国は戦わずして勝つことを狙う国柄なのです、今こそ日本は世界のために大戦略を打ち立てなければならないと確信します。


(第一章より)
この海域にはマラッカ海峡、スンダ海峡《スマトラ島とジャワ島の間の海峡》、ロンポク海峡《インドネシア中部小スンダ列島のロンボク島とバリ島とを隔てる海峡》、そしてマカッサル海峡《カリマンタン島とスラウェシ島との間の海峡》が含まれる。世界の商船の輪送量の半分以上が世界中の艦船の交通の三分の一が、毎年これらのチョークポイントを通過している。

インド洋からマラッ力海峡、そして南シナ海を通って東アジアへと運ばれる石油の量は、スエズ運河を通る量の三倍であり、パナマ運河を通る量の一五倍に相当する。韓国のエネルギーのほぼ七五パーセント、そして日本と台湾のおよそ六〇パーセントの供給、そして八〇パーセントの中国の原油の輸入は、すべて南シナ海を通過している。ぺルシャ湾を通じて運搬されるのはおもにエネルギーだが、南シナ海のほうではエネルギーだけでなく、完成・未完成の製品なども含まれる...。

甦る零戦 国産戦闘機vs F22の攻防  春原 剛 著 過去の勉強会資料

2015年06月16日 17時54分02秒 | 日記
航空自衛隊悲願の国産次世代戦闘機(先進技術実証機)はF2戦闘機の後継機種として今年試験飛行が予定されているとWikipediaで紹介されています。(いわゆる心神プロジェクト)


360度探索可能な位相レーダーが機体に埋め込まれた*ステルス戦闘機は正に技術の粋とも云えます。実証機の特徴はWikipediaにお任せするとして、開発秘話こそが日本の置かれた“防衛”の問題が象徴されているので簡単に触れたいと思います。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E9%80%B2%E6%8A%80%E8%A1%93%E5%AE%9F%E8%A8%BC%E6%A9%9F_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29


北朝鮮が6か国協議に参加せざるを得なくなったのは嘉手納に配備されたF22であったと言われています。

当時の守屋次官は研究を通じて航空機産業の特殊性を初動費の高さにあると結論づけていました。戦闘機は民間技術の源流であり、産業育成と密接な関係があります。苦汁を飲んだFSXの共同開発で日本が提供した複合材一体成型技術アクティブ・フェーズド・レーダーは米会計検査院も日本に一日の長ありと認めていました。

守屋氏は防衛庁長官の携帯呼び出しに出なかったこともマスコミ非難されましたが、米軍再編に合わせたトータルパッケージ(普天間)を提案したのは同氏でもあったのです。再編を睨みながら高運動飛行制御システムの開発に着手し、予算内でモック・アップまで作ることを決めた隠れた貢献者であったと思います。

飛行機の部品点数は自動車の100倍の300万点、本体の三菱重工だけではなく、支える中小企業が生き残れるかどうかが国産開発継続の鍵を握ります。2007年のF2の着陸失敗、米ミズリー州におけるF15の墜落事故。沖縄の米空軍F15の25%近くが予定より早く退役せざるを得なくなったため、東京(防空)に穴が開き、急遽F4を百里に移しました。(3主力戦闘機体制を維持しなければバックアップが効きません)今も航空自衛隊は日本の空を守るためぎりぎりの運用をしています。

高度技術の輸出を禁じる米国内法、これを抜けるためには、ノックダウンが不可能になります。F22は1回の飛行のたびに整備(お化粧直し)が必要となり、沖縄に暫定配置するだけで250名の移動を必要としたのです。

たった2機のF22との共同演習で、手も足も出なく、その実力を嫌というほど知らされた田母神さんは一挙にF22導入に傾きました。実は日本の主力戦闘機F15は最強ではなかったのです。2004年インドにおける米軍共同訓練で、SU30とのドッグファイトで歯が立ちませんでした。(インドは2000よりSU30をライセンス生産)中国もSU30の導入が急速に進み、後継機の31(殲)も実戦配備されれば尖閣列島は風前の灯になります。自動的に沖縄も....。

日本のF4の稼働率は80%、韓国は40%ライセンス生産の効用は大きく防衛産業の基盤の質の高さを証明しています。国防省、国務省スタッフ、民主党・共和党超党派会議でF22の売却は前向きに検討する子方向で合意されていましたが、オバマ政権のゲーツ防衛省長官は断固反対しました。

自衛隊のF15は朝鮮半島に出動してもドッグファイトをすれば日本に戻れません。ロスアラモスが開発した戦術核である地中貫通型核爆弾は使用後の環境(放射能)汚染も限定的なため独裁者はいざという場合の米空軍の動静に最大限の注意を払っています。これが抑止力です。朝鮮半島の有事には地下トンネルの攻撃に使用される可能性があると言われていますが、攻撃対象が日本となれば保証の限りではありません。日本単独での防衛となれば、残されている防衛手段は敵地攻撃能力(策源地攻撃)なのです。(必要となる武器はトマホークとステルス戦闘機)

韓国の陸軍が後方に移動したため、万が一大統領が弱腰になって戦術核を躊躇した場合、やけっぱちのノドン発射が日本に悲劇をもたらすことは言うまでもありません。マスコミが叩いた守屋氏は現在の状況にどのような感慨をお持ちなのか伺ってみたいものです。

第6世代は小型無人戦闘機と云われ米国は開発を進めています。日本も超党派で宇宙基本法を成立させました。戦後初めて要素技術から組み上げる初の戦闘機となる「心神」に期待をします。ところで、三菱重工さんはサーバー攻撃への備えは大丈夫でしょうか?


朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実 水間政憲 著 過去の勉強会資料

2015年06月08日 13時17分30秒 | 書籍の感想とその他
 広島で仕事をしているとき8回ほど韓国に出張した経験があります。現地に駐在されている方に「『あの禿山は、秀吉が日本を侵略されたときにできました』と赴任当時よく聞かされたけど、それは戦後の進出企業から有利な条件を引き出すための常套句であることを親しくなった現地の方に教わった、しかも行政が指導しているんだよ...」とよもやま話風に聞いたことがありました。
 日本との戦争に勝ったわけでは無く、日本が勝手に負けたという悔しさは分かるとしても、そろそろ日本も言われっぱなしは卒業しても良いのではないだろうかと思います。
 著者は国会図書館に閉じこもり戦前の朝日新聞の地方版から多くの記事を引用しており、興味深い内容となっています。日本は合邦後同国人の生活向上に懸命に取り組み近代化を進めたことが写真付きの記事で読み取ることができます。
 メディアリテラシーの向上に役立つ一書です。



以下同書からの引用。

第一章 近代化が進展した「大日本帝国下の朝鮮半島」から
 1937年1月までの国有鉄道の総延長は3,575.9Km、私設鉄道は1463Kmであった。JR北海道の一部が電化されたのは1968年8月で、朝鮮半島の30年後であった。
 港も整備され、世界一の規模を誇る水豊ダム発電所は1941年より送電を開始した。(建設事業者は西松建設)下水も学校も政府庁舎も銀行、裁判所も整備された、京城(現在のソウル)大学は旧帝大の中で6番目であった。

第二章 「創氏改名」はどう報道されたのか
 創氏、改名は1939年の政令で定められた。姓とは別に氏を新たに設け、欧米と同様ファミリーネームを統一するよう定めた。決して、それまでの姓を削除したわけではなかった。戸籍には「姓」も「本貫」と共に記載された。創氏の届けは1940年2月11日から8月11日までに行われ、約2割の届けを出さなかった者は自動的に家長の姓が氏となった。政府からは強制で無い旨通達も行われていた。

第三章 戦前・戦後で矛盾する「慰安婦」報道
 2007年7月30日の対日「慰安婦」決議は朝日新聞の報道が捏造と誤報の産物であった。2009年1月8日付けニューヨークタイムズ紙の「韓国は在韓米軍に「慰安婦」を提供していたと報道し、日本から賠償を求めるのは偽善だと非難している。しかし、朝日は1行もこのことを報道すらしていない。(これに加えて議決議員が極端に減ったのに全員可決と報道している)
 実際には募集ではなく、婦女誘拐を行う悪徳業者が跋扈し、警察当局は件名に取締りを行い、地方自治体に抱主の不当な所得に関して、待遇改善を地方自治体に働きかけている。

第四章 新史料発掘! 「朝鮮人業者」強制連行の動かぬ証拠
 1992年の1月11日宮沢首相訪韓直前の朝日新聞報道「軍慰安所従業婦募集に関する件」の発令を軍の直接関与のように歪曲して報道したが、実際は悪徳業者を取り締まれという意味での「良識的な関与」であった。
 これらの事実を踏まえて、李栄慧ソウル大学教授はTV番組で「慰安婦」商売目的の売春婦である。韓国民間人の問題を検討すべき」という発言をし、米軍部隊近くの「テキサス村」に対する反省と省察がないとして事実に基づく主張をした。韓国で大バッシングを受け、元慰安婦を前に土下座させられた。


第五章 「強制連行」どころか、密航までして日本を目指した朝鮮人
 まだ客観的に報道していた頃。朝日新聞は、実際の戦時徴用は245人であったと報道していた。外務省の「在日朝鮮人の引揚げに関するいきさつ」が最近発表された。
戦時国民徴用令は内地で1939年7月施行され、朝鮮半島の適用は1944年9月から翌年の3月までの7ヶ月間で、日本人よりはるかに少なかった。実際には日中戦争勃発後も日本への密航者が続出した。そして密航ブローカーも暗躍していた。あまりの密航者の多さに、内地渡航に関する規制緩和を行った。緩和のペースを上回る渡航希望者は強制労働などではなく、稼ぎが多いための出稼ぎであった。実際に炭鉱夫などは優遇されていた。

第六章 「言葉を奪った」どころか、ハングルを広め、教えたのは日本
 伊藤博文は韓国政府に日銀から500万円借款し、そのうちの50万円を教育の振興に当てた。併合前、当時朝鮮にあった学校は2,000校で、特権階級の男子だけの小規模な私塾であり、公立学校は100校しかなかった。
 1934年には国民学校4,271校、認定学校126校、簡易学校1,563校、中学校268校、師範学校 男子13校、女子2校となっている。
 朝鮮王室は人民教化のためにハングルを用いたが、官吏は漢字を使用し続けた。
 逆に、併合後の1911年に第1次教育令が施行されて、ハングルは必須科目となった。初等教育では1年~6年まで朝鮮語及び漢文を毎週2~6時間教えるように定められた。朝鮮総督の基本政策は文盲の一掃であった。

第七章 朝鮮女性の人権を守ったのは日本だった
 儒教文化圏である朝鮮は長く女性の地位が低く、その封建的制度が打ち破られ近代化されたのは日本の統治時代であった。
 最も長く朝鮮人女性を苦しめてきたのは女性の再婚を認めないというものであった。そのため若い寡婦の嬰児殺しが後を絶たなかった。朝鮮では「姓」とは別に先祖の出身を表す「本貫」があり、近親相姦を避けるために同姓同本の結婚は禁止されていた。男系社会を守るために禁止されていた婿養子が、養子縁組の届出と同時に婚姻届出をすることで認められるようになった。
 飲食店の女性の雇用に関する条件も改善された。1992年慰安婦問題の端緒となった吉田清治氏の証言、実際は真逆であった。


第八章 朝鮮人たちは日本軍志願兵募集に殺到した
 朝鮮半島で志願兵制度が導入されたのは1943年で実施されたのは1944年からであった。それまでは陸軍の幼年学校か陸軍士官学校に進むしかなかった。
 日支事変の遠因となった、1937年の「通州事変*」により朝鮮人の中国への怒りが頂点に達していたこともあり、朝鮮半島では志願兵制度がまだなかったにもかかわらず志願が殺到していた。
 1938年志願兵令が公布された当初7倍近かった倍率は5年後には50倍になった。
*【通洲事件】
 盧溝橋の近くの「通州」という町で起こった日本人虐殺事件。以下は東京裁判で受理された「通州事件」の現場目撃証言の抜書きです。
「陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が散乱していた。男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。子供は手の指を揃えて切断されていた。主人らしき人の死体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」(日本人はこのような殺し方はしないと思います)

第九章 朝鮮農民の土地、地位、財産を守り育てた“日帝”の功績
 韓国では1974年に国定教科書制度が導入された。国定歴史教科書では、反日教育の目玉として日本による「七奪」の中でも、土地の収奪がスペースを多くさいて記述されている。
 もともと朝鮮半島では土地の所有制度が整備されておらず、誰の土地か不明瞭であった。そのため暴力による土地の収奪や抗争が耐えなかった。
 日本が朝鮮政府から引き継いだ農地は全耕作地434万2千町のわずか2.7%だった。
小作地の払い下げを出願する者が少なく多数の自作農を養成し払い下げを実行した。
 日韓併合時1910年から42年で耕地面積は約2倍に増え、内地人の農業戸数は半減している。
 李氏朝鮮では農村の民間相互の金利は年2割が普通で、総督府は国庫融資による低金利を実現した。不在地主と小作人の間にいる「舎音」と呼ばれる土地管理者が存在し、法整備により悪質な「舎音」を一掃した。土地改良事業も推進した。


第十一章 朝鮮文化と文化史を守った総督府
 ユネスコの世界遺産である檀君の城址は統治時代に発見された。高句麗古跡群もしかり。高麗青磁の復活に人生を捧げた日本人もいた。


第十二章 「張作霖爆殺」で始まった奇妙な報道
 朝日新聞は満州事変の3年前1938年に起きた張作霖爆破事件を軍部暴走の始まりであったと報道している。
 当件に関する直接の記事は無いが1週間後漸く報道されている。事件の前は日本側と馬賊団の対立を報じる記事で埋め尽くされていた。(若林大尉の惨殺)
 日本人の怒りが高まれば高まるほど、張作霖に関して支那人は喜んでいるとまで報道している。
 満州事変のきっかけとなった柳条湖事件、それ以前に満州区では中国人によって朝鮮人が襲われ、その報復により対立が激化。不穏な空気が蔓延していた。朝日はこの対立を煽るような報道を行った。
 仁川、京城に存在する中国人との衝突が多発して、中村大尉*事件発生に内地世論も激昂していた。

第十四章 半島の緑化に努めた日本人の美意識