今年の夏休みも城めぐり
2014年から始めて、今年で9年目になる
コロナ第7波で感染者数が日々更新する中、数日前から、
どうしようか迷っていたが・・・
比較的近県でしっかりと感染対策を講じ、
なるべく人ごみを避け、外食なしの日帰りで
行くことにした
今夏テーマは『小田原征伐!』
静岡1つ、神奈川2つの城
今まで行きそびれた城、名城スタンプ未押印の城を巡る・・・
今回は日帰りなのだが、画像を多用したところ、思ったよりも時間が
かかったので、3つの城ごとで分割することとした
適当に飛ばして
7月29日
5:15 自宅出発 ___
首都高速事故のため目的のインターが封鎖されており乗れず
予定を大幅に遅れて都内で高速IN(6:50すぎ)。
いくつか高速道路を乗り継ぎ、途中SAでトイレ休憩1回
小田原厚木道路 小田原西I.CでOUT
箱根の峠を越えて・・・
8:45 最初の目的地 山中城P到着
山中城は、3年前(2019年)の城巡りで行きそびれて以来、秘かに行く機会を狙っていた城
先に2台の車が駐まっていた(↑ 画像は折り返しの9時40分頃に撮影)
※ 山中城は戦国末期(1589)、後北条氏と豊臣秀吉の兵が衝突した北條方小田原西防衛拠点の城。
秀吉との緊張が高まり、前年より城の増築、改修がおこなわれていたが、未完のまま侵攻を受けた。
後北条氏の兵4000人に対し、豊臣方の兵約7万人。豊臣軍が圧倒的兵力差で強行突破した為、
わずか半日で落城した。石を使わない山城で、堀や土塁が良く残っており北条流築城術を知ることが
出来る見どころのある城。
今日も暑くなるらしい
熱中症・日焼け・感染対策
9:00 準備完了 攻略開始
矢印の順にまわる 数字は撮影位置
山中城は現在国道1号線を隔て岱埼(だいさき)出丸側と本丸~三の丸側に分かれている
まずは岱埼出丸方面からスタート
①↑ 岱埼出丸入口
②↑ 通路が日陰で良かった ペットボトルを持参 水分補給しながら進む
③↑ 御馬場曲輪と岱埼出丸(南側)を隔てる畝掘(うねぼり・単列型障子堀 )
かなりの傾斜 曲輪まで高さ平均9mもあったらしい
当時はローム層がむき出しで滑りやすかった
綺麗に手入れされていて美しい
④↑ 岱埼出丸中央
⑤↑ すり鉢曲輪 出丸の最先端 名の通り、すり鉢状に中央部を凹ませて低くしてあった
敵の侵入を許した時、撃退しやすいような地形にしたのだろうか
馬を数頭走らせ敵兵を蹴散らしたか 今は安全のため浅くしてある
⑥↑ 一ノ堀 東海道を進軍してくる敵兵に対する最初の防御
同じく⑥ 見張台 一ノ堀、すり鉢曲輪を見下ろせる
⑦↑ 一ノ掘 (畝堀)
⑧↑ ③の畝掘を反対から
⑨↑ 御馬場曲輪 出丸の中で一番高所且つ最大の曲輪 出丸防御上の拠点と考えられるそうだ
⑩↑ 御馬場曲輪からすり鉢曲輪方面を
ガッツリ、長居しすぎた
これ以上ゆっくりしていると1時間経ってしまう
駐車場に戻り水分補給、トイレへ行って仕切り直し
着替えもしたいが全部観た後にしよう
次は三ノ丸~本丸方面を巡る
↑ 田尻の池
↑ 箱井戸
箱井戸、田尻の池一帯は湿地帯であったが盛土で塞き止め、山城における貴重な水の確保とした
田尻の池と土塁で分断、排水溝によってつながれ湧水量が多い箱井戸から田尻の池に
流れる仕組みであったと考えられている
箱井戸が城兵の飲料水、田尻の池が洗い場、馬の飲水に利用されていたと推測される
↑ 箱井戸裏の斜面は紫陽花が咲いていた
現在三ノ丸のほとんどは住宅、道路となっている
その中にある寺
北条方、豊臣方双方の武将、兵の菩提を弔うために建てられた寺があるらしい
↓ 宗閑寺
↓ 無人の寺のようで墓前までは入らなかったが手前から合掌
寺でお参りも済ませ、先程の池まで戻る
先に西ノ丸、西櫓、西木戸口方面へ
結構長い上り
↑ A 西ノ丸脇 これも台風の影響か
↑ B 障子堀(複列型障子掘) 西の丸と最先端の西櫓の間
↑ 撮影位置の図
↑ C 西木戸口 出発前の下調べによると、豊臣方の徳川軍は西木戸口より侵攻したらしい
↑ D 帯曲輪
↓ E 西木戸口周辺 右が西櫓
↑ この絵では分かりづらいが西の丸と西櫓間も障子掘あり
↑ F 西櫓
↑ 西櫓から三島市街地が見える 奥には駿河湾も
↓ 富士山は雲にスッポリ覆われて見えない
↑西櫓入口に咲くヤマユリ
↑ 経路 こんな感じで登ってきた
西櫓から西木戸口を経由してグルっと北上して休憩所付近まできたが西ノ丸の入口が見つからない
たしか案内板を見た時にもう1つ入口があると思ったのだけど‥‥
先程上ってくる途中にあった入口
戻るには少々遠いな
二ノ丸、本丸を先に行き回った後に再度西の丸へ行くか
どうしたものか
まだ先は長いし、本丸まで回ってからの再度上りはキツイので引き返す
↑ 西ノ丸 奥に見えるのは見張台
↑ 西の丸から障子堀
↓ 西の丸見張台から西櫓と西木戸口
やっぱりあったのね
西の丸北側に もう1つの入口?出口?
↑ (元)溜池
山田川支流の谷を盛土で仕切った水源確保のための溜池
本丸、北ノ丸の堀水や西の丸、元西櫓の傾斜排水も貯まる仕組み
発掘で4mまで掘り返されたが池底に達しないほど深かったらしい 山城の生命
北の丸→本丸→二の丸→元西櫓の順に回っていく
↓ 北ノ丸
堀の造成で出た土を尾根に盛土、平らにし曲輪を作った。
↑↓ 北ノ丸外掘 かなり深い堀であるが、400年超で2m以上も土が堆積し埋まっているらしい
↓ 北の丸~本丸に架かる木製橋(本丸北橋)
本丸 ↓
天守櫓跡 ↓
↓ 本丸西橋(本丸と二の丸間に架かる)
二ノ丸 場内最大級の曲輪で本丸より大きく一部本丸の役割も果たしていたらしい
↓ 本丸から元西櫓・溜池方向へ傾斜している
← 元西櫓 本丸 →
↓ 二の丸櫓台
↓ 二の丸から元西櫓
元西櫓
↑ 全曲輪探訪終了 後半ルート図
二の丸から箱井戸・田尻の池へ下り帰路へ
駐車場へ戻り着替え 売店で御城印入手、名城スタンプ押印し
11:50次の目的地へ向かう
その2へつづく
2014年から始めて、今年で9年目になる
コロナ第7波で感染者数が日々更新する中、数日前から、
どうしようか迷っていたが・・・
比較的近県でしっかりと感染対策を講じ、
なるべく人ごみを避け、外食なしの日帰りで
行くことにした
今夏テーマは『小田原征伐!』
静岡1つ、神奈川2つの城
今まで行きそびれた城、名城スタンプ未押印の城を巡る・・・
今回は日帰りなのだが、画像を多用したところ、思ったよりも時間が
かかったので、3つの城ごとで分割することとした
適当に飛ばして
7月29日
5:15 自宅出発 ___
首都高速事故のため目的のインターが封鎖されており乗れず
予定を大幅に遅れて都内で高速IN(6:50すぎ)。
いくつか高速道路を乗り継ぎ、途中SAでトイレ休憩1回
小田原厚木道路 小田原西I.CでOUT
箱根の峠を越えて・・・
8:45 最初の目的地 山中城P到着
山中城は、3年前(2019年)の城巡りで行きそびれて以来、秘かに行く機会を狙っていた城
先に2台の車が駐まっていた(↑ 画像は折り返しの9時40分頃に撮影)
※ 山中城は戦国末期(1589)、後北条氏と豊臣秀吉の兵が衝突した北條方小田原西防衛拠点の城。
秀吉との緊張が高まり、前年より城の増築、改修がおこなわれていたが、未完のまま侵攻を受けた。
後北条氏の兵4000人に対し、豊臣方の兵約7万人。豊臣軍が圧倒的兵力差で強行突破した為、
わずか半日で落城した。石を使わない山城で、堀や土塁が良く残っており北条流築城術を知ることが
出来る見どころのある城。
今日も暑くなるらしい
熱中症・日焼け・感染対策
9:00 準備完了 攻略開始
矢印の順にまわる 数字は撮影位置
山中城は現在国道1号線を隔て岱埼(だいさき)出丸側と本丸~三の丸側に分かれている
まずは岱埼出丸方面からスタート
①↑ 岱埼出丸入口
②↑ 通路が日陰で良かった ペットボトルを持参 水分補給しながら進む
③↑ 御馬場曲輪と岱埼出丸(南側)を隔てる畝掘(うねぼり・単列型障子堀 )
かなりの傾斜 曲輪まで高さ平均9mもあったらしい
当時はローム層がむき出しで滑りやすかった
綺麗に手入れされていて美しい
④↑ 岱埼出丸中央
⑤↑ すり鉢曲輪 出丸の最先端 名の通り、すり鉢状に中央部を凹ませて低くしてあった
敵の侵入を許した時、撃退しやすいような地形にしたのだろうか
馬を数頭走らせ敵兵を蹴散らしたか 今は安全のため浅くしてある
⑥↑ 一ノ堀 東海道を進軍してくる敵兵に対する最初の防御
同じく⑥ 見張台 一ノ堀、すり鉢曲輪を見下ろせる
⑦↑ 一ノ掘 (畝堀)
⑧↑ ③の畝掘を反対から
⑨↑ 御馬場曲輪 出丸の中で一番高所且つ最大の曲輪 出丸防御上の拠点と考えられるそうだ
⑩↑ 御馬場曲輪からすり鉢曲輪方面を
ガッツリ、長居しすぎた
これ以上ゆっくりしていると1時間経ってしまう
駐車場に戻り水分補給、トイレへ行って仕切り直し
着替えもしたいが全部観た後にしよう
次は三ノ丸~本丸方面を巡る
↑ 田尻の池
↑ 箱井戸
箱井戸、田尻の池一帯は湿地帯であったが盛土で塞き止め、山城における貴重な水の確保とした
田尻の池と土塁で分断、排水溝によってつながれ湧水量が多い箱井戸から田尻の池に
流れる仕組みであったと考えられている
箱井戸が城兵の飲料水、田尻の池が洗い場、馬の飲水に利用されていたと推測される
↑ 箱井戸裏の斜面は紫陽花が咲いていた
現在三ノ丸のほとんどは住宅、道路となっている
その中にある寺
北条方、豊臣方双方の武将、兵の菩提を弔うために建てられた寺があるらしい
↓ 宗閑寺
↓ 無人の寺のようで墓前までは入らなかったが手前から合掌
寺でお参りも済ませ、先程の池まで戻る
先に西ノ丸、西櫓、西木戸口方面へ
結構長い上り
↑ A 西ノ丸脇 これも台風の影響か
↑ B 障子堀(複列型障子掘) 西の丸と最先端の西櫓の間
↑ 撮影位置の図
↑ C 西木戸口 出発前の下調べによると、豊臣方の徳川軍は西木戸口より侵攻したらしい
↑ D 帯曲輪
↓ E 西木戸口周辺 右が西櫓
↑ この絵では分かりづらいが西の丸と西櫓間も障子掘あり
↑ F 西櫓
↑ 西櫓から三島市街地が見える 奥には駿河湾も
↓ 富士山は雲にスッポリ覆われて見えない
↑西櫓入口に咲くヤマユリ
↑ 経路 こんな感じで登ってきた
西櫓から西木戸口を経由してグルっと北上して休憩所付近まできたが西ノ丸の入口が見つからない
たしか案内板を見た時にもう1つ入口があると思ったのだけど‥‥
先程上ってくる途中にあった入口
戻るには少々遠いな
二ノ丸、本丸を先に行き回った後に再度西の丸へ行くか
どうしたものか
まだ先は長いし、本丸まで回ってからの再度上りはキツイので引き返す
↑ 西ノ丸 奥に見えるのは見張台
↑ 西の丸から障子堀
↓ 西の丸見張台から西櫓と西木戸口
やっぱりあったのね
西の丸北側に もう1つの入口?出口?
↑ (元)溜池
山田川支流の谷を盛土で仕切った水源確保のための溜池
本丸、北ノ丸の堀水や西の丸、元西櫓の傾斜排水も貯まる仕組み
発掘で4mまで掘り返されたが池底に達しないほど深かったらしい 山城の生命
北の丸→本丸→二の丸→元西櫓の順に回っていく
↓ 北ノ丸
堀の造成で出た土を尾根に盛土、平らにし曲輪を作った。
↑↓ 北ノ丸外掘 かなり深い堀であるが、400年超で2m以上も土が堆積し埋まっているらしい
↓ 北の丸~本丸に架かる木製橋(本丸北橋)
本丸 ↓
天守櫓跡 ↓
↓ 本丸西橋(本丸と二の丸間に架かる)
二ノ丸 場内最大級の曲輪で本丸より大きく一部本丸の役割も果たしていたらしい
↓ 本丸から元西櫓・溜池方向へ傾斜している
← 元西櫓 本丸 →
↓ 二の丸櫓台
↓ 二の丸から元西櫓
元西櫓
↑ 全曲輪探訪終了 後半ルート図
二の丸から箱井戸・田尻の池へ下り帰路へ
駐車場へ戻り着替え 売店で御城印入手、名城スタンプ押印し
11:50次の目的地へ向かう
その2へつづく
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