そよかぜ秘密基地 

開設時アラ4からアラ5になったおやじの趣味を中心とした『ブログ日記』でやす。不定期に更新。

真田ゆかりの城へ2

2023-08-18 20:19:18 | 旅行
8日(3日目)





6:35  起床

8:25  出発   

      息子が休みを合わせてくれたので今日は一緒に城巡りへ行く。

9:00  沼田城址(沼田公園)駐車場到着

      

      

      今日も暑い

      

      ゲーム戦国無双の真田幸村のパネルと記念撮影

      息子の顔出しは許可を貰っていないので真田信之パネルに差し替えw

      

      駐車場付近は三の丸跡で武家屋敷だったらしい。



      観光案内所へ

      

       

      案内所内を見学、散策マップを入手



9:30  さっそく城(公園)内を巡る。 

      

      駐車場の東側 こちらも三の丸に位置する。

      現在はテニスコートとあるが、立ち入りはできない模様。

      これから発掘調査をするのだろうか?

      
      

      堀跡

      

      野球場 三の丸(球場の中央から南)から二の丸(球場北の一部)であった。



      
      
      二の丸から本丸へ入る大門(本丸御門)跡

      礎石等は良く分からない。赤丸で囲った石がそうなのか??

      

      




      本丸へ

       

      昨日の岩櫃城『クマ出没注意』に続き、イノシシ注意

      

      

      沼田城

      1532年沼田顕泰(あきやす)が築城。沼田氏が拠点とした。沼田城は北関東の要衝であり、軍事上の重要拠点として
      上杉氏・北条氏の争奪戦となっていたが、1580年、武田勝頼の命を受け沼田に進出した真田昌幸が、当時、北条氏に
      従属していた金子泰清(沼田顕泰側室の兄といわれる)を調略によって無血開城させた。翌1581年に沼田城の奪還に
      来攻した沼田平八郎景義を謀殺。これにより沼田家は滅亡。1582年武田家が滅亡し一時、織田(滝川)領となるが、
      天正壬午の乱において北条氏に降った昌幸が再び支配した。以後、昌幸は主君を変えつつ沼田城の支配を続けた。領有を
      主張する北条氏とこれに応じない昌幸との間で攻防が続いたが、1589年豊臣秀吉の裁定により、真田氏から北条氏に
      引き渡され、北条方の猪俣邦憲が城代となった。しかし、同年に邦憲が昌幸の治める名胡桃城を略奪したことが、秀吉の
      怒りを買い、翌1590年の小田原征伐によって北条家は滅びた。戦後処理において、沼田城は真田氏に返還され、家康
      養女の婿である真田信幸(之)が沼田領2万7千石の城主となり支配。5層5階の天守閣を建造し、以後5代にわたって
      この地を治めた。1682年に破却。本多氏が城の再興の命を受け入封したが、天守は再建されず三の丸に館を建てた。
      黒田氏2代、土岐氏12代の居館として使用された。

      

      

      本丸は、公園として整備され小動物園や季節の花を楽しめる植物園等がある。春は御殿桜を
      はじめとする210本の桜が見ごろ。

      
      
      

      

      本丸で会った息子は少し飽きてきたように見えたので、案内所へ戻り

      展示を見学して涼んでいるように促した。






      

      鐘楼

      1634年、領内の安泰を祈願して2代藩主真田信吉が鋳造、沼田城内三の丸の楼に掛けて時報に用いた。
      真田氏改易により平等寺の焚鐘となっていたが、明治32年(1899年)旧沼田町役場敷地内に鐘楼が
      建てられた。昭和39年(1964年)、市庁舎改築で取り壊された後、昭和58(1983年)年に
      沼田公園内に復元。鐘は複製品で実物は沼田市歴史資料館に展示されている。



      

      真田信之公パネル



      

      本丸西櫓台へ

      

      

      櫓台石垣

      

      櫓台上には入れないらしい

      




      

      真田信之公とその妻小松姫像



      沼田城と小松姫の逸話

      真田信幸(信之)の正室 小松姫(稲姫)は徳川四天王の1人『猛将 本多忠勝』の娘。
      徳川家康の養女として信之の妻となった。関ヶ原の戦いの時、真田父子は、佐野犬伏に
      おいて信之は東軍、昌幸と信繁(幸村)は西軍へ与することになった。徳川の陣を引き
      上田城へ向う途中、昌幸らは沼田城へ立ち寄ったが、小松姫は武装し、城門を閉ざし、
      「たとえ舅といえども、夫信之の許しがなくては入城を許しませぬ」と、昌幸らの入城
      を拒否。昌幸は「孫の顔を見に来ただけじゃ」と開門を願ったが、開城をしなかった。
      昌幸と信繫は沼田城入城を諦め、正覚寺で休憩していたところ、小松姫が孫の顔を見せ
      るために訪れ、もてなした。昌幸も「さすがは本多忠勝の娘。小松姫がいる限り真田の
      家は安泰じゃ」と喜んだとされる。
      また男勝りと評される事が多い小松姫だが、戦後処理で流罪となった昌幸のもとへ鮭を
      送ったり、気遣いを忘れなかったとされる文献もあり、やさしく細やかさも兼ね備えた。
         



      

      利根英霊殿 利根沼田地区出身の戦没者を祀っている。

      

      大手門の沓石

      沓石(くついし):礎石の上、柱や縁の束柱 (つかばしら) の下に据える石。






      

      天守台

      天守台には1597年(慶長2年)、5層5階の天守が建造された。1681年 天和元年、
      5代城主信利が改易、領地は天領(江戸幕府に没収)とされ、翌年1月に幕府の命により
      破却、その後再建はされなかった。

      



      天守台から北側の捨曲輪へ

      

      トンボ発見

      

      捕獲w 撮影後に逃がしました。



      捨曲輪に入ると社?堂?を見つけた

      



      覗くと・・・






      

      堂内には昭和34年に造られた長さ3m、幅2m、鼻の高さ1.4m、重さ1t。

      日本一の大きさを誇る木彫りの天狗面だった。

      天狗堂というらしい。



      

      捨曲輪

      

      

      

      戦国無双 真田昌幸パネル



      

      平八石

      真田昌幸が沼田平八郎景義の首を実検の後に載せた石といわれている。



      案内所へ戻る。

      息子と合流し、名城スタンプ、御城印を購入。



10:55 沼田城址出発 次は名胡桃城へ






11:10 途中、すき家があったので、立ち寄り昼食 



11:40 すき家 出発






      

11:50 名胡桃城址到着 

      

      案内所のトイレを借り、さっそく攻城

      

       

      名胡桃城

      豊臣秀吉の天下統一の発端となる小田原北条征伐のきっかけになった城。

      名胡桃城のはじまりは1492年に沼田城の支城として沼田氏によって名胡桃館を築いたものとされる。
      上杉景勝との甲越同盟により東上野の割譲を受けた武田勝頼が、1579年に家臣の真田昌幸に命じ、
      北条氏から沼田城を奪取するための前線基地として築いた城である。昌幸は、この城を足がかりとして
      攻略を企図し調略の結果、沼田城を奪取した。沼田・吾妻領の領有を主張する北条氏とこれに応じない
      昌幸との間で攻防が続き、名胡桃城は沼田城の有力な支城として沼田領に攻め入る北条の軍を退けた。
      1587年に豊臣秀吉は大名間の私闘を禁ずる惣無事令を発令。2年後の1589年、秀吉の裁定が
      行われ、名胡桃城を含めた全体の3分の1は真田領に、沼田城を中心とする3分の2は北条領として、
      沼田城は真田氏から北条氏に引き渡された。手放した土地の代替地として信濃国の箕輪を与えられた。
      しかし、同年11月3日に沼田城代猪俣邦憲が昌幸の治める名胡桃城を調略により占領。昌幸は直ちに
      寄親である家康を通して秀吉に訴えた。秀吉は手切れ書を北条氏と諸大名に配布するとともに北条へ
      家臣を派遣し関係者の引き渡し・処罰を求めたが、北条家当主氏直は詰問に対し「名胡桃城は真田氏
      から引き渡されて北条領となっている城なので、そもそも奪う必要なく、全く知らないことである」
      と書状で釈明、引き渡しと処罰を拒否した。1590年3月に秀吉は軍勢を出立。小田原北条征伐に
      よって北条家は滅びた。真田氏への旧領復活を受け、廃城となった。



       

      馬出

      

      三郭堀切 ↑ ↓

      

      

      

      三郭へ

       

      三郭 64×24mで横(東西)に長い郭

      三郭から薬研型の三日月堀が検出されたことから、築城当初は郭ではなく

      馬出であった事が分っている。

      

      グレーのコンクリート部が三日月堀跡

      

      建物跡 三郭には3つの建物跡が確認されている。



      二郭へ

       

      二郭南虎口 喰い違い虎口となっている。

      

      二郭堀切 ↑ ↓ 三郭側が傾斜45°に対し二郭側は攻めにくいように55°に掘られた。

      

      ピンク線:二郭側/赤線:三郭側 堀の深さは5.5~7mとあるので、安全の為、埋め戻したのだろう。



      また左右の堀切は一直線ではなく堀幅1つ分ずらして掘られている。(下図参照)

      

      

      二郭内の南西側の土塁上に見学台があるので上から見てみる。

      



       

      二郭

      65×50mの(南北)縦長の台形。西側縁辺は広く崩落している。

      南北の虎口を直線でつなぐ通路とその西側に建築時期が異なる建物群が8棟確認されている。

      

      二郭見学台から西(般若廓)側の堀を撮影



      北虎口へ

      

      北東の土塁上にも見学台。上から見てみる。

       

      二郭北虎口

      本郭間との左右堀切の掘り幅を変えることで、本丸へ向かう出口であるが

      大きくクランク状に進入せざるを得ないようにしている。

      本郭へ

      

      発掘調査にて橋の基壇上に柱穴(6本)がみつかり木橋が架かっていた事が分かっている。






      

      本郭

      

      本郭は51×30mで洋梨の形をした廓。東西縁辺が崩落し、

      コンクリートで補強されており、もっと大きな廓であった。

      この城に天守は無く、本郭内の虎口、建物の状況は分かっていない。

      

      名胡桃城址碑

      



      

       

      ささ郭

      31×14mの狭長な通路。この城跡で唯一両側に土塁が残存する郭だった。

      本郭がむき出しにならないように設けた廓で先端に搦手門を有し袖郭、物見に続く。

      

      

      袖郭 のぼり脇で記念撮影



      案内所へ
      
      

      御城印、スタンプ入手。

      案内所は資料展示、グッズや土産物の販売、喫茶店も併設している。



      最後に

      般若廓

       

      名胡桃城のうち最大の郭。主体となる連郭式山城の西側に孤立して位置する。

      築城以前から館があったのではないかと考えられているが、詳細は不明。

      現在は駐車場となっている。

      到着した時、解説板があるのに気付いたが、最後に観ることにした。



13:35 名胡桃城址駐車場出発



14:20 息子宅へ到着

      息子と別れ、帰路へ

      城に興味も無いのに付き合ってくれてありがとう



      以前知人からもらった群馬のブランド豚。とても美味しくって販売している店を

      教えてもらっていたので、今の場所から少し距離があるが、立ち寄ってみることに。

      

      パワーセンターうおかつ榛名店

      群馬のお土産はブランドの豚肉。


18:30 帰宅 走行距離400.9km

       



      

      

      戦利品      
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真田ゆかりの城へ

2023-08-18 19:20:21 | 旅行
8月6日から8日まで群馬県に行ってきた。



息子の様子を久しぶりに見に行くのと、

真田ゆかりの城をまわる目的。



今夏、2回目の城巡りとなる。

城巡りは3日間のうち2日のみなので、

2部に分けてUPの予定。



6日(1日目)
      初日は移動日。息子の家へ。

      途中、高速のサービスエリアで

      

      雨が降ったり、曇ったり晴れたり・・・

      台風の影響で変わりやすい天気だ。



      息子の家に到着

      夏バテしているかと思ったが、元気そう。

      晩飯を兼ねて、2人で中華料理を食べながら

      2時間ほど飲んだ。



7日(2日目)

      息子は仕事のため、今日は単独行動。

      武田家家臣 真田氏の城 岩櫃城へ

7:35  出発


7:55  道の駅おのこ

      少し早めに出発したため、トイレ等で立ち寄り

      時間の調整。(8:20頃まで)

   

      国道145号から原町市街地を抜け、案内に沿って右折。

      山道へ。

       

      看板発見

      ※ 車から降りて撮影しています



9:00  岩櫃山平沢登山口駐車場に到着。

      

      駐車場の路面は昨夜降った雨で濡れていたが

      現在は降っていない。雲の流れが早くまた

      降るかもしれないので、雨具と傘を持参。

      

      駐車場入り口にある周辺マップ

      

      

      駐車場から観光案内所までは少し離れているが、歩いて1~2分



9:15  登山口手前にある観光案内所

      続名城スタンプ、御城印販売はここで。

      帰りにもう一度立ち寄ることに。

      

      

      案内所でマップを入手したが、いまいち分からず。

      所員さんに城の遺構をまわりたいと伝え、

      マップを見ながら、ルートを教えてもらった。

      

      攻城開始

      

      尾根通りを行く。


      

      熊出没しませんように。遭遇してしまったら携行した傘が唯一の武器w

      



      少し登ると

       

      開けた場所に出る。

      

      中城跡


      

      






       


       

      現在は二ノ丸、本丸へ上る登場ルート

      もとは堅掘であった。

      敵兵が攻める際、横への移動を制限するために造られた。




       

      三ノ丸(山側から)

      『三ノ丸』と『中城』を区別しているものと同一とするものが

      HP等で見られるが、当ブログでは別の曲輪とする。






       

      二ノ丸、本丸へ                             本丸東側の横堀は竪堀に続いている。

      

      

      

      二ノ丸到着


      

      二ノ丸案内

      

      本丸を背に三ノ丸方面

      

      二ノ丸から本丸(階段は本丸へと続く)

      曲輪間も横堀が施されている。



      本丸へ

      

      本丸

      

      本丸東側の堅掘。 画像左の堀は、二ノ丸手前で見た横堀

      

      本丸から城下

        

      ニノ丸から本丸への唯一の登城路。腰曲輪跡

      先程、二の丸から本丸へと上ってきた階段は当時なかった。 

 

      

      後方の草むらで羽音がするので覗いてみると

      ヒグラシ

      羽根が雨の雫で濡れたためか、飛べない様子。

      少し手の中で休ませたら、飛んで行った。

      

      本丸櫓台跡






       

      本丸北側から城下を望む。

      

      

      東屋

       

      東屋内にアリ地獄の巣を発見






      

      

      

      岩櫃城

      築城年および築城主は不詳。上杉謙信に臣従した斎藤氏がこの地を治めていたが、甲斐武田信玄より、
      上州攻略の命を受けた家臣の真田幸隆が岩櫃城を攻略、従属国衆となった海野氏を推挙し城代とした。
      幸隆の死後、長子の信綱が真田家を継いだが、翌年の1575年長篠の戦いにおいて信綱が戦死した
      ため、三男の昌幸が跡を継ぐ。1581年、それまで城代を務めていた海野氏は武田・真田氏による
      突然の粛清を受け、自害。1582年の織田・徳川軍による甲州征伐で、昌幸は武田勝頼を岩櫃城へ
      迎え入れて再興を図ろうとしたが叶わず、勝頼は天目山で自刃し武田家は滅亡した。以後は、昌幸の
      長子であった信行(幸)が、江戸幕府以後まで治めたが、1615年の一国一城令を受け破却された。
      岩櫃城は信濃上田城、上野沼田城を結ぶ重要拠点に位置付けられ、西は堅牢な岩櫃山、南は吾妻川、
      北は岩山に囲まれた天然の要害で、城内に竪堀、横堀を巡らせた難攻不落の城であった。久能山城、
      岩殿城とともに『武田の三堅城』と呼ばれた。
      2017年、続100名城に選定、2019年に国の史跡に指定された。             


      

      本丸内西寄 居館があったらしい。

      そろそろ下城

      

      帰りは登城ルート(尾根通り)とは別の道(沢通り)から行ってみる。

      

      本丸南の奥に看板がある 丸印のところ

      本丸に戻って行ってみる。



      

      二ノ丸から本丸に繋がる腰曲輪を見たが、樹木が生い茂り

      南桝形虎口の位置が良く分からなかった。こんな奥にあったとは・・・

      

      しかし、樹木で良く分からなかったw



      沢通りへ

      

      岩櫃山への登山者はこの先の岩山を更に登り頂上を目指すのだろう。

      山の西側には敗走する武田勝頼を迎えるために急造した御殿『潜龍院』跡が

      あるらしいのだが、岩山は梯子や鎖場を登るらしく超軽装備危ないので下山。

      

      北桝形虎口跡 こちらは何となく桝形が分かる感じ。

      



      

      一の木戸跡(本丸の北西) 

      解説板(白いポール)の前に石が落ちているが関係あるのか??



      

      水曲輪跡

      

      竪堀 

      マップで確認すると二の丸の真北に位置する。

      マップを見ていて、登城時に中城の端を通る

      もう1本の“北の竪堀”を見忘れている事に気付き

      見に行く事にする。

      

      この直線の道も竪堀の続きと思われる。



      登山口まで戻り、また中城に向け登る

      

      北の竪堀 ↑ ↓

      

      春先か秋の攻城だともう少し草木が少なくて

      分かりやすいのかな。(たしか冬季は登山禁止



11:00 案内所へ戻る。

      続100名城スタンプを押して御城印を購入。

      また所員さんに、岩櫃山の撮影スポットを尋ねたところ、

      吾妻線郷原駅の先の信号を左折し、川を渡った辺りが

      撮影スポットと教えてくれた。

      汗だくで気持ち悪いので、一度車に戻り着替え。

      少し車内で涼みながら、水分補給とおにぎりの昼食



      再度、観光案内所のトイレで手と顔を洗い

      

      (綺麗なトイレでした。)



11:50 出発


12:05 

      

      NHK大河 真田丸のオープニングで観た岩山。

      良い写真が撮れた。案内所のおじさまありがとう!



12:50 道の駅おのこ



      渋川市に入って温泉施設の看板を見つけた。

      すでに通り過ぎていたので、Uターン

13:10 金島温泉 富貴の湯に到着

      

      昼間から温泉は贅沢だなと思ったが

      結構お客さんが来ていた。

      気持ち良くって、少々長湯してしまった。

14:30 富貴の湯出発      

      今晩も息子と夕食を取る予定なので時間つぶし。

18:00 息子と合流。

      少し息子宅でゆっくりして、酒を飲むので徒歩で向かう。

19:00 焼肉屋あおぞらへ

      ビールと焼き肉は間違いない

      リーズナブルとはいかないが肉はとても柔らかく美味かった

      メニューに中華もあり、地元の人はラーメンだけ食べて帰る人も結構いた。



      息子の家へ戻り、飲み直し

23:30 就寝

      3日目は息子と2城を巡る予定。






      ブログUP時の店舗情報です。
      下記店舗の利用時は、仕様が変更されている場合も
      あると思うので必ずご自分で店舗へ連絡、確認してね。



      金島温泉 富貴の湯

      所在地:群馬県渋川市川島99-1
      営業時間;10:00~21:00(受付終了30分前まで)
      休館日:毎月15日(土日・祝日は営業し翌日休館)
      料金:大人(中学生以上)400円、小学生200円、以下100円
      電話:0279-23-0001
      泉質:カルシウム・ナトリウムー塩化物温泉(低張性中性低温泉)      



      うまい焼肉 あおぞら

      所在地: 群馬県内4カ所あるようです。            
      営業時間:11:30~21:30(LO終了30分前まで)
      休館日:年中無休(大晦日・元日のみ休み)
      
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戦利品

2023-08-18 18:18:18 | 旅行






紀州征伐の戦利品・・・お土産です。





初の御城印帳 伊賀上野城版

これでクリアファイル保管をやめられるわ








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