7日(金)、2回目の埼玉城巡りに行ってきた。
5:40 早起きをして早めの出発。
今日最初に巡る予定の城は大築城(おおづくじょう)という現ときがわ町の
山城なのだが、今まで自分が攻城した山城とはちょっと違う・・・らしい。
訪れた方々のネット情報を見ると「登りがキツイ」「2時間歩いた」「敗走」の
文字が。
また「今日はとても暑くなる」というニュースを見たので
午前中の早いうちにクリアしてしまおうと。
行く前から少々不安
8:00 途中コンビニに寄ったり、道を間違えたりで計画より若干遅れて
予定ポイントに着いたが、なんと 通行禁止の看板。
昨年の台風19号被害の為と書いてある。
仕方なく他のルートを探し車で彷徨う。
8:50 ようやく車を降り、登城(登山)開始。5分程歩くと息が上がってきて
たしかにキツイ。また時折、蜘蛛の巣があり、枝を拾い巣を払いながら
登る。途中、道を間違えて引き返したり
看板発見 ↑
ここからの登りが更にキツイ
9:50 出発から休憩数回、ようやく大築城の本郭?に到着
でも山の頂上ってだけで周りは杉・杉・杉
「えー、本当にココなの??」
周りを探索。朽ちて倒れた看板を見つけるが
何も書いてない。(風雨で消えたのか)
歩き回ること約10分
案内板をやっと見つけた。
案内板を頼りに辺りを歩き回ったが、
杉、草が生い茂り、倒木や落ち葉の堆積物等で距離感が掴めず、
↑ 堀切?
スタートの躓き、疲労、思っている方角に遺構がなく軽い遭難感
結局、遺構は「ここなのかな?」程度しか分からず。
せめてモロドノクルワなる郭を見つけようとしたが
何処がそうなのか確信できないまま時間が経過し下山。
何とか無事戻ることは出来た。ホッ
とりあえず到達することは出来たし、安全第一
リベンジする事は多分ないでしょう。花粉シーズンは最強の脅威w
滝汗で濡れた洋服を着替え後、気を取り直して出発
11:20 ときがわ建具会館着
こちらで大築城とこれから向かう小倉城の御城印を入手。
おそばのお土産も購入。工芸品等も販売していた。
11:40 建具会館発
12:00 小倉城跡入口の駐車場に到着。
駐車場の入り口 ↑
こちらは大福寺というお寺の駐車場を提供して頂いてるみたい。
帰りに予定
12:20 車内で昼食を摂り、虫よけ対策して出発。(食事中、車の窓にアブ)
大福寺の境内に入ると案内用のパンフレットと登城時用の杖(枝)があった。
↑ こちらが入口。
道は整備されていて登りやすいが、そこそこ傾斜はある。山だからねw
ヒグラシの大合唱の中、杖を着き突き登っていく。
平坦なスペースに案内板が
上を見上げると
↑ 郭3の石垣 右側は土嚢で補強してある。
今いる平坦スペースは腰郭みたい。上の郭3へ移動
↑ 郭3
腰郭に入る前、登ってきた道へ戻り反対方向へ
ここにも案内板有り。本郭(郭1)の石垣があるらしいのだが
↑ 段差を登った左斜面(草が生い茂っている)を探すが分からず。
そのまま北側へ回ると
↑ 本郭の入り口である北虎口に石垣発見。一部崩れているが。
そのまま本郭に入らず北側の桝形虎口へ
本郭へ
小倉城は鉢形城と八王子城の中間に位置し水路・陸路とも、要所を押さえ築かれている。
戦国時代の関東(後北条氏)の城にはめずらしい石垣を用いた連郭式山城である。後北条氏の
重臣であった遠山光影城主とする説と松山城主上田氏とする説がある。
本郭を出て
↑ 本郭(左)と郭2(右)を分かつ堀切
↑ (左)郭2北から南へ 攻城時は休みだったが現在、郭2内の伐採作業中の模様。 (右)郭2南から腰郭を向いて
郭2を出て南側の大堀切へ
白線→尾根 赤丸→大堀切
こちらの堀切はクランク状に形成され、両端が堅堀と連なる。
※ 堀切は尾根伝いに侵攻する敵軍を遅らせるため尾根を分断、つくられた掘。
郭1と2の間も同じ(上記参照)。
↑ 堅堀(上が郭2南・下が郭2西)
↓ 郭4
郭5もあるらしいのだが、行き方が良く分からない。行けるのかどうかも??
撤退・下山
↑ 麓の大福寺
14:00 駐車場に戻り、水分補給と軽食、着替え
14:15 今回、登城というより山登り2本。正直疲れた。
駐車場を引き揚げ、このまま帰路へ。
帰りに撮影。駐車場に続く道はかなり狭い。普通車がやっと通れる程度の幅員。
帰り道、一昨日(5日)に立ち寄ろうとして閉まっていた
農産物直売所が営業してた。駐車場に車が停まっていて
何だか勝手に安心。
17:40 ゆっくり運転で無事帰宅。
走行距離135km
地元で漉(す)いた和紙で出来ています。
そばは秩父産でした(笑) 昨日8日美味しく頂きました。
夏の城巡りはこれでおしまい。残った城はまた
今まで攻城した各地城の中でも今回行った城はタフでした。
(昨年の台風の影響?)
埼玉(武蔵国)おそるべし
5:40 早起きをして早めの出発。
今日最初に巡る予定の城は大築城(おおづくじょう)という現ときがわ町の
山城なのだが、今まで自分が攻城した山城とはちょっと違う・・・らしい。
訪れた方々のネット情報を見ると「登りがキツイ」「2時間歩いた」「敗走」の
文字が。
また「今日はとても暑くなる」というニュースを見たので
午前中の早いうちにクリアしてしまおうと。
行く前から少々不安
8:00 途中コンビニに寄ったり、道を間違えたりで計画より若干遅れて
予定ポイントに着いたが、なんと 通行禁止の看板。
昨年の台風19号被害の為と書いてある。
仕方なく他のルートを探し車で彷徨う。
8:50 ようやく車を降り、登城(登山)開始。5分程歩くと息が上がってきて
たしかにキツイ。また時折、蜘蛛の巣があり、枝を拾い巣を払いながら
登る。途中、道を間違えて引き返したり
看板発見 ↑
ここからの登りが更にキツイ
9:50 出発から休憩数回、ようやく大築城の本郭?に到着
でも山の頂上ってだけで周りは杉・杉・杉
「えー、本当にココなの??」
周りを探索。朽ちて倒れた看板を見つけるが
何も書いてない。(風雨で消えたのか)
歩き回ること約10分
案内板をやっと見つけた。
案内板を頼りに辺りを歩き回ったが、
杉、草が生い茂り、倒木や落ち葉の堆積物等で距離感が掴めず、
↑ 堀切?
スタートの躓き、疲労、思っている方角に遺構がなく軽い遭難感
結局、遺構は「ここなのかな?」程度しか分からず。
せめてモロドノクルワなる郭を見つけようとしたが
何処がそうなのか確信できないまま時間が経過し下山。
何とか無事戻ることは出来た。ホッ
とりあえず到達することは出来たし、安全第一
リベンジする事は多分ないでしょう。花粉シーズンは最強の脅威w
滝汗で濡れた洋服を着替え後、気を取り直して出発
11:20 ときがわ建具会館着
こちらで大築城とこれから向かう小倉城の御城印を入手。
おそばのお土産も購入。工芸品等も販売していた。
11:40 建具会館発
12:00 小倉城跡入口の駐車場に到着。
駐車場の入り口 ↑
こちらは大福寺というお寺の駐車場を提供して頂いてるみたい。
帰りに予定
12:20 車内で昼食を摂り、虫よけ対策して出発。(食事中、車の窓にアブ)
大福寺の境内に入ると案内用のパンフレットと登城時用の杖(枝)があった。
↑ こちらが入口。
道は整備されていて登りやすいが、そこそこ傾斜はある。山だからねw
ヒグラシの大合唱の中、杖を着き突き登っていく。
平坦なスペースに案内板が
上を見上げると
↑ 郭3の石垣 右側は土嚢で補強してある。
今いる平坦スペースは腰郭みたい。上の郭3へ移動
↑ 郭3
腰郭に入る前、登ってきた道へ戻り反対方向へ
ここにも案内板有り。本郭(郭1)の石垣があるらしいのだが
↑ 段差を登った左斜面(草が生い茂っている)を探すが分からず。
そのまま北側へ回ると
↑ 本郭の入り口である北虎口に石垣発見。一部崩れているが。
そのまま本郭に入らず北側の桝形虎口へ
本郭へ
小倉城は鉢形城と八王子城の中間に位置し水路・陸路とも、要所を押さえ築かれている。
戦国時代の関東(後北条氏)の城にはめずらしい石垣を用いた連郭式山城である。後北条氏の
重臣であった遠山光影城主とする説と松山城主上田氏とする説がある。
本郭を出て
↑ 本郭(左)と郭2(右)を分かつ堀切
↑ (左)郭2北から南へ 攻城時は休みだったが現在、郭2内の伐採作業中の模様。 (右)郭2南から腰郭を向いて
郭2を出て南側の大堀切へ
白線→尾根 赤丸→大堀切
こちらの堀切はクランク状に形成され、両端が堅堀と連なる。
※ 堀切は尾根伝いに侵攻する敵軍を遅らせるため尾根を分断、つくられた掘。
郭1と2の間も同じ(上記参照)。
↑ 堅堀(上が郭2南・下が郭2西)
↓ 郭4
郭5もあるらしいのだが、行き方が良く分からない。行けるのかどうかも??
撤退・下山
↑ 麓の大福寺
14:00 駐車場に戻り、水分補給と軽食、着替え
14:15 今回、登城というより山登り2本。正直疲れた。
駐車場を引き揚げ、このまま帰路へ。
帰りに撮影。駐車場に続く道はかなり狭い。普通車がやっと通れる程度の幅員。
帰り道、一昨日(5日)に立ち寄ろうとして閉まっていた
農産物直売所が営業してた。駐車場に車が停まっていて
何だか勝手に安心。
17:40 ゆっくり運転で無事帰宅。
走行距離135km
地元で漉(す)いた和紙で出来ています。
そばは秩父産でした(笑) 昨日8日美味しく頂きました。
夏の城巡りはこれでおしまい。残った城はまた
今まで攻城した各地城の中でも今回行った城はタフでした。
(昨年の台風の影響?)
埼玉(武蔵国)おそるべし