天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

8・8

2019-08-08 16:54:08 | 日記
 今日が立秋というのは違和感がある制定やな。しかし、知らず知らずに日が段々短くなっており、そのうち夕方6時前に辺りが暗くなり始めると、秋の物悲しさが襲ってくる。暑い暑いエネルギーが抜け殻となる前に十分吸っておいて、暗い寒さに備えて置かにゃならん。半夏生にタコを食うなんて言うてたのに、8月8日がタコの日とは!コメディアンのたこ八郎さんの命日でもなさそうや。8本足だから、では詰まらな過ぎる。
 きょうは何の日か見てみたら、8・8の語呂由来から図形由来までいっぱい出てくる。語呂ではパパの日、おばあさんの日、親孝行の日、笑いの日、パチンコの日とか。図形ではデブの日、算盤の日、瓢箪の日に、ひげの日(漢字)も。何と、世界猫の日でもある。8・8が猫の目に見えないこともない。語呂的には日本語で鳴けば2月22日も猫の日であった。
 余計なことに、また先立たれた愛猫を思い出してしまう。うちは猫のためにエアコンを回すなんて気を利かせなかったので、この頃は遺影に向かって、天国は涼しうてエエやろ、と声を掛けている。隣町の娘が夏休みの家族旅行の際に、犬を預かってと頼んでいたのに、そういう事情を思い出したのか、やっぱり要らないわと言ってきた。そもそも、動物を飼う資格がなかったのかなあ。「愛犬の 耳斬りてみぬ あはれこれも 物に倦みたる 心にかあらむ」(石川啄木・「我を愛する歌」)よりは、マシやと思うけど。ミャー太の在りし日に、私の顔をまじまじと見る目に、信愛の情が無かったこともなかった気がする。「腕くみて このごろ思ふ 大いなる 敵目の前に 躍り出でよと」(同)。
 「ほたる狩 川にゆかむと いふ我を 山路にさそふ 人にてありき」、「己が名を ほのかに呼びて 涙せし 十四の春に かへる術なし」、「意地悪の 大工の子なども かなしかり 戦に出でしが 生きてかへらず」、「ふと思ふ ふるさとにゐて 日毎聴きし 雀の鳴くを 三年聴かざり」 (石川啄木・「煙」)。
 夏の甲子園高校野球は、履正社が昨日の試合で5本もホームランを打つなど、いよいよ佳境に入り、郷里の代表校も奮戦しているけれど、下関商の池永正明投手や、東邦のバンビ君(坂本佳一投手)の時のような熱が全く入らなくなった。老化ですべてのことに興味が希薄になっているうえ、大船渡の佐々木を投げさせるべきだったのどうの小便臭い議論を、大の大人が頭から湯気を上げて喚いていることに白けてしまった。野球をする人間がこんなに知的レベルが低いとは思いもしなかった。ワシらの頃はスポーツと言えば野球で、アホが大半やったけれど、見所のある奴もそこそこは居たのに、劣化ぶりが酷いな。人気の集まるところに金も集まり、高野連のような組織が利権化し、商売道具にしてしもてる。アマチュアの野球人口が激減しているそうやけれど、もう役割も終わってしもてるから、衰退してもええわ。

里出づや 身過ぎ世過ぎに かまければ
昔を今に 戻す術無し





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