天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

楽聖

2020-06-17 21:52:08 | 日記

 藤井聡太七段のように次から次に妙手が沸くはずもなく、自粛生活に手詰まり感が濃くなり、投了寸前である。何十年来、朝7時のニュースはNHKラジオであったけれど、素材の取捨選択面から政府広報臭と官邸ヨイショ感が胸に詰まって息苦しく感じられるようになり、ダイヤルを回すと、954TBSもニュース報道していることに気付き、ここ2週間はこちらのお世話になり、コロナのお陰で生活習慣が変わった。
 でも、テレビはどこも我慢できないので、『家について行ってイイですか?』以外はほぼ見ない。苦肉の策で、教育放送の高校講座を気が向いたら録画する。日本史、世界史に化学、物理もテーマによってたまに録る。きょうは日本史平安時代中期の武士の勃興を見た。乱を起こした平将門は首塚で少し名を知っていたけれど、それを討伐した朝廷軍の大将が平貞盛で、二人はいとこ同士だったと教えてもらい、大変、為になった。しかし、視聴率を意識してか、ゲストを招いてやり取りするのはどうもまどろっこしくて、付いて行き難い。そんな質問形式でやるなら、ハッシュタグで視聴者質問を受け付け、即答してくれればいいけれど、そんな才能の講師は見付からないだろう。従兄弟同士で平氏が平氏をやっつけた話に感じ入っていると、若い女性ゲストがへぇー、へぇーと2度も感嘆していたのには困惑した。吉本芸人ではなかったから、笑いを取ろうとしているわけでもなさそうだったけれど、何か微妙な後味が残った。
 平家と言えば琵琶法師。散歩の道々に橙の色鮮やかな枇杷の実が盛りとなっているのが、この頃は目に付くようになった。
 プライムビデオの無料映画も物色に手詰まり感が出てきたけれど、クラシック音楽も同時に楽しめる映画の掘り出し物を見付けた。『楽聖ショパン』と題し、1945年製作のアメリカ映画であった。音が悪かったけれど、もともと耳が良くないのでそんなに気にならなかった。ポロネーズやノクターンを若きピアニストから生で聞かせてもらった日々が蘇った。
 ロシアなど列国の蹂躙を受けていたポーランドで宮廷の食事会に呼ばれ、演奏していたショパンは敵国貴族が着席すると、「人殺しの前ではピアノを弾けない」と癇癪を起して、叫び声をあげた。恥をかかせた仕返しによる身の危険が迫り、仲間たちに勧められ、都ワルシャワを舟で脱出し、パリに赴くことになった。その別れの際に、恋人のコンスタンチアからこの土地を忘れないでと、川原の砂をひと掴みして袋に入れて渡された。
 パリではフランツ・リスト、ああ、知り合いが弾いてくれた『エステ荘の噴水』が今も耳に残る、に紹介され、男装の女流作家ジョルジュ・サンドと出会う。2人はマジョルカ島などで同棲し、ショパンは作曲に専念する。しかしその間、祖国ポーランド情勢はますます悪化し、コンスタンチアらポーランド人レジスタンス勢力が、資金面でショパンの助力を求めてやってくる。当初は人前で演奏する時間を惜しんだショパンは、欧州各国に演奏会旅行をして活動資金をねん出することに消極的であった。
 しかし、コンスタンチアが渡した砂袋によって心が翻り、祖国愛に火が着いた。病弱の命を削ってウイーン、ベルリン、ロンドンなどヨーロッパ主要都市の演奏会に出かけ、無理が祟って39歳の若さで世を去った。
 私はここで、この映画に隠された洒落に感動した。ショパン役のコーネル・ワイルドがアカデミー賞主演男優賞候補にもなったこの名作の監督チャールズ・ヴィダー氏が聞いたら、目を剥いて怒り出すだろうけれど、究極の決断を迫られたショパンが、自分の才能を見出してくれた大事な愛人のジョルジュ・「サンド」よりも、元恋人が祖国の同志の契りとして渡した布袋の「サンド」の方を、命を賭して選んだところがこの映画のミソだと解釈した。その究極の選択によって、ショパンが単なる夭折の天才作曲家としてだけでなく、民族普遍の心の作曲家として永遠不朽の名を歴史に残すことになった。

一握の
砂を啄木
忘らえず
祖国を偲び
ポロネーズ弾く










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