「マイハート」・山本以文

パリ外国宣教者会のジェルマン・レジェ・テストウィード神父の足跡をたどる記録

パリ外国宣教者会の日本布教の始まり

2009-11-20 18:51:01 | 日記
当初、司祭のみの宣教活動も、その後神学生も受け入れている。キリスト教は、布教活動の中で、世界の各国で激しい弾圧などを受けており、殉教者の数は凡そ合わせると4000万人といわれている。イエズス会やフランシスコ会と並んで、パリ外国宣教会も多くの殉教者を出している。
キリスタン禁制の高札撤去後は、来日する宣教師の数も増え、信徒の数も急増した。それに伴い、1876年に日本の教会は、南日本と北日本に二分された。
このように日本の近代のカトリック信仰は、江戸幕末から明治時代にかけて来日した「パリ外国宣教会」の司祭たちの影響も受けていた。
今も残る古い教会の多数の中に、パリ外国宣教会から派遣された司祭たちが建築した教会が残っている。例えば、函館のカトリック元町教会は、1859年にカション神父が建てたものである。
また、長崎の大浦天主堂や山形の鶴岡教会などもあげられる。パリ外国宣教会は、地方の片田舎や小都市に布教活動の主軸を置いていたことがうかがえる。
      函館・元町教会
http://ord.yahoo.co.jp/o/image/RV=1/RE参照

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1 コメント

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教えてください (江里口哲司)
2012-12-17 00:28:44
はじめまして。
愛知県在住の聾の江里口哲司です。
インターネットでここを知りました。
年末年始に上海市聾唖青年技術学校へ見学したいので差し支えなければ住所と連絡先を教えてください。
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