「マイハート」・山本以文

パリ外国宣教者会のジェルマン・レジェ・テストウィード神父の足跡をたどる記録

町田から小田原までの宣教の旅は失敗に終えた

2010-05-10 16:47:37 | 日記

「厚木には一人もキリスト教徒がいない…」とテストウィート神父が記述している。厚木は当時、小さな農村だった。カトリック信者のいる小田原教会まで30㎞の道のりの途上だった。宣教活動もなかなか前に進まない難しい土地柄だったと思われる小田急線本厚木駅から徒歩5分の所の厚木市旭町に蒲鉾型のような長細い教会がある。シンプルな構造の建物で、1970年の設立とある。信者数は今でこそ1700人とあるが、嘗て明治時代は0に近い地域だったようだ。同じ小田急線の秦野教会も1970年代の設立なので、テストウィート神父が記述しているように町田から小田原にかけての宣教の旅は厳しい旅になったと思われる。それでも歴史書のよるとロシア正教やプロテスタントの教会や信者は少しは存在したと記録されている。カトリックにとっては、東京や静岡のように洗礼者が増えた地域もあれば、神奈川西部では実質的に撤退せざるをえない地域もあったようで、テストウィート神父は、町田から小田原までの旅を7淡々と続けている。


塩の道は宣教の道のり 横浜から東京西部へ

2010-05-01 12:00:00 | 日記
 
明治の初め、カトリックの修道士や司祭が辿った横浜から八王子の道程は塩の道とも絹の道ともいえる。

横浜の金沢文庫のあたりは、当時(明治初年)一帯は浅瀬の海だった。
 今では、海岸線が京急線の手前まで来ているが、これは明治以降の埋め立てによるものである。
当時、京急線を越えて内陸深くまで海岸線が入り込み、白砂の浜辺がひろがっている写真や絵が残っている。

金沢文庫一帯の海から取れた良質の塩(天日干し)は、現在の京急金沢文庫駅周辺の倉庫より、旧16号線をたどるようにして、町田、八王子方面に出荷されていた。
当時、小さな村や畑が点在する自然豊かな遊歩道のような道だったと推測される。


金沢文庫のマンホールの蓋には、その当時の浮世絵が描かれている。
金沢文庫の海岸線は、平潟湾と呼ばれる入り江を包むように展開している。
小さな出島があり、風景とマッチした江戸初期からの染王寺が建立されている。
八百万の神を祭る真言宗の寺である。
この平潟湾沿いには、鎌倉後期からの由緒ある名刹がみられる。さて、この平潟湾は、塩を生産する最良の土地柄だったようである。
横浜の金沢から塩や海産物などを運ぶのに使われた「金沢道」の始発点にあたる。
 「金沢道」は、金沢八景から、境川に架かる「金沢橋」を渡り、「八王子街道、今は滝山街道と名称の国道467号と並行し、また合流していく。
さらに直進して、16号線を上ると、町田市の西側、相模原市の東側を通り抜けていく。
東名高速道路の町田・横浜インターチェンジがその中央に位置する。
16号線は関東の重要な幹線道路となっているが、明治の初めは山間部を抜ける山道のよう
に寂し気な道だったと推測できる。
町田は、南多摩の拠点都市で、都下二番目の人口50万人を集約する町である。
ここには、カトリック町田教会が存在している。