一人神様を思い、時を過ごし、無心になれる居心地の良い聖堂が明石町にあった。無心の時間を少し過ごすことで一日の心のありようを整えてくれた。日常の中でこの時間が取れないときは苛立ち時に心底にストレスとして抱えることがあった。聖堂にただただ座り静かに祈る。そのひと時が自分に立ち返らせてくれた。
テストヴイード神父が横浜から東京西部かけて宣教の旅を続けているとき、パリ外国宣教者会の別のグループは東京に向かい築地、神田を拠点に宣教の輪を広げていた。築地教会はパリ外国宣教者会の開拓伝道の拠点になった。
都内一等地にある閑静な住宅街とビジネス街。目前の小学校を囲む街路樹と対照的に園庭に木々が植えられたシンメトリーな外観の築地教会が一際聖地のような雰囲気を醸し出していた。創立者パリ
ミッションの個性が光るベージュの壁と古代の神殿風の建物の四方から入る自然光が開放的な空間をもたらしていた。明治の産業革新とともにキリスト教の宣教活動は日本各地に広がったという。
1874年創立の築地教会は今も築地の地にあって礼拝に使われていた。由緒ある教会の変遷を辿りながら長い時を刻んできた聖堂の「ストーリー」を改めて伝えたいと思った。
聖堂入り口の右側の小部屋に資料館が併設していた。江戸時代の殉教の歴史資料から蟻の町のマリアなど写真や遺物が展示されていた。築地教会は東京で最初に建てられた教会で、1874年、和暦明治7年にパリ外国宣教者会が築地(正確には中央区明石町)の地に仮聖堂を献堂した。
1877年には司教座と定められた。1923年の関東大震災で焼失。1927年ギリシア神殿風の現聖堂を竣工した。