富裕な大農家で、カトリック教会への多大な寄付者として歴史に残している。JR五日市駅を下車して檜原方面を徒歩15分。平日のためか、街道沿いは、高度経済成長期の活力はなく、商店街はシャッターを閉め、閑散とした雰囲気だった。
檜原街道沿いに内山安兵衛の屋敷跡を見ながら、市の名刹阿伎留神社を通り過ぎ、その先の住宅地の中の一角に、内山一族の墓があった。
八王子で精力的に宣教活動をしていたテストウィット神父は、やはり自由民権の運動家で、洗礼を受けていた山上卓樹を通して安兵衛と知り合い、洗礼を授けている。
山上卓樹も安兵衛も、平等で差別のない思想であるキリスト教にふれ、宣教者たちによる教会の建築や西多摩から埼玉への布教の良き協力者となっている。
安兵衛の墓は、秋川を見下ろす丘陵部にあった。管理をしているのは、五日市憲法の研究者たちの集まりだった。
墓石の上に、真鍮の十字架、それがやや斜めに向いて、キリスト教と出会った八王子を指している。
それは、キリスト教やテストウィット神父への敬愛が感じられる。
一族の墓碑が、安兵衛夫妻の墓石を囲むように連なっていた。住宅地のなかにあるキリスト教の墓地、
案内してくれた五日市の信者さんによると、昔は、墓地ももっと美しく整地されていて、この丘陵部では目に付く雰囲気だったと話してくれた。
墓碑には、「聖名パウロ」と刻まれていた。
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