モンマルトルが好き J'♡ Montmartre.

パリのモンマルトル、絵描きたちの日常などを綴ります。
Blog en japonais sur Montmartre.

エルザの冒険旅行(4/4)

2020-09-12 17:15:55 | 

《エルザの冒険旅行》 (『ジロー先生の獣医日誌(仮)』より)

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(4/4)

 

 私は何段もひとまたぎにして、すっ飛んでいった。そこに、玄関マットの上に、廊下の暗がりの中に、丸くなって、自宅のドアの前で心安らかな眠りに沈んでいるのは! エルザ! エルザは、帰っていたのだ!

 エルザは快挙をなしとげたのだ。私はこの目を疑った。明白な事実を前にして、肩から超重量の荷物が落ちるのと同時に、不信感が倍にもりあがった。エルザはやってのけた。とても信じられない、超人的なことだ。それはまるで、私が単独で、サンダルでもつっかけて、濃霧のヒマラヤにでも登ったようなものなのだ……。

 

 再会と抱擁と涙のあと、ジャック夫人は感激にあえぎながらも私を気遣って、スコッチでも飲んで落ち着いていってくださいと、中へ招き入れてくれた。

 最悪のことを考えていたときに、あまりに親切にされてどぎまぎしながら、私は彼女の部屋へ案内された。エルザはまっすぐに自分の籠の中に入って寝てしまった。

 安心したジャック夫人は、手術はできたのですかときいた。私は、それはうまくいきました、エルザは半分眠ったままでここまでたどり着いたのですと答えた。

 ジャック夫人はすると、無言で私を見つめ、しばらく考えてから、重々しい口ぶりでこう続けた。

「先生、これは何かのしるしですよ。きっとそうです。何かの預言です。でなければ不可能です。肝に銘じておかなくてはなりません。案内されずにどうしてこんなことができましょう。エルザは私たちに何かを伝えているのです。誰かが、エルザを通して私たちに何かを訴えているのです。これはメッセージです」

 この珍しい論説に唖然として、グラスから目を上げたとき、私は自分がカウンセラーの相談室にいることに気がついた。テーブルの上にはタロットカードが積まれ、水晶玉が背景を鮮やかな曲線に凝縮している。おだやかな雰囲気は均衡に満ち満ちていた。すべてが、エルザのイニシエーションの旅と同じく、ふいに超現実的で不可思議になった。

 ジャック夫人は、占い師だったのだ。彼女の疑問も、深い当惑も、納得がいく。

 エルザの脱走は、私の課題となったあとで、最も予期しない形で、ジャック夫人の課題となった。私には何の役割もなかったのだ。違う世界からやって来た者が、もってこいの機会を選んで、エルザを医院の外に不思議な力をもっていざなったのだ。そして意味深い旅をさせた。その意味はまだ解明されてはいなかった。

 残念ながら、この世の人間に霊界からどんなメッセージが送られてきたのかを、私はついに知ることはなかった。タロットカードも水晶玉も、教えてはくれなかった。エルザの訴え方が強すぎたのにちがいない。しかし、生ける者たちに関しては、このとてつもない冒険旅行は、長い年月を超えて続く、ひとつの厚い友情のきっかけとなった。親愛なるすてきなジャック夫人!

 エルザの傷は癒着して、ジャック夫人は自分の時空旅行を再開した。エルザが本当に消えてしまう日まで。こうして、すべての扉は永遠に閉ざされた。英雄も死ぬ。そして彼らの偉業が、伝説となって語り継がれるのだ。

 

 みなさんもパリの街を歩くことがあるかもしれない。小さな物語、大きな事件の証人であるこの庶民的な界隈、世界中の人々がパリジャンになるために落ち合う型破りな界隈、ひとつ通りを渡るだけで、カラチからイスタンブール、北京からサマルカンドへと、一万キロの旅ができるこの界隈を、もしもぶらつくことがあれば、よく見ていただきたい。パリを見るべき目、もちろん心の目で。

 歩道のアスファルトを見てください。四つの小さな足跡が見えるでしょう。そしてまた四つの足跡が、そしてまた、ずっと、ずっと……。それは、エルザの足跡です。それをたどれば愛に出会えるのだと、伝説は語っています……。

 

(終)

 

著者/クリスチアン・ジロー

翻訳/大串 久美子

装画/ジル・ベロディエ

 

(K)


エルザの冒険旅行(3/4)

2020-09-11 16:14:12 | 

《エルザの冒険旅行》 (『ジロー先生の獣医日誌(仮)』より)

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(3/4)

 

 そして三つ目の地獄圏、ストラスブール大通りに出た。ここのスペクタクルは見事なものだ。眺めといい、騒音といい、においといい、みんな揃っている。毎日がパリ=ダカ・ラリーだ。スタートはシャトレ広場、ゴールは東駅。自家用車だろうが、トラックだろうが、オートバイだろうが、はじめに次の信号まで来た者が勝つ。もしもうまいこと全部青信号で通過することができれば、至上の名誉。右にオーレッ、左にオーレッ、こうなるともう悪魔のコリーダといおうか、パンプロナの狂乱の縁日といおうかだ……。これはきまって、血の海にレスキュー警察隊の明るい栗色の毛布がかぶせられて幕が下りることになっている。市長殿、お願いでございます、減速帯を敷いてください! エルザのことを考える。あのちっぽけな黒い玉ころ……。まだ死体には出くわさない。それによって逆に私の中で、自分が間違っていた、賭けはやはり無謀だった、エルザは家に帰ってはいない、という考えが強くなってくるのだった。

 恐怖は一歩ごとに、一呼吸ごとに、膨れ上がってくる。もう死体を見つけていていいはずだ。百メートル先には、四つ目の地獄圏が待っている。フォーブール・サン・ドニ通り、サン・マルタン通りのカラー版複製だ。車道を埋めつくす車のほかに、狭い歩道にあふれかえる色鮮やかな人の群れ……。脚、買い物かご、杖、手押し車、道路標識、それにありとあらゆるもののにおいまでが錯綜している。ケバブ、魚、シナモン、サフラン……。これらのにおいが、この通りにイスタンブールのバザールを装わせている。ここではセッターもウズラを逃がしてしまうだろうし、ポインターだってイノシシを見失うだろう。あのかわいそうな牝犬が、年寄りの盲犬が、麻酔でぼけているちっぽけな黒い玉ころが、いったいどうやってここまでたどり着けるというのだ。私は貴重な時間を無駄にしている気がして、この道筋を打ち切りにしたくなったが、そこで牛のような力に動かされて、そのまま続ける決心をしたのだった。

 エルザが正しい歩道を選んだとすれば、パラディ通りを渡ることは避けられたはずだ。食器屋の並ぶこの通りは、狭いのにセミトレーラーが何台も入り込んできて、皿やクリスタルグラスを荷下ろしする。梱包用のわらくずが地面にまき散らされていた。まだ死体には出くわさない……。

 次はオートヴィル通り……。ここにも死体はない。ここまで来てしまうと、私の間違いは確実と思った。エルザは完全に姿を消した。神様だけが知る場所へ。

 私は息も絶え絶えだった。もうちょっと、あと一本道を渡ってみよう。右へ折れた。もう何も信じられない。エルザの家の前に着いていた。扉は緑色で、かわいらしく、ペンキを塗り直したばかりで、暗証コード番号がないと開かない。誰もいない。私はこんなにも閉ざされた扉を、かつて見たことはなかった。

 なす術もなく、汗だくになって、空っぽになって、この閉ざされた扉の前に呆然としていた。もう何事もできる力は残っていなかった。

 と、そのとき、ジャック夫人がやってくるのが見えた。買い物から帰ったところで、袋を下げている。私は声をかけた。獣医服を着ていないので、彼女には誰だか分からない。疑わしそうにじっと私の顔を見て、考えこんだ。やがてその瞳が恐怖の色に染まった。そして口を開き、声に出した。

「どうなさったんです、先生。おおお、エルザに何かあったんですね!」

 私は悲しき現実を白状した。ほかにしようはなかった。エルザが逃げて、死にもの狂いで探している。家に帰ったかもしれないと思った……。

「ああ、先生! それはありえません。あちらの方向には行かないんです。年に一度、ワクチン接種に先生のところにうかがうだけで、エルザは道を知りません。そんなことありえません!」

 ひっくり返りそうになりながらも、ジャック夫人は私に家に上がるように勧めてくれた。絶望に打ちひしがれて、のしかかる沈黙を背負いながら、私たちは四階まで階段をのぼっていった。彼女が鍵穴に鍵を差し込もうとしていたときだった。

「あああああ! こんなことって、こんなことって! あああ、先生! 先生……、ごらんください、ここに、玄関マットに!」

 

(次回に続く)

 

著者/クリスチアン・ジロー

翻訳/大串 久美子

装画/エミ―・ファソリス

 

(K)

 

 

 


エルザの冒険旅行(2/4)

2020-09-10 13:06:19 | 

《エルザの冒険旅行》 (『ジロー先生の獣医日誌(仮)』より)

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(2/4)

 

 最初のうちはすっかり気が動転していて、前向きな考えなどとてもできなかった。半分麻酔のかかった年とった牝犬が、しかも目も見えないまま、どうやって安全装置のついている籠を開けることができたのか。診察室につながるはじめのドアをどうやって開けることができたのか。私に見られずに診察室を横切ったというのか。二つ目のドアを開けて待合室に入り、何人も待っている客のうち誰一人の目にもとまらなかったというのか。

 そして自動ロックの三つ目のドアを、誰かが押さなければ開かないものを、その誰かの足の間をこっそりくぐりぬけて、外へ出ていったと? 分からない! まったくの、理不尽な謎だ。途方もない偶然の一致が重なったとしか説明のしようがない。十億万分の一の確率で起こることが、起こったのだ! 逆証が出ないかぎりは幽霊だけが壁を通りぬけることになっているが、事実が、避けて通れない事実が、ここにある。十五年経った今も、謎はまったくの謎である。答えらしい答えは出ていない……。

 

 私はこのめくるめく堂々巡りをやめて、作戦をひねって行動を開始することにした。あの状態ではそう遠くへは行っていないことはたしかだ。通用門の隅か、隣の中庭にでも隠れているだろう。管理人のおばさんにも手伝ってもらって、建物中を探した。その間に看護婦はブロックを一周してきた。……いない。痕跡さえ何もない。

 情勢はどんどん深く不条理にのめり込んでいく。惨事は悪夢になってきた。私は界隈の階段という階段を上った。どこの管理人にもきいてみた。通行人にもきいてみた。……手がかりひとつつかめなかった。一時間無為な捜索を続けると、エルザの完全消失を認めないわけにはいかなかった。

 悲劇はものの道理なぞおしのけて、あの犬にとって、私の客にとって、私にとって、たしかだった。もう救いようはない。逃れようはない。身代金ほしさに誘拐されたのでもなければ――友人の老犬にそんなことが起こったことがあった――、もはや生きたエルザを見ることはないだろう。私は運命の泥沼に首まではまって、破局の苦汁をなめていた。

 

 医院の前の歩道に立ちつくしたまま、私の考えはそこまできていた。そこまできたとき、まったく突拍子もないことが頭に浮かんだ。エルザは家に帰ったのだ。そんなことはありえなかった、物理的に不可能だったが、こんな非現実的な解答を想像して希望を抱いてみる以外、頼るよすがもないのだった。

 もしも、気ちがいじみた話だがもしも、エルザが家に帰ろうと〈決心した〉としても、道のりはとても複雑で、とても危険で、天使に導かれたってたどり着きっこないだろう。家までの間に、エルザの手には負えない大障害物をいくつも乗り越えなくてはならない。ほんのちょっとのミスも死に等しい正真正銘の地獄圏を、次々と踏破しなくてはならないのだ。

 それでも私は、いくつも考えられる道順のうち、いちばん短いのをたどってみることにした。どちらにしたってエルザの死体に出会うことが精一杯だろうと、絶望的に決めつけてはいたが、信じようとする心だけが、すっかり失認症におちいっていた私を前へと押し出していた。

 さあ、私は一歩を踏み出した。医院の正面に、すでに死の影がある。巨大な一直線の大通り。信号機以外のところでは、命をはらずに向こう側に渡ることは不可能だ。車道三百メートルの区間で、私の知っているだけで二十年間に歩行者十人の死亡事故があった。通りの名前を変えるべきだろう。〈虐殺遊戯大通り〉とか。私はエルザがまっすぐに渡っていったと想像する。頭を下げて、頼りない足どりで、荒れ狂う鉄の殺害器の波の中に、ぽつんと、小さな黒い玉ころ……。奇跡だけが頼りだ! 側溝を見る。何もない。毛の玉ころも、何かの死骸も、血も、見当たらない……。最初の地獄圏は通過した。探索を続ける。

 小さな通りを横切って、二つ目の地獄圏、まっすぐ東駅に向かうフォーブール・サン・マルタン通りにぶつかった。自家用車、バス、スクーター、全速力のオートバイが、漏斗に流されるみたいになだれ込んでいく。二重駐車してある〈配達中〉をジグザグにかわしながら、歩道にまで乗り上げながら。完全な無秩序。歩行者も犬も完全に無視。私の犬の一匹が、紐につながれたまま殺されたことがあった。エルザのことを考える。あのちっぽけな黒い玉ころ……。まだ死体には出会わない。

 続行する。駆け足で、できるだけ速く。もっと速く。こちらで誰かの肩にぶつかり、あちらでガードにつないである自転車に足をひっかけながら。前を見る、右を見る、左を見る。見落としたかもしれないのでときどき後ろも見る。あちこち見渡す。スパニエル犬の鼻があれば、コウモリの耳を持っていたら……。

 

(次回に続く)

 

著者/クリスチアン・ジロー

翻訳/大串 久美子

装画/ジル・ベロディエ

 

(K)

 

 


エルザの冒険旅行(1/4)

2020-09-09 16:32:48 | 

《エルザの冒険旅行》 (『ジロー先生の獣医日誌(仮)』より)

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(1/4)

 

 ある春の朝、診察室のドアを開けると、彼女がそこにいた。

「ああ、先生!」

 と、椅子から難儀そうに立ち上がりながら、彼女は言った。

「お待ちしてたんです。看護婦さんは信用していますけど、エルザを直接先生におあずけしたかったんです。あの、とても心配なんです。この子はもう年寄りです。麻酔も絶対に大丈夫ですって、保証してくださいな。心音を聞きましたでしょう。この子は心臓が悪いんです。もしもちょっとでも危険があるのでしたら、やめにしてくださいね」

 ジャック夫人は一時間も前から待っていた。十三歳になる小さな黒い牝のプードルを膝にのせて、ストレスを和らげるために私のアシスタントとおしゃべりしながら。エルザのまぶたにできた良性の腫瘍を切除することになっていた。何の危険もない、よくある手術だ。

 ジャック夫人は年のいった太った人で、不自由そうに歩いた。ずいぶん前から腰が悪いらしい。だが魅力的に見せる意欲を失ってはいなかった。派手な色を上品に着こなし、化粧にも凝っていた。全身から光のようなものを発している感じで、甲高くわずかに鼻にかかった声は、頭のいい活発な女性の決断力を手にとれるように伝えてきた。彼女は心理学者と名乗っていた。

 その彼女の目に入れても痛くないという宝物を受けとると、私は儀式のように掲げ持って準備室へ運んでいった。大丈夫、うまくいきますよ、でもご心配でしょうから、手術が終わりしだい電話でお知らせしますよと請け負った。心から感謝しますと言い、彼女はなかば落ち着いて、難儀そうに大通りに消えていった。

 手術は、これ以上はないというくらいうまくいった。ゾンデやら何やらの器具から解放されたエルザは、目が覚めないうちに快適な籠に移され、籠の扉はきっちり閉められた。

 一件落着、私は大騒ぎで、待っているほかの患者たちの診察にとりかかった。

 すべて順調にいっていた。診察の真最中に、看護婦が青くなって飛び込んでくるまでは。

「先生、先生、ジャック夫人のワンちゃんが……」

 看護婦の顔を見ると、大惨事と書いてある。私はとっさに、覚醒時の事故を思った。

「どうした? 何かあったのか!」

「いないんです!」

 私はほっと胸をなで下ろし、少し休むといいよ、疲労のせいで見えるものも見えないんだよと、半分冗談で、半分本気で忠告した。

「本当ですったら、先生、ワンちゃんはいません!」

 彼女は力いっぱい主張する。私は、籠を間違えたのだよ、もう一度見てきてごらんと言った。彼女は走って飛び出していき、もっと息をはずませて戻ってきた。

「先生……、ワンちゃんはいません、本当です、夢じゃありません!」

 途中で邪魔をされて不機嫌になった客を待たせて、私は犬舎のほうへ歩きだした。こんな馬鹿らしくて悪趣味な茶番劇は、さっさと幕を閉じてやらないといけない。

 籠の前にくると、扉が開いていて、中は絶望的に空っぽだった。閉め方が悪かったのにちがいない。でもどちらにしたってエルザはそのへんにいるはずだ。見つかりにくい端っこのほうで、眠っているのだろう。そういうふうに、動物は不安になって隠れるものだ。看護婦にちょっと探してくれるように頼んで、いささか苛立って任務に戻った。

 三十分後、看護婦の捜索は成果なしと判明。私も敷地内の徹底捜査にのり出した。絶対にいるはずなのだ。エルザのあの状態では、ここ以外のどこかに行けるはずはない。そう思って、ひと部屋ひと部屋、中庭も地下室も探したが、どこにも見あたらなかった。

 不安がつのってくると同時に、わけが分からなくなってきた。探せば探すほど、分からない。不安がやがて恐怖に変わった。そして不条理のきわみ、否定できない診断が下りた。エルザは本当にいなくなった。本当に逃げ出したのだ。論理は踏みにじられ、現実は相対的なものになっていた……。

 

(次回に続く)

 

著者/クリスチアン・ジロー

翻訳/大串 久美子

装画/エミ―・ファソリス

 

(K)

 

 


【予告編】モンマルトルの獣医さん(の本)

2020-09-07 18:27:03 | 

友人に、モンマルトルに住んでいる獣医さんがいます。正確には、元獣医さんで、現在は退職しているのですが。獣医院も、モンマルトルではなく、レピュブリック広場(第10区)の近くでした。

でも住んでいるのは長いことモンマルトルで、アートと動物と人間が大好きなムッシューです。その先生が、20年以上前に出版した本があります。

『Les bêtes et nous(動物と人間)』というタイトル。獣医としての経験、そしてそこから考えた、人間の心についての本……。面白いんですよ。

カバーもなんだか哲学的(?)です。

「日本の人が読んでもいいのでは?」と提案されたことがありました。ここに、ちょっと翻訳を載せてみようと思います。ほんの一遍だけ。次回の投稿から、《エルザの冒険旅行》という章を4回の連載でいこうと思います(エルザはここでは犬の名前です)。本のタイトルは少し気を利かせて『ジロー先生の獣医日誌(仮)』としましょう。そうそう、先生の名前がクリスチアン・ジロー、といいます。

モンマルトルの絵描きの作品を添えれば、おお、いい感じかも!

日本では出版されていません。ここだけです。お楽しみに!

上は、19世紀末、ジャン・カイユ作の「現代の人間」というタイトルの絵。モンマルトルに住んでいた、猫キチのスタンランという絵描きを描いています。スタンランのアトリエは、その名も「猫屋敷」と呼ばれていました。

小さな公園にスタンランの石像があります。

モンマルトル、今も昔も、犬も猫も多いです。

(K)