モンマルトルが好き J'♡ Montmartre.

パリのモンマルトル、絵描きたちの日常などを綴ります。
Blog en japonais sur Montmartre.

エルザの冒険旅行(3/4)

2020-09-11 16:14:12 | 

《エルザの冒険旅行》 (『ジロー先生の獣医日誌(仮)』より)

**********

(3/4)

 

 そして三つ目の地獄圏、ストラスブール大通りに出た。ここのスペクタクルは見事なものだ。眺めといい、騒音といい、においといい、みんな揃っている。毎日がパリ=ダカ・ラリーだ。スタートはシャトレ広場、ゴールは東駅。自家用車だろうが、トラックだろうが、オートバイだろうが、はじめに次の信号まで来た者が勝つ。もしもうまいこと全部青信号で通過することができれば、至上の名誉。右にオーレッ、左にオーレッ、こうなるともう悪魔のコリーダといおうか、パンプロナの狂乱の縁日といおうかだ……。これはきまって、血の海にレスキュー警察隊の明るい栗色の毛布がかぶせられて幕が下りることになっている。市長殿、お願いでございます、減速帯を敷いてください! エルザのことを考える。あのちっぽけな黒い玉ころ……。まだ死体には出くわさない。それによって逆に私の中で、自分が間違っていた、賭けはやはり無謀だった、エルザは家に帰ってはいない、という考えが強くなってくるのだった。

 恐怖は一歩ごとに、一呼吸ごとに、膨れ上がってくる。もう死体を見つけていていいはずだ。百メートル先には、四つ目の地獄圏が待っている。フォーブール・サン・ドニ通り、サン・マルタン通りのカラー版複製だ。車道を埋めつくす車のほかに、狭い歩道にあふれかえる色鮮やかな人の群れ……。脚、買い物かご、杖、手押し車、道路標識、それにありとあらゆるもののにおいまでが錯綜している。ケバブ、魚、シナモン、サフラン……。これらのにおいが、この通りにイスタンブールのバザールを装わせている。ここではセッターもウズラを逃がしてしまうだろうし、ポインターだってイノシシを見失うだろう。あのかわいそうな牝犬が、年寄りの盲犬が、麻酔でぼけているちっぽけな黒い玉ころが、いったいどうやってここまでたどり着けるというのだ。私は貴重な時間を無駄にしている気がして、この道筋を打ち切りにしたくなったが、そこで牛のような力に動かされて、そのまま続ける決心をしたのだった。

 エルザが正しい歩道を選んだとすれば、パラディ通りを渡ることは避けられたはずだ。食器屋の並ぶこの通りは、狭いのにセミトレーラーが何台も入り込んできて、皿やクリスタルグラスを荷下ろしする。梱包用のわらくずが地面にまき散らされていた。まだ死体には出くわさない……。

 次はオートヴィル通り……。ここにも死体はない。ここまで来てしまうと、私の間違いは確実と思った。エルザは完全に姿を消した。神様だけが知る場所へ。

 私は息も絶え絶えだった。もうちょっと、あと一本道を渡ってみよう。右へ折れた。もう何も信じられない。エルザの家の前に着いていた。扉は緑色で、かわいらしく、ペンキを塗り直したばかりで、暗証コード番号がないと開かない。誰もいない。私はこんなにも閉ざされた扉を、かつて見たことはなかった。

 なす術もなく、汗だくになって、空っぽになって、この閉ざされた扉の前に呆然としていた。もう何事もできる力は残っていなかった。

 と、そのとき、ジャック夫人がやってくるのが見えた。買い物から帰ったところで、袋を下げている。私は声をかけた。獣医服を着ていないので、彼女には誰だか分からない。疑わしそうにじっと私の顔を見て、考えこんだ。やがてその瞳が恐怖の色に染まった。そして口を開き、声に出した。

「どうなさったんです、先生。おおお、エルザに何かあったんですね!」

 私は悲しき現実を白状した。ほかにしようはなかった。エルザが逃げて、死にもの狂いで探している。家に帰ったかもしれないと思った……。

「ああ、先生! それはありえません。あちらの方向には行かないんです。年に一度、ワクチン接種に先生のところにうかがうだけで、エルザは道を知りません。そんなことありえません!」

 ひっくり返りそうになりながらも、ジャック夫人は私に家に上がるように勧めてくれた。絶望に打ちひしがれて、のしかかる沈黙を背負いながら、私たちは四階まで階段をのぼっていった。彼女が鍵穴に鍵を差し込もうとしていたときだった。

「あああああ! こんなことって、こんなことって! あああ、先生! 先生……、ごらんください、ここに、玄関マットに!」

 

(次回に続く)

 

著者/クリスチアン・ジロー

翻訳/大串 久美子

装画/エミ―・ファソリス

 

(K)