田中秀臣の「ノーガード経済論戦」

田中秀臣の「ノーガード経済論戦」

クールビズにみえる小泉改革の奇妙さ

2005-07-04 | Weblog
 小泉政権による最近目立ったプロバガンダ作戦といえば、クールビズと郵政民営化。ここではクールビズをノーガード風(筋金入りの素人風)に考察してみたい。大した問題ではないので簡単に。個人的にはクールビズだろうがなんだろうが、暑いときには軽装がいいでしょう。実は私も大学では夏場はふつうの軽装で通してます。伝統を重んじる?地方ですと軽装派は圧倒的少数で、例えば通りすがりに出会う知人が、「田中先生、涼しげでいいですなあ」と向こうは重機動兵なみの紺スーツに雑巾大のネクタイで玉の汗をながしてふうふういっているのが相場で、つまり「嫌味」をいわれることもあります(あるいは「羨望」か?)。

 ただ重機動兵でいくか軽装でいくかは個人の選択の自由でして、慣習や馴れ合い、またはただの趣味嗜好などさまざまな要因で、個人は着ているものを選択しているのでしょう。で、このような夏場の仕事着についてはほぼ政府の思惑抜きに勝手に民間がやっているわけでしょう。

 もちろん下のリンク先のご意見のように、経営者の趣味嗜好や慣例に縛られているのも大半なのは承知しております。どこかの大学では教授会では正装せよ、とかで法廷闘争に至った奇怪な事例がありました。

(around the XL1200R)


 ところがいまの政府はこのクールビズによってネクタイをしないことで体感温度が二度さがり、京都議定書のフロンガス削減に個々の立場から役立つと、「ミクロの積み上げがマクロ」という観点から猛然と仕事着市場に政府介入してきました。ところで政府介入の根拠といえば、市場の失敗です。でもネクタイをするしないことによる体感温度の高低が市場の失敗なんでしょうか? 不思議ですね。

 この種の「政府介入」を、小泉政権による「規制緩和」だとする論説まで現れました。私の個人的なブログでも再三登場している高橋洋一(早稲田大学、財務省)さんの「「何もしない」小泉政権をマクロ的にどう評価すべきか」『金融財政事情』6月27日 です。政府のクールビズ運動は、小泉政権の基本的思想である「規制緩和」と「自助努力」を特徴としているそうです。いくら高橋さんがいまの小泉構造改革の「骨格」のお一人とはいえ、さすがにこれって典型的なヨイショ記事ではないでしょうか?

(田中秀臣の個人ブログ)

 まずどんな「規制」があったんでしょうか? 民間の仕事着市場に政府の「規制」はありましたでしょうか? 公務員の方は以前のスーツという「規制」から新たなクールビズという「規制」に変身しただけですよね? 民間の仕事着市場にネクタイをしめるしめないで発生する資源の誤配分として何が存在したんでしょうか? ネクタイをしめるとフロンガス削減がすすまないという実証はあるんでしょうか? 以下のブログでは体感温度と室温調整の複雑な関係を直感的に説明しています。

(H-Yamaguchi.net)

 「自助努力」というのも変な話でして、多くのクールビズは政府主導、ないし経営者主導ですね。それとも服を選ぶことも民間のサラリーマンは(「規制」のせいで?!)してこなかったというのでしょうか? 高橋論説には、サラリーマンは服装を自分で考えてこなかったと断言していて、非常にその狭隘なものの見方が気になりました。スーツやネクタイを家族と相談したり、自分で選んだりしていなかったのでしょうか? 

 さて高橋論説以外にも便乗している論説が多くあります。例えば次の研究では、クールビズの経済効果を100億円と試算しています。

(「軽装励行の経済波及効果」第一生命経済研究所 経済調査部)

 この種の予測はだいたいが部分均衡的(産業連関分析を使用しているのでこれも奇妙な話ですが)な見方が大半です。簡単にいうと将来の所得が一定ならば、ある財への支出増は別な財への支出減を伴います。ここでは前者はクールビズ、後者はネクタイ。こういった向こうのプラスがかならず他方でマイナスを伴う、という当たり前の発想がこの種の予測にはどうも欠けるようですね。しかも今回の「政府介入」によってネクタイ業者は規制にさえ直面しているともいえますね。これが小泉政権の構造改革の手法なのでしょうか? そしてこの種のクールビズ運動をもりあげるために官庁や関係機関はいくばくかの広告費を計上しているはずでしょう。すなわち税金が投入されているわけです。このコストもいれない試算にどんな意味があるのでしょうか。