田中秀臣の「ノーガード経済論戦」

田中秀臣の「ノーガード経済論戦」

アイドル・エコノミックス

2005-11-21 | Weblog
 というわけでこのノーガードの初期にエントリーしました山田優嬢について勝手きままに書いた原稿が原因で最近はたま~にアイドルネタでの仕事依頼がきてかなり戸惑うのですが、今回は「出口政策」の続きの前に一休みで、そんな社会の需要??にプチこたえてアイドルネタを。某個人ブログでは頻繁にこの手の話題を書いて、おまけに本まで出してしまいましたが、ここであんまりやると編集部に怒られて 笑 しまいますので自粛モードの展開で。(^^;)

 最近のアイドルの二大潮流は「萌え」と「癒し」ではないだろうか。勢いからいうと前者により注目が集まっている。エコノミストの書いた本でも森永卓郎氏の『萌え経済学』(講談社)がブレイクしている。「癒し」の方はわりと簡単に万人がイメージできる日常語であるが、まだまだ「萌え」の方はそこまで流通してはおらず、森永氏の著作でも丁寧に定義が与えられている。同書によると、「萌え」はアニメのキャラクターに恋すること、と定義されている。そうなるとネットの一部で根強いファンを獲得しているクリステル先生などは現実すぎて「萌え」ではなくなってしまう。いや、現実の女性への恋愛に心奪われることは「萌え」道?からいうとそれだけで失格なのかもしれない。だがクリステル先生であろうが、山田優嬢であろうが、私や読者の大多数にはヴァーチャルでしかありえないので、その意味ではアニメキャラと同じように「萌え」消費の対象なのかもしれない。


  いきなり定義論でわき道にそれてしまい帰ってこれなくなりかけたが、おそらく「萌え」と「癒し」は、両方ともに日本の長期停滞に苦しんできた人たちに憩いのひとときという心理効果を与えてくれただろう。例えば、アルバート・ハーシュマンは公的な社会参加に挫折すると、国民の多くは私的消費により傾斜し、そしてまた公的な社会参加がより可能になると私的な空間からでてくるという興味深い消費循環論を説いている。「萌え」や「癒し」は私的消費の側面が濃厚であることから、これらの特徴をもつアイドルが選好されるということは、日本の長期停滞による社会経済の挫折が反映しているのかもしれない(参照:アルバート・ハーシュマン『失望と参画の現象学』法政大学出版会)。

 阪神の優勝効果や韓流ブームの経済効果と同じように、アイドルの生み出す経済効果(以下ではアイドルサービスと呼称しよう)も無理やり計測すれば何がしかの数字がでるかもしれない。もっとも経済全体の名目所得を一定にすれば、ある財・サービスへの消費減少のみかえりとして、アイドルサービスの消費増加があるだけであり、この種の部分均衡的な計測が常に疑問であるのだが。

 もちろんアイドルサービス自体には景気回復を生み出すものを期待することはおよそ無理がある。日本のアニメが国際的に評価が高くなり、秋葉原がオタク都市化しても、そのような新産業が長期停滞を打破することはなかなか難しいだろう。ただし景気が回復すればそれに伴って消費が増加することでアイドル市場の規模も膨らみ多様性も広がる。そしてアイドル市場の成長がまた消費者の嗜好を刺激して消費の増加をさらに生み出す…という好スパイラルがおこり景気回復の足取りを確かなものにする一助になるかもしれない(ならないかもしれない)。

 もちろん「萌え」とか「癒し」アイドルのもたらす心理的な効果は日本経済の見えざる厚生を高めたのかもしれない。この種の心理的効果をうまく拾う指標はまだ経済計測で一般的ではない。だがいずれにせよ、長期停滞で倒産・失業の増加、さまざまな社会不安が蔓延していてはその心理効果もネットの効果としては大したものではないだろう。ただアイドルがブレイクすることでCMや関連商品などの売り上げが伸びることで直接的な経済利益を生み出す。そして特定のアイドルにCM出演が集中することで規模の経済が発生し、巨大な利益を生み出す相乗効果が期待できるかもしれない。

 さて現在の日本は景気回復期にある。このまま日本銀行や財務省が逆噴射をかけてこなければ、そして政府が日銀とともにリフレ政策をとれば日本経済の将来は明るいだろう。そして景気回復とは将来の経済成長率が上昇することを予想する人が多くなるということだから、将来性に富んだ陽性の正統派アイドルが求められる。昨年、映画『世界の中心で愛を叫ぶ』で注目され、現在8本のCMを抱えている“CMの新女王”候補 長澤まさみ嬢などはそのイメージにぴったりで、彼女をみていると上り坂で激励をうけている気分になるのは、私がやや疲れた中年だからだろうか、そうですか、いやそうですね(--;)。

長澤まさみ公式ホームページ

 いま「国民的アイドル」というサービス財を楽しめる、あらゆる世代や性別を受容している空間がない。かなり昔であればテレビがある家庭の居間や食卓がその役割を果たしただろう。ネット社会が発達しても、眞鍋かをり嬢のように「ブログの女王」という形で似たような趣味の人たちを取り込めることができるが、眞鍋嬢を女王と認める人たちとヨン様をアイドルとする中高年女性とではほとんど交わることはあるまい。ましてや擬似マンツーマン性(個人の日記を読んでる個人の私)がやたらと強いブログでは、嗜好の細分化に柔軟に対応してしまうことで、その消費形態も多様になってしまい、統合化された国民アイドルを生み出すことが難しい。例えば私はクリステル先生のファンで例のサイトも毎日チェックしているし 笑 他方で遠野凪子嬢の「癒し」系ブログもみているのだが、両者ともにコアなファン対応であり、その消費欲望を満たすためにこれらのブログは存在する。

遠野凪子ブログ

 だが消費が好調になり、アイドル市場が成熟してくるにつれて、多様なアイドルが輩出されてくるだろう。またいわゆる正統的なアイドル(70年代であれば山口百恵やピンクレディー、80年代だと松田聖子や小泉今日子ら)を生み出してきたのは堅実な成長が実現していた間であった。それに対して、経済が異常に過熱したバブル期や90年代の長期不況期には正統派のアイドルは衰退し、反対に「改革を構造する」かのような奇妙なアイドルが乱立してしまう。それは先のハーシュマンの消費の循環論と同じ構図である。例えば、いわゆる「勝ち組」「負け組」という経済格差という社会イメージに基づいた経済的勝者を過剰に演出したような、いわゆる「セレブ」的なアイドルがもてはやされるかもしれない(例えば叶姉妹嬢たち、そしてこの補完財としての中村うさぎ嬢なども出現する)。

 「萌え」も「癒し」も「セレブ」も国民的な消費対象というよりも、やはり私的な消費対象として表れている。日本の経済が本格的に復活するかどうか。その分かりやすい指標は平均的な感性から支持されるような正統派アイドルの出現に象徴されるかもしれない。私はどちらかというと正統派よりも上に書いた諸ブログアイドルの方がすきなのだが…。