田中秀臣の「ノーガード経済論戦」

田中秀臣の「ノーガード経済論戦」

お気楽に読む経済小説:『デフォルト』相場英雄

2005-10-14 | Weblog
ブログ世界で話題の相場英雄(そうば えいゆう ではなく あいば ひでお さんです念為)のデビュー作であるダイヤモンド経済小説大賞を受賞した『デフォルト』をよんでみました。


(以下、ネタばれありですのでご注意を。)
 ここでいう“デフォルト”とは債務不履行のことを意味しています。「金融機関は毛細血管のように決済の網の目を張り巡らせている。アルバイト職員の給与振込みから、書店の手形決済、大手商社の送金や外為取引の決済。どれかひとつでもデフォルト(債務不履行)に陥れば、ドミノ式に決済不能が伝播する」(13頁)ということです。

 さらに物語のメインは「東北新和」なる地方銀行が破綻する「予定」なのですが、それの資金繰りを日銀が担っていて(よくわからんですがいつのまに日銀は金融庁になったのですか?)、フィリピンのペソを支払う必要がその地銀にはあるのですが、それがある種の「陰謀」によってできず、そのためにこの地銀がデフォルトに陥るという話だそうです。なぜかこの地銀の資金繰りは日銀の「金融機構局」なるところが担っているので、このペソが調達できないためのデフォルトは日銀の責任になり、ために上の引用にあるように「ドミノ式に決済不能が伝播する」危機に日銀は直面し冷や汗をかくという筋書きです。

 この「陰謀」は、時の金融担当大臣の政策スタンスが「顔なし」(田中の表現です念為)であることを批判したエコノミストが、その批判のために職を追われ、やがてかの大臣の湾岸にあるマンションの敷地内で文化包丁で自殺することに触発されたものです。「陰謀」はこのエコノミストの死になぜか(ここがまったく説得的には読めませんでした)感応した、新聞社の日銀担当記者、中堅ヘッジファンドオーナー、ホストクラブの支配人、日銀総裁秘書たちの、現金強奪モドキ、日銀施設テロもどき、日銀マンの拉致、そして日銀や財務省の裏をかくマネーゲームを展開して、最後は未成年であるエコノミストの娘をそそのかして証券会社に不正プログラムを侵入させ、それで恨みある日銀(総裁)と金融担当大臣にダメージを与えて溜飲を下げるというどう考えてもありえねえ~という展開のコメディ経済小説です。

 いまコメディ経済小説と書きましたが、確かに件のエコノミストが、ブルース・スプリングスティーンの歌を口ずさみ、「多少錆びているが、大丈夫でしょ」(なんか2ちゃんネラーぽい表現だぞby田中こころの声)とつぶやきながら頚動脈を一突きして果てる導入部は、これからのハードな展開を予想させるのですが、あいにく全然深刻さが伝わらないのです。まさにこの自殺自体が「逝ってよし」レベルでの描写になってまして、このエコノミストがもったであろう他の「陰謀」に加担した人たちを突き動かすだけの「怨」みたいなものが伝わらないのです。あるいはわざと深刻さを避けているのかもしれません。全編を70年代のロックだかポップスが小ネタでつかわれ、登場人物が妙に明るく軽いノリで描かれています。

 それにいくら日銀の金融政策がひどいからって(笑)、さすがに一ディーラーの事務所に日銀マンが「上層部の意向できました」とわざわざことわった上で、いまの取引をやめないと奥さんの事業とか邪魔するよ、と脅迫してやめさせたシーンはいくらなんでも荒唐無稽です。荒唐無稽でもフィクションだからいいんですか、そうですか。この種のありえねえ~ネタや小ネタが満載してまして、「日銀の様々な金融政策に論戦を挑もうとする輩たちからのアクセスもしばしばある。日銀の理屈で論破されると、こうした連中が嫌がらせ的な行動にでたり、感情的なメールを投げてくるのも日常茶飯事だ」(10頁)なんてあると、リフレ派は日銀にインタゲ採用しろなどと屁理屈をいって「嫌がらせをしている」なんてことをいってた某経済学の超老大家の顔を思い出す私は変ですか、そうですか(参考:『金融政策論議の争点』)。日銀の方々に取材されたそうですが、少なくともリフレ派はいままで日銀理論に論破されたことはまったくなく、毎回、屁理屈に似た実務の細則運用に逃げられてわけわかめの論戦にはなってはおりますが。

 さて本題に戻りますと、いままで書いたあらすじをご覧いただければまさに仮構の名に恥じないものであることは明白です。ちなみに銀行がアルバイトの給料振込みに失敗したぐらいで、金融システム全体にデフォルトが伝播することはありませんのでご安心ください。本書はその陽性な筆致に非常に価値があると思いました。ぜひ著者にはコミカルな調子の経済小説をぜひ書きついでいただきたいと思います。