田中秀臣の「ノーガード経済論戦」

田中秀臣の「ノーガード経済論戦」

本音と建前の「成功」で失ったもの

2005-05-22 | Weblog
 20日の日本銀行の政策決定会合が終わり、その結果は政策のフレームワークは現状維持であり、いわゆる「量的緩和政策」の継続と、そしていわゆる「なお書き」修正が行われた。今回の決定に先立ち、各種マスコミの報道や市場関係者やエコノミストたちの事前予測が行われ、さまざまな憶測や意見が交錯した。今回の「なお書き」修正では、日銀の量的緩和政策のターゲットである日銀預金残高目標の水準を割り込むことがあっても容認するとの文言などが追加された。

 通常であれば中央銀行は短期金利を引き下げることで景気刺激を行うが、現在の日本は長期的な停滞によって金利をこれ以上引き下げられない非負制約に直面している(もっとも技術的にはまだ引き下げ余地はある)。いわゆる「ゼロ金利政策」である。しかし、日銀はマネタリーベースを増加させることで一層の金融緩和を行うことができるとされ、日銀は短期・長期国債などの買いオペレーションを通じて、この量的緩和政策を実行してきた。現在では量的緩和政策は、「当座預金残高が30~35兆円程度」となるように目標が設定されている。しかし近時、短期国債オペにおいていわゆる「札割れ」が頻発し、従来のオペの手法ではこの当座預金残高目標を割り込む恐れがでてきた。

 その一方で、日本経済の景気回復を受けて、日本銀行が「出口政策」すなわち事実上の金融引き締め政策に転換するのではないか、という予想が市場関係者の間で早くから強まっていた。今回の政策決定会合の直前において発表された2005年1~3月期の実質経済成長率は、大方のエコノミストたちの予測を上回る水準にまで回復し、さらに有力なエコノミストらの予測では今年後半にも景気は「踊り場」を脱出して、潜在経済成長率を上回る安定的な成長経路に回復するという見込みが立てられている。

 また日本銀行の福井総裁は、一時期は「出口政策」は時機尚早であり、ゼロ金利政策と量的緩和の現状のフレームをデフレ脱却が確認できるまで行わないと繰り返し説明を行ってきた。しかし、この数ヶ月に福井総裁の出口政策についての答弁は微妙に変化をみせており、特に前記した「札割れ」問題に関連した預金残高目標の切り下げを匂わす内容が見られた。

 つまり、状況的には、従来からの「出口政策」への市場の一部からの圧力、日本経済の予想を上回る景気回復、そして福井総裁の微妙な説明の変化、といくつかの要素が、出口政策が迫っているのではないか、という観測をもたらしていた。かくいう私も自分のブログの中で、5月が出口政策採用の危険ゾーンであると書いたことがある。経済予測のアマチュアである私でさえそのような見通しを立てられるのだから、プロの予測家はいやでもそのような予想をもったであろう。

 日銀サイドはこの預金残高目標の切り下げを実施したとしてもあくまでも技術的な対応である、という説明する広報活動を行ってきたが、市場関係者・エコノミスト及びメディアでは、この日銀の対応は事実上の「出口政策の第1歩」と理解されていた。しかし、実際には政治的な感覚では群を抜くと評価される福井総裁が、市場にそのような「出口政策」採用というシグナルを不用意に送る対応をとることはあるまい、という希望的観測もあった。

 なぜなら日本の長期停滞の元凶であるデフレーション(デフレ:経済全体の財・サービスの平均価格の継続的な減少。通常は消費者物価指数やGDPデフレータなどで観測する。いまでもメディアなどで散見される個々の財価格の低下とは異なる現象である)は以前として継続中であり、しかも近時においてはデフレは強まる傾向にあった。デフレ対策を(ひところに比べると明らかに熱意は減少しているものの)重視する政府との関係からいって、デフレ脱却が不透明な現状において、事実上の金融引き締めのシグナルを市場に送ることを、あえて政治巧者の総裁が行うわけはない、という観測であった。

 しかし、この希望的な観測の根拠はどうも誤りだったようである。どんな経緯かわからないが、政策決定会合の数日前から市場関係者の間では、政策決定会合での「決定予定事項」が情報流出?し、新聞各紙ではこの「決定予定事項」が大きく掲載された。
例えば、以下のリンク先参照
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20050518AT3K1701J17052005.html
その内容は預金残高目標の切り下げを一時的に容認する方向などを示唆する具体的なものだった。そして実際の決定は冒頭でも書いたようにこの事前報告?と同じ内容であった。

 日本銀行の政策決定に関する透明性とその説明責任の重要性からいってこのような事実上の決定事項の事前流出?は危惧されるべきことである。実際にこの情報どおりの決定が行われたわけで、まさになんのための政策決定会合であったのだろうか、という嘆息を禁じえない。

 またすでに書いたように、預金残高目標の一時的な割り込み容認は、日銀総裁がいくら記者会見において技術的な対応であり、金融引き締めではない、と言明していても、各種報道に掲載された市場関係者のコメントでは、ほぼ一様にこれが事実上の出口政策の第1歩である、とする評価を与えている。つまり日本銀行の政策決定の説明は、ただの「建前」であり、その「本音」は市場によってよく理解されている、という図式になっている。まさに、ザ・日本社会。その本音と建前の構図は、日本的な金融政策の隠微な市場とのコミュニケーションとその期待形成の妙味をたっぷりと味わうものとなっている。もちろんこれは皮肉だ。

 このような本音と建前の分離という期待形成政策はもちろん健全なものとはいえないだろう。建前はしばしば政策責任の回避の隠れ蓑に利用されるからだ。例えばある発言の建前がAであるが、本音はBであると理解される。Bと理解されたことでなんらかの損失が生じても、発言者はAといったのでありBではなく、勝手に相手が「誤解」した、という言い逃れである。
 もし仮に日本銀行が、単なる技術的な対応であると本気で主張するのならば、市場参加者の出口政策採用という現在蔓延している期待形成を解消する手段を打ち出すべきであった。それは従来の日銀が公式に説明してきた「札割れ」のときの対応である、長期国債の買いオペ増額という手段である。

以下<>内は引用。
<2001年 3月19日の日本銀行(参考2)新しい金融調節方式Q&A より
http://www.boj.or.jp/seisaku/01/pb/k010319c.htm
問6: 日本銀行はこれまで、長期国債買い切りオペの増額に反対してきたのではないですか。
答 : 今回、新しい金融調節方式の実施にあたり、長期国債買い切りオペを増額するのは、あくまで、資金供給オペの未達(いわゆる「札割れ」)が多発するケースなど、所要の資金供給を円滑に実施するうえで必要と判断される場合です。したがって、今後も、国債価格の買い支えや財政ファイナンスを目的として長期国債買い切りオペを増やすということは考えていません。このような趣旨を明らかにするため、今回、これまでの「長期国債買い切りオペは銀行券に対応させる」という考え方を守り、銀行券発行残高を長期国債保有残高の上限とする明確な歯止めも用意しました。>引用終わり

この手法であれば、市場は金融緩和スタンスの継続として理解したであろう。また技術的には、手形買い入れオペ期間の長期化、入札金利(0.001%)をさらに小刻みにするか完全にゼロ金利にするかなどが提唱されていた(河野龍太郎氏「技術的な理由だけで当座預金残高の誘導目標は引下げられるか?」BNP Paribas : Weekly Economic Report - May. 16, 2005 )。しかし、あえて日銀は事実上の金融引き締めとして最も理解されるだろう手法を採用した。まさに確信犯といえるだろう。

 市場は日銀の「本音」をよく理解し、そして日銀の「本音」の狙い通りに期待形成を行ったといえる。しかし、それで失われたものはなんだったろうか? まさに政策担当者への信頼性そのものではないだろうか?

(重要な付記)ところでこの問題については、以下のブログやHPなどが率直な意見を掲載していて実に参考になりましたので紹介させていただきます
今朝のドラめもん
(特に25日付けの「中原三原則」プラスワンやその前後の市場の様子へのきわめて妥当な見方は毎度参考になります)
本石町日記
(日銀取材を通しての率直な意見。見方が私とは違うときも多いがそれでも率直さに敬服)
盟友bewaadさんのブログ
(今回の預金残高目標の切り下げなどをネット上でいち早く指摘)

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